脳内幸せホルモンが視えた
オキシトシンを生きた脳内でとらえる蛍光センサーの開発
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院医学系研究科の稲生 大輔特任講師 (常勤)、日比野 浩教授(統合薬理学)、金沢大学医薬保健研究域医学系の西山 正章教授らの共同研究グループは、神経ペプチド “オキシトシン”を生きた動物の脳内から計測するための技術開発に成功しました。
オキシトシンは、幸せホルモンとも呼ばれる脳内物質であり、私たちの豊かな感情や心身の健康に重要な役割を果たしていると考えられています。しかしながら、生きた動物の脳内において、オキシトシンを感度よく捉えることは既存手法では困難であり、オキシトシンが脳内でどのように働いているかは、謎につつまれています。
今回、研究グループは、オキシトシンを高感度に検出可能な蛍光センサーを開発することにより生きた動物の脳内からオキシトシン動態を高感度に計測することを達成しました(図1)。これにより、脳内のオキシトシンを介した情報処理機構の基礎的な理解が進むことに加え、難治性の神経疾患の病態研究に新たな展開がもたらされることが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「Nature Methods」に、9月23日(金)午前0時(日本時間)に公開されました。
図1. 本研究の概要
研究分野における課題 (左)と本研究におけるアプローチ (中央、右)を示している。本研究では、オキシトシンが脳内でどのように働いているかを明らかにすることを目指し、生きた動物の脳内においてオキシトシン動態を経時計測できる新規技術を開発した。
研究の背景
オキシトシンは別名幸せホルモンと呼ばれる神経ペプチドであり、多様な生体機能制御に関わることが知られています。“幸せホルモン”の名が示す通り、オキシトシンが脳内で分泌されると、幸せや愛情を感じるとされているほか、不安やストレスを緩和したり、食欲や代謝をコントロールするなど、私たちの豊かな日常生活にとても重要な役割を果たしています。また、オキシトシンの異常は、自閉スペクトラム症や統合失調症といった難治性の精神疾患との関連も報告されており、治療法開発への鍵分子としても大きく注目されています。しかしながら、オキシトシンを生きた脳内から直接測定することは既存手法では困難であり、「オキシトシンが脳内においていつ・どこで・どのように働いているか?」 という基本的な問題が未解決なまま残されていました。そのため、生きた脳内からオキシトシンを直接測る新技術の開発が、研究分野内において強く求められていました。
研究の内容
研究グループでは、培養細胞を用いたスクリーニングにより超高感度蛍光オキシトシンセンサー MTRIAOTの開発に成功し、本ツールを生きたマウスの脳に適用し、様々な実験条件下における脳内オキシトシン応答を、リアルタイムで計測することを達成しました。
まず細胞外オキシトシンが結合することにより、明るさが大きく変化する蛍光センサーの開発を行いました。センサーのデザインとしては、オキシトシンと結合する細胞膜タンパク質であるオキシトシン受容体と緑色蛍光タンパク質により構成されたキメラタンパク質を採用しました。このキメラタンパク質センサーに順次変異を加えていき、最終的に、オキシトシンに対し最大約8倍もの蛍光強度変化を示す超高感度蛍光オキシトシンセンサー MTRIAOTを開発することに成功しました(図1 中央)。
つづいて、MTRIAOTをマウス脳に導入し、様々な実験条件下における脳内オキシトシン動態の計測を実施しました。MTRIAOTによる本計測により、薬物投与や光刺激により人為的に誘導した脳内オキシトシン上昇のみならず、様々な外界からの刺激に応答した内因性のオキシトシン濃度制御についても、観測することができました。今回の計測の非常に興味深い点として、刺激の種類により、秒単位・分単位・時間単位など時間スケールの大きく異なるオキシトシン濃度変化が脳の中で達成されている、という予想外のシナリオが見えてきました (図2)。
図2. MTRIAOTを用いた脳内オキシトシン動態の計測
急性ストレス刺激 (テールリフト: 左)、個体間相互作用刺激 (中央)、自由行動下 (右)におけるオキシトシン濃度の経時変化を計測した。刺激条件の違いによりオキシトシン変動の時間スケールが大きく異なっている。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
今回開発した超高感度蛍光オキシトシンセンサー MTRIAOTにより、生きた動物の脳内からオキシトシン濃度変化をリアルタイムで計測することを実現できるようになりました。本研究では、限られた実験条件下で脳内オキシトシン動態計測を実施しましたが、オキシトシンと関連が示唆されている生理機能や病態はまだたくさん残されており、今後幅広い研究への応用が期待されます。特にオキシトシンは、自閉スペクトラム症や統合失調症といった難治性疾患を治療するための鍵として注目されており、本ツールの活用により病因解明や治療薬開発が大きく前進することが期待されます。さらに、オキシトシンは、内耳や眼などの感覚器や腎臓などの末梢組織においても重要な機能を果たしていると考えられており、脳以外の臓器間相互作用シグナル研究にも大きく貢献すると考えられます。
特記事項
本研究成果は、2022年9月23日(金)午前0時(日本時間)に米国科学誌「Nature Methods」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“A fluorescent sensor for real-time measurement of extracellular oxytocin dynamics in the brain.”
著者名: Daisuke Ino1, 2 *(責任著者), Yudai Tanaka1, 3, Hiroshi Hibino2, and Masaaki Nishiyama1
所属:
1. 金沢大学医薬保健研究域医学系 組織細胞学
2. 大阪大学大学院医学系研究科 統合薬理学
3. 金沢大学医薬保健研究域医学系 細胞病理学
DOI:https://doi.org/10.1038/s41592-022-01597-x
本研究は、JSPS科研費(若手研究、 基盤C)、武田科学振興財団、ロッテ財団、光科学研究振興財団、ソルト財団、コニカミノルタ科学技術振興財団、北陸銀行、AMED-CREST、PRIME、内閣府ムーンショット型研究開発制度の支援を受けて行われました。
参考URL
用語説明
- オキシトシン
脳内の視床下部と呼ばれる領域の神経細胞において合成される9アミノ酸からなる神経ペプチド。血液中に分泌されて出産や射乳を制御する役割が古典的によく知られていたが、脳の中でも直接分泌されることも分かっている。後者の役割はまだ謎が多く、近年世界中で活発に研究が繰り広げられている。
- 蛍光センサー
標的の分子が結合すると明るさが変化するセンサー。細胞の中や細胞の表面をこのような分子でラベルすることで、生きた細胞において標的分子の濃度変化を経時的に計測することができる。
- 自閉スペクトラム症
社会性の障害・コミュニケーション障害・限局した反復行動で特徴づけられる発達障害であり、全人口の約2%もの人々が罹患している。自閉症とも呼ばれる。遺伝要因・環境要因が原因と推測されているが、詳細はまだ不明な点が多い。
- 統合失調症
幻想や妄想を主な症状として示す精神疾患であり、全人口の約0.7%もの人々が罹患している。以前は精神分裂病とも呼ばれていた。自閉スペクトラム症と同様に遺伝要因・環境要因が原因と推測されているが、詳細はまだ不明な点が多い。
- 緑色蛍光タンパク質
オワンクラゲ由来の光るタンパク質。GFP (Green Fluorescent Protein)とよく呼ばれる。生命科学分野では、細胞内のタンパク質を標識する目的で広く活用されている。GFPを発見した下村脩博士は、その功績により2008年にノーベル化学賞を受賞した。