10万時間を数秒に! 宇宙の物質分布を高速計算する新アルゴリズムを開発

10万時間を数秒に! 宇宙の物質分布を高速計算する新アルゴリズムを開発

機械学習的手法が革新する宇宙物理学

2022-5-27自然科学系
理学研究科教授長峯健太郎

研究成果のポイント

  • 宇宙の物質分布を高速に計算する手法を開発。
  • これまで膨大な時間のかかる宇宙論的流体シミュレーションによってしか得られなかった宇宙の物質分布を、機械学習的な手法を利用することで、数秒間で計算することが可能に。
  • 宇宙の大規模構造のより正確な理解が進むことで、「我々はなぜここにいるのか?」という人類の究極的な疑問の答えに近づくことができます。

概要

大阪大学大学院理学研究科の長峯健太郎教授らの研究グループは、スペインのカナリアス天体物理学研究所(IAC)との共同研究により、10万時間に及ぶ宇宙論的シミュレーションから得られた銀河間物質のガス分布(特に中性水素)を、機械学習技術によって数秒で再現できる新しい数値計算手法を開発することに成功しました。

これまで宇宙の物質分布を正確に再現するためには、非常に大規模で時間のかかる宇宙論的流体力学シミュレーションをスーパーコンピュータ上で実行する必要があったため、より高速かつ効率的な計算手法が求められていました。

今回、長峯教授とIACの研究グループは、宇宙の大規模構造を構成する成分である暗黒物質、電離ガス、中性水素の階層的な関係を利用し、さらに機械学習の手法を利用することで計算を高速化することに成功し、Hydro-BAMと呼ばれるアルゴリズムを開発することに成功しました。これにより、宇宙の物質分布のさらに精確な理解が進むことが期待されます。

また、遠方銀河やクエーサーのスペクトルに見られる「ライマンアルファの森」と呼ばれる吸収線のパターンを高精度に再現することに成功しました。この森を解析することは、宇宙全体の理解を進める上で重要なことです。本研究成果は、米国科学誌『アストロフィジカル・ジャーナル』に、2021年11月と2022年3月に2本の論文として掲載されました。

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図 1. 宇宙のダークマター、電離ガス、中性水素の分布などの階層的分布を利用してライマンアルファの森の観測データを再現する様子。

研究の背景

現在の天文観測から、私たちの宇宙は、従来のバリオン物質よりもはるかに豊富な暗黒物質と暗黒エネルギーによって支配されていると考えられています。私たちが目にすることのできる通常の物質(バリオン)は、宇宙全体のエネルギーのわずか5%程度しか占めていません。一方、私たちの目に見えない暗黒物質は、この巨大な宇宙全体のエネルギーの約27%を占めています。残りの68%は暗黒エネルギーで構成されており、宇宙が膨張するだけでなく、加速膨張している原因ともなっています。宇宙の大規模構造は、これらの要素の相互作用によって決まると考えられおり、現在の最先端の数値シミュレーションでは、これらの過程を現実的に計算することが可能になってきています。しかし、まだ多くの不確定要素が残っています。

研究の内容

信頼できる理論的な予測を得るために、科学者は宇宙論的な大領域をカバーし、関連するすべての物理過程を含むさまざまなモデルに基づいた大規模な流体シミュレーションを実行する必要があります。これらの「仮想宇宙」は、宇宙論研究のための実験場として機能します。しかし、このシミュレーションは計算コストが非常に高く、現在の計算機設備では、現在および将来の観測キャンペーンでカバーできる宇宙の体積に比べて小さな体積しか探索できません。

そこで、フランシスコ・シュウ・キタウラ率いるカナリアス宇宙研究所(IAC)のチームと、長峯教授が率いる大阪大学のチームが共同で、宇宙論的流体シミュレーションの結果を詳細かつ高速に再現する新しい方法を開発しました。

両論文の筆頭著者で、ラ・ラグーナ大学(スペイン、テネリフェ島)とIAC、パドヴァ大学(イタリア)の共同博士課程の学生、フランチェスコ・シノガリアは、「この分野の私たちの論文は、科学界に大きなインパクトを与えており、世界的なグループからもコンタクトがあります」と述べています。

IACチームのPIであるフランシスコ・シュウ・キタウラは、以下のように述べています:「我々は、全体のプロセスをスピードアップし、計算コストを節約し、これらのシミュレーションの多くを効率的に実行するために、機械学習的な計算手法の開発に特別な努力をしています。」

具体的には、IACチームは、確率論、機械学習、宇宙論の高度な概念を組み合わせた「Hydro-BAM」と呼ばれる新しいアルゴリズムを開発しました。このアルゴリズムにより、わずか数十秒で非常に正確な予測を得ることが可能になりました。これは、大阪チームが実施し、Hydro-BAMの訓練に使用した、スーパーコンピュータ上で約10万時間計算しなければならない流体力学シミュレーションに匹敵するものです。「このアルゴリズムは、数人の研究者が何年もかけてIACで書いた約10万行のコードで、これはPhotoshopの最初のバージョンとほぼ同じ数です。」とキタウラは指摘します。

IACの研究員でHydro-BAMコードの主要開発者の一人であるアンドレス・バラゲーラ・アントリネスは、「これらの研究の目的は、バリオン分布のモデリングと観測によって宇宙の大規模構造の理解を深め、その進化を解明することです。」と強調しています。「私たちの方法は、暗黒物質の3次元分布と銀河や銀河間ガスなどの可視物質との間のさまざまで複雑な統計的つながりを詳細に評価することによって、観測された宇宙を再現することを目指しています。」と彼は説明します。

元大阪大学の特任研究員であった清水一紘氏(現四国学院大学 准教授)は、「私たちは、クエーサーの視線吸収に見られるライマンアルファの森をモデル化するために、何百万もの仮想観測者を配置し、流体力学シミュレーションの徹底した後処理分析を行いました」と説明します。

ライマンアルファの森のパターンは、宇宙に散在する中性水素ガスの「木」が、遠方天体から発せられる光を吸収することで生まれます。このように、異なる距離にある雲に対応する明確な吸収線を見ることができるため、宇宙の異なる年代を示すとともに、銀河間物質に関する情報を得ることができるのです。

「我々がモデル化しようとしていた銀河間ガス、暗黒物質、中性水素の量のつながりが、階層的にうまく整理されていることがわかったとき、ブレークスルーがもたらされました」とフランシスコ・シニガリアは説明します。「さらに、電離ガスと中性水素の分布は、ガスの熱的状態に関する情報を与え、ライマンアルファの吸収フラックスを予測することを可能にします。」と結論づけました。

著者らは、バリオンの物理を考慮した数千のシミュレーション宇宙を作成する予定です。これにより、DESI、WEAVE-JPAS、すばるPFSプロジェクトなどの銀河サーベイから得られるデータを包括的に分析することが可能になります。特に、この研究の成果である大規模なライマンアルファの森のデータセットによって、他の観測データから得られている宇宙論モデル間の不一致について、より詳細な吟味を行うことができるようになります。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、宇宙の大規模構造の進化のより正確な理解が進むことで、「我々はなぜここにいるのか?」という人類の究極的な疑問の答えに近づくことが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2021年11月と2022年3月に米国科学誌「アストロフィジカルジャーナル」に以下の2本の論文として掲載されました。

◼︎タイトル:“Mapping the Three-dimensional Lyα Forest Large-scale Structure in Real and Redshift Space” The Astrophysical Journal, Volume 927, Number 2 アストロフィジカルジャーナル、2022年3月、第927巻、第2号。
著者名:F. Sinigaglia, F.-S. Kitaura, A. Balaguera-Antolinez, I. Shimizu, K. Nagamine, M. Sanchez-Benavente, and M. Ata
DOI:https://doi.org/10.3847/1538-4357/ac5112

◼︎タイトル:“The Bias from Hydrodynamic Simulations: Mapping Baryon Physics onto Dark Matter Fields", アストロフィジカルジャーナル、2021年11月、第921巻、第1号。DOI: https://doi.org/10.3847/1538-4357/ac158b

なお、本研究は、科研費基盤A『精密構造形成論へ:宇宙におけるバリオン、メタル、ダストの分布』(17H01111)の一環として行われました。

参考URL

長峯健太郎教授
http://astro-osaka.jp/kn/

用語説明

銀河間物質

銀河と銀河の間にある広大な宇宙空間も完全な真空ではなく、そこには非常に密度の低いガスが漂っています。その物質(特にバリオン)のことを銀河間物質(Intergalactic Medium)と言います。宇宙の物質を精確に理解するためには、この銀河間物質の分布を詳細に調べる必要があります。

クエーサー

主に遠方宇宙にある巨大ブラックホールで、非常に明るい光を放っている天体。巨大ブラックホールに落ちていくガスが重力ポテンシャルエネルギーを光や熱エネルギーとして解放し、ジェットやビーム状の光を放射していると考えられています。

ライマンアルファの森

クエーサーからの光のビームが銀河間空間を伝播してくる途中で中性水素の雲を通過すると、そこにある中性水素が放射のエネルギーを吸収し、クエーサーのスペクトルに吸収線が生じます。宇宙の異なる場所や宇宙年齢の記録がそこに焼き付けられるので、遠方宇宙におけるバリオンの分布を調べるのに非常に役に立つ情報源です。

バリオン

主に3つのクォークから構成される粒子(陽子、中性子など)で、我々がよく知っている通常の物質。バリオンに対して、ダークマターは未知の物質で、バリオンとは異なる素粒子だと考えられています。これまでのさまざまな天文学的な観測から、宇宙全体においてダークマターはバリオンの約5倍のエネルギーを占めることが知られています。