昆虫細胞はなぜ室温で接着するのだろう?
生きた細胞の接着界面を可視化する新システムで匂いセンサー応用に期待
研究成果のポイント
- 私たちの体を構成する細胞は体温(37℃)付近でないと接着もできず生きられもしないが、草むらや空を飛ぶ昆虫達は室温環境でも生き生きとしており、その接着機構は未解明な部分が多い。
- 本研究では、生きた細胞の接着界面を精密に可視化できる顕微鏡システムを構築。それを用いて、昆虫細胞が室温で接着する秘密として、静電反発力の少なさとそれを支える特徴的なリングパターンを発見した。
- 構築した顕微鏡システムは、センサーデバイス(生きた匂いセンサー)の効率を左右する接着状態を可視化できる汎用性が高いものであり、接着に基づくバイオハイブリッドセンサー設計に繋がると期待できる。
概要
私たちの体を構成する細胞は体温(37℃)付近でないと死んでしまいますが、草むらにいる昆虫達は室温環境でも生き生きとしており、その接着機構は謎な点が多くあります。松﨑賢寿助教(大阪大学大学院工学研究科附属フューチャーイノベーションセンター)、照月大悟助教(東北大学大学院工学研究科ファインメカニクス専攻/研究開始当時:東京大学先端科学技術研究センター 生命知能システム分野 特任助教)、佐藤奨真特別研究学生(大阪大学大学院工学研究科)、五十嵐航平さん(修士課程1年/当時:埼玉大学理学部化学科4年)及び吉村侑大さん(修士課程1年(大阪大学大学院工学研究科物理学系専攻 応用物理学コース 吉川研究室)、神崎 亮平教授(東京大学先端科学技術研究センター 生命知能システム分野)らのグループは、生きた匂いセンサーの中核にいる昆虫細胞の接着状態を精密に可視化し、昆虫細胞が室温で接着する秘密が、細胞表面の体毛(糖の鎖が生えている)の電荷と、静電反発力の少なさであることを見出しました。
構築した顕微鏡システムは、センサーデバイスの効率を左右する接着状態を可視化できる汎用性が高いものであり、接着に基づくバイオハイブリッドセンサー設計や、生命現象を支える細胞の物理状態を評価する研究に繋がると期待できます。本研究成果は、米国科学誌「Journal of Physical Chemistry Letters(American Chemical Society)」に、10月6日(木)に公開されました。
図1. 匂いセンサーデバイス(左)の中にある昆虫細胞の接着メカニズム(右)
下段は2人の責任著者と大阪大学で貢献してくれた学生。
研究の内容
細胞表面の電荷を評価したのは、ゼータポテンシャル測定器(一般的には粒子表面の電荷を評価するのに用いる)ですが、本研究の要となった反射干渉顕微鏡をここでは概説したいと思います。
高校の物理の授業で習ったニュートンリングはご存じですか?ニュートンリングとは、ガラス平面の上に球状のガラスを乗せた際に、中心に生じる同心円状の明暗の縞模様のことをいいます。光は干渉を起こし、干渉パターンを形成します。今回は細胞が接着する基板背面から単色光を入れると、昆虫細胞と基板表面で反射した光が干渉を起こし、モノクロパターンを形成します(図2a)。実際に哺乳類細胞と昆虫細胞とを可視化すると、黒い接着領域(細胞と基板との距離、h < 40 nm)の大きさが明らかに違うと思います。昆虫細胞の接着のしやすさが定量的にわかるわけです。イメージ図は図2cのようになっており、昆虫細胞は特徴的なリング状接着を示します。
一般的には、哺乳類の細胞は、表面が負に帯電した糖鎖(シアル酸)によって覆われているため、ガラス基板に対しては、接着剤をコートしたりするなど工夫をしない限りは接着しません。しかし、昆虫細胞はよく接着するため、細胞表面の電荷をゼータポテンシャル測定器(一般的には粒子表面の電荷を評価するのに用いる)で評価したところ、哺乳類細胞よりも帯電していないということを見出しました。つまり、昆虫細胞の表面の体毛(糖鎖)の電荷が小さいため、基板に対して静電反発しないため接着できているものと考えられます。
図2. (a)反射干渉顕微鏡の原理、(b)哺乳類細胞と昆虫細胞との接着状態の比較、とその(c)模式図。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
世界中で生きた細胞を使った様々なセンサーデバイスが考案されてきています。ただ、デバイス効率を左右する接着状態が考えられることは少なく、今回のように昆虫細胞がどのように接着してデバイスの機能を高めていくのかという点も未知でした。
本研究で開発した顕微鏡システムは汎用性が高いものであり、接着に基づくバイオハイブリッドセンサー設計や、生命現象を支える細胞の物理状態を評価する研究に繋がると期待できます。
特記事項
本研究成果は、2022年10月6日(木)に米国科学誌「Journal of Physical Chemistry Letters(American Chemical Society)」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Low Surface Potential with Glycoconjugates Determines Insect Cell Adhesion at Room-Temperature.”
著者名:Takahisa Matsuzaki*, Daigo Terutsuki*, Shoma Sato, Kohei Ikarashi, Kohei Sato, Hidefumi Mitsuno, Ryu Okumura, Yudai Yoshimura, Shigeyoshi Usami, Yusuke Mori, Mai Fujii, Shota Takemi, Seiichiro Nakabayashi, Hiroshi Y. Yoshikawa, and Ryohei Kanzaki.
*Double first and corresponding authors.
DOI:https://doi.org/10.1021/acs.jpclett.2c01673
なお、本研究は、JSPS科学研究費(21H03790、21KK0195)、JST創発的研究支援事業(JPMJFR205N:松﨑助教)、平成記念研究助成(照月助教)、中谷医工計測財団(松﨑助教と照月助教が知り合った最初のきっかけ)、上原記念生命科学財団(松﨑助教)の一環として行われました。
図3. センサー表面に吸着する昆虫細胞が溶液中の匂い物質を敏感に感知して応答している様子を示している様子をイメージしたもの。本誌の表紙(Supplementary)を飾りました。本研究では特に、細胞ーセンサー界面の構造(赤色で光っている領域)を精密に評価したことがポイントです。
Co-designed by Takashi Tsujino (science graphic inc)
参考URL
松﨑賢寿助教 Researchmap
https://researchmap.jp/7000026401
照月大悟助教 Researchmap
https://researchmap.jp/terutsuki
SDGsの目標
用語説明
- 生きた匂いセンサー
昆虫生体から採取した生きた細胞を用いた匂いセンサー。近年、昆虫の優れた嗅覚を活用した匂いセンサーに注目が集まっており、昆虫細胞-電界効果トランジスタ(FET)融合型の匂いセンサーは、その感度や携帯性から重要な匂いセンサーデバイスの1つです。Sf21昆虫細胞は、室温で安定的にセンサ基板に接着するため、優れた匂いセンサー素子として使用できます。昆虫細胞と基板の接着界面を可視化することは、効率的な信号検出を行うデバイス設計に不可欠ですが、“生きた”細胞の接着界面の観察は困難であり、接着の時空間的なプロセスは解明されていませんでした。