司令塔は体内時計!季節情報をグルタミン酸が伝達
動物の季節適応の仕組み解明へ
研究成果のポイント
- 体内時計を用いた季節応答に貢献する脳内の神経伝達物質を昆虫で発見
- 体内時計が季節応答に重要な光周性に関係することは示されていたが、体内時計に基づいて日長情報を伝達する脳内の神経伝達物質は不明瞭であった
- 今回発見したグルタミン酸は、昆虫から哺乳類まで幅広い動物種の神経系の情報伝達に使われており、今後グルタミン酸に着目した研究が進むことで、動物の季節適応にとって重要な光周性の普遍的な仕組みの理解が進むことが期待される
概要
大阪大学大学院理学研究科の長谷部政治助教と志賀向子教授は、昆虫脳を用いて、神経伝達物質であるグルタミン酸の脳内レベルが、概日時計遺伝子に基づいて日長変化を示し、季節応答に寄与することを世界で初めて明らかにしました。
多くの動物は季節の移り変わりを1日の日の長さ(日長)の変化から感じ取り、体内の生理状態や行動を季節に応じて調節しています。これまでの長年の研究から、約24時間周期のリズムを作る体内時計(概日時計)が、日長情報の読み取りに重要であることが示唆されてきました。一方、概日時計に基づいて日長情報を伝える脳内の神経伝達機構についてはほとんどわかっていませんでした。
今回、長谷部助教と志賀教授は、生殖機能に明瞭な光周性を示すカメムシを用いて、脳内の神経伝達物質であるグルタミン酸のレベルが、概日時計遺伝子依存的に日長条件に応じて顕著に変化することを明らかにしました(図1)。また、グルタミン酸は抑制性受容体を介して産卵促進に寄与するニューロン(神経細胞)の活動性を制御することで、日長に応じた産卵の制御に関与していることもわかりました(図1)。グルタミン酸は昆虫だけでなく、幅広い動物種の脳内情報伝達に用いられているため、グルタミン酸シグナルに着目した研究が今後発展していくことで、動物種全般における概日時計に基づいた季節情報の伝達機構の理解が進むことが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「PLOS Biology」に、9月7日(水)午前3時(日本時間)に公開されました。
図1. 脳内のグルタミン酸レベルは概日時計遺伝子に基づいて日長変化を示し、産卵促進ニューロンの活動性を制御している
研究の背景
温帯地域の生物は、四季による環境変化に適切に対応するために、季節を正確に知る必要があります。動物、植物は季節を読みとるために年によって変わらない1日の明るい時間の長さ(日長)を用いており、日長により生理機能や行動が変化する性質を光周性と呼びます。時間生物学者のエルビン・ビュニングは、体内の約24時間のリズム(概日リズム)をもとに日長を読み取るモデルを1936年に提唱しました。近年、概日リズムを作りだす概日時計の分子機構が、生殖や温度耐性などの生理機能に見られる光周性にも重要な役割を果たしていることが示されてきました。しかし、光周性において、概日時計に基づいた日長情報を、生理機能を制御する脳細胞群へと伝達する神経機構についてはわかっていないのが課題でした。
研究の内容
長谷部助教と志賀教授は、生殖機能に明瞭な光周性を示すホソヘリカメムシを用いて、脳内の日長情報を伝達する神経機構を解析しました。カメムシの全脳(脳丸ごと)を培養し、培養液中に放出される神経伝達物質の量を測定する実験系を確立し、神経伝達物質の一つであるグルタミン酸の放出量が長日条件よりも生殖が抑制される短日条件で顕著に高いことを発見しました(図2)。さらに、概日時計と脳グルタミン酸量の変化の関係を調べるため、RNA干渉法を用いて概日時計遺伝子の発現を抑制したところ、図2で示したグルタミン酸量の日長による変化が消失することが明らかになりました。この結果は、概日時計が脳グルタミン酸レベルの日長変化を制御していることを示唆しています。続いて、グルタミン酸代謝酵素の遺伝子発現をRNA干渉で抑制し、人為的にグルタミン酸レベルを操作したところ、生殖機能の光周性が消失することを発見しました。最後に、以前の長谷部助教らの研究により神経活動レベルで日長に応答することが明らかになった、産卵を促進する脳ニューロンへのグルタミン酸の影響を電気生理学的手法により解析しました。その結果、グルタミン酸は抑制性受容体:グルタミン酸作動性塩化物イオンチャネル(GluCl)を介して産卵促進ニューロンの神経活動を顕著に抑制することがわかりました。次にGluClの光周性への影響を調べるため、GluClの遺伝子発現を抑制した結果、産卵促進ニューロンの神経活動および生殖機能の光周性が見られなくなりました。これらの研究結果は、グルタミン酸は概日時計に基づいた日長情報を産卵促進ニューロンへと伝達し、生殖機能の光周性に重要な役割を果たしていることを示しています。
図2. 脳から放出されるグルタミン酸量が長日個体よりも短日個体で顕著に高い
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、季節適応の一つである光周性に重要な脳内の日長情報処理の仕組みの理解が進むことが期待されます。今回カメムシで日長情報伝達に関与していることが分かったグルタミン酸は、私たちの栄養素であるタンパク質を構成するアミノ酸の一種であり、昆虫から我々ヒトが属する哺乳類まで幅広い動物の神経伝達物質として働いています。そのため、本研究成果をもとに、このグルタミン酸シグナルに着目した研究が進むことにより、幅広い動物種に共通した脳内の概日時計に基づいた日長情報伝達のメカニズムの全貌が明らかになっていくことを期待しています。
特記事項
本研究成果は、2022年9月7日(水)午前3時(日本時間)に米国科学誌「PLOS Biology」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Clock-gene-dependent glutamate dynamics in the bean bug brain regulate photoperiodic reproduction”
著者名: Masaharu Hasebe and Sakiko Shiga
DOI:https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3001734
なお、本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業の一環として行われました。
参考URL
長谷部 政治助教
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/1cd9e2f64a248160.html
SDGsの目標
用語説明
- 神経伝達物質
神経細胞が電気的な活動に応じて放出し、他の神経細胞へ情報を伝えるための物質。
- 光周性
1日の日長や夜長の変化に応じて生物が示す生理応答。
- グルタミン酸
昆虫から哺乳類まで幅広い動物において、神経系で神経伝達物質として用いられているアミノ酸。
- 概日時計遺伝子
概日リズムの形成に関与する遺伝子。ロスバッシュ博士、ホール博士、ヤング博士は、概日リズムを形成する分子機構の解明に貢献したことにより2017年にノーベル医学・生理学賞を受賞された。
- ニューロン(神経細胞)
神経系を構成する情報伝達や情報処理に特化した細胞。一般的に、電気的な活動に応じて神経伝達物質を放出し、次のニューロンが受容体を介してそれを受け取ることで情報が伝達される。
- ホソヘリカメムシ
日本や近隣のアジア諸国に生息するカメムシ目の昆虫。大豆の害虫として知られている。
- RNA干渉法
標的とする遺伝子に対する2本鎖RNAを導入することで遺伝子発現を抑制する技術。
- 電気生理学的手法
神経細胞の電気的な活動を直接的に記録する技術。
- グルタミン酸作動性塩化物イオンチャネル(GluCl)
グルタミン酸受容体の1種で、グルタミン酸を受容すると塩化物イオン(Cl-)を通すイオンチャネルが開き、一般的に神経活動を抑制する働きを持つ。