新型コロナ感染禍での回顧バイアス~人の記憶は容易に歪む~

新型コロナ感染禍での回顧バイアス~人の記憶は容易に歪む~

2022-11-9社会科学系
人間科学研究科教授三浦麻子

研究成果のポイント

・新型コロナウイルス感染症禍(以下、「新型コロナ感染禍」)の社会心理について「回顧」という観点から考察した

・新型コロナ感染禍に接した直後(2020年1月)の心理を1年後に回顧させると、過小評価する傾向が顕著に見られた

・長期的かつ変化が大きい出来事について「あの頃は確かこうだったはず」という回顧にもとづく意思決定を行うべきではない

概要

大阪大学大学院人間科学研究科の山縣芽生さん(博士後期課程3年)、三浦麻子教授らの研究グループは、新型コロナ感染禍が社会心理におよぼしてきた影響を、回顧バイアスの観点から読み解くことを試みました。

 過去の出来事はしばしば歪められ、実際の経験と回顧したそれとの間にはギャップが生じます。この心理現象が「回顧バイアス」で、人間がつい犯してしまいがちな思考や判断の偏り(認知バイアス)のひとつです。本研究では、新型コロナ感染禍という深刻なリスク下での回顧バイアスの特徴を分析しました。その結果、新型コロナ感染禍に接した直後(2020年1月)の心理を1年後に回顧させると、過小評価する傾向が顕著に見られました。

研究の背景

 私たちは、世間が「新型コロナウイルス」の存在を知った直後の2020年1月以来、新型コロナ感染禍での社会心理について、パネル調査(同じ人々に定期的に同じ質問への回答を求めて、時間的な変化を分析する調査)によってデータを取り続けています。いわば「スナップショット」です。2021年1月に最初の研究成果として、2020年3月までのデータを分析した論文をある学術雑誌に投稿した時、大変印象深い審査コメントを受け取りました。曰く「感染者がほとんどおらず、まだ状況が深刻でなかった当時のデータを分析して、感染禍の社会心理の何がわかるのか」。このコメントを受け取った時の衝撃が、私たちにこの研究への着手を決意させました。なぜならそれが「今でこそ大きな脅威となっている新型コロナだが、流行当初は大したことがなかった」という回顧バイアスのあらわれではないかと考えたからです。

研究の内容

新型コロナ感染禍について、この審査者のような回顧バイアスを多くの人々が持っているのか、持っているとしたら、それはどのような特徴を持っており、それは回答者自身の特徴とどのように関連しているのか。この疑問を解決するために、まず、2021年1月に実施するパネル調査に、2020年1月当時の心理、特に新型コロナへの関心とリスク認知について、回顧することを求める次の項目を付け加えました。

  ・ 昨年(2020年)1月頃のあなたは、新型コロナウイルスの流行にどの程度関心がありましたか。(1全く関心がない~7非常に関心がある)

  ・ 昨年(2020年)1月頃のあなたは、新型コロナウイルスの感染についてどのように感じていましたか。(「恐ろしさ」2項目と「未知性」2項目・1全く感じない~7非常に感じる)


 そして、同じ回答者たちが2020年1月に回答していた「現在の心理」のデータと比較しました。選択肢は同じです。

  ・ あなたは、新型コロナウイルスの流行にどの程度関心がありますか。

  ・ あなたは、新型コロナウイルスの感染についてどのように感じていますか。(「恐ろしさ」と「未知性」)


 分析には、2020年1月から2021年1月までに実施した11回のパネル調査にすべて回答した597名(日本在住の日本国籍者※これらに限定したのは同じ調査で日本への外国人受入態度を尋ねていたからです)のデータを用いました。図1に示したのが両調査の回答データを比較した度数分布です。どの項目についても、新型コロナ感染禍に関する社会心理は、2020年1月時点でかなり高い緊張状態だったことが分かる一方で、それを1年後(2021年1月)には過小に回顧していることがわかります。つまり、私たちの論文の審査者のような思いを、多くの人が共有していたと考えてよさそうです。


 さらに、回答者自身の特徴とこうした回顧バイアスの関連を検討する分析も行いました。その結果、11回にわたる調査間の回答の個人内変動、つまり、新型コロナウイルスに対する心理の揺れが小さい回答者の方が、むしろ大きな回顧バイアスを示すことが分かりました。一見すると不思議な結果ですし、一般化には慎重であるべきですが、次のように解釈できるかもしれないと考えています。心理の揺れが小さい回答者は、個々の調査時点で利用できそうな手がかり(例えば、直近の新規感染者の推移、新型コロナ感染に関連した芸能人の訃報など)をあまり考慮しないのかもしれません。そうした人たちは、いつも同じような回答をする一方で、個々の調査当時の手がかりをあまり記憶に留めていない可能性があります。人が過去を回顧する際は、その当時の出来事を手がかりとするため、それが少ないと当時を正確に思い出せず、結果として、回顧バイアスが大きくなるというわけです。

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図1 新型コロナウイルスへの関心と、恐ろしさ認知、未知性認知それぞれの変数に関する2020年1月の回答(ピンク色)とその1年後に回顧した回答(水色)の度数分布。横軸は値が大きいほど変数への評価が高いことを、縦軸は回答時点ごとの回答者数の比率を表す。

本研究成果の意義

 人が回顧バイアスから逃れられないことは、多くの先行研究で示されてきました。ただし、どのような出来事をどのようなタイミングで想起させるかでその特徴はまちまちなので、この研究で示されたのも、感染禍が亢進した頃に初期を想起させたからこその特徴だという可能性があります。回顧バイアス全般に共通する特徴を見いだすにはさらなる研究の蓄積が必要です。しかし、いずれにせよ、長期に継続しかつ変化の大きい出来事について回顧的な測定を行うことは、不適切な結論を導く可能性が高いことを示唆しています。

 私たちは、これからも新(再)興感染症の流行と向き合っていくことになるでしょう。そんな時に課題となるのは、感染予防を目的とした病原体やウイルスへの対抗だけでなく、それに対峙する社会の心理的側面―例えば本研究が示したような「人の記憶は容易に歪む」という人の普遍的な心の性質―を理解することです。新型コロナ感染禍で私たちが実際に経験した社会心理をリアルタイムにデータとして残しておくことで、将来の感染禍での人々の動揺を予測し、新型コロナ感染禍で起きた混乱を未然に防ぐような社会政策の決定に寄与できるかもしれません。新型コロナ感染禍で起きた混乱を繰り返さないために、それを生きた私たちの経験を活かせるはずです。だからこそ、私たちは「感染者がほとんどおらず、まだ状況が深刻でなかった当時のデータを分析しなければ、感染禍の社会心理はわからなかった」と考えています。

特記事項

 本研究成果は、2022年9月6日(火)に日本グループ・ダイナミックス学会が刊行している学術誌「実験社会心理学研究」に掲載が決定し、11月9日に早期公開されました。

タイトル:Retrospective bias during the COVID-19 pandemic(COVID-19禍での回顧バイアス)

著者名:山縣 芽生(やまがた めい)・三浦 麻子(みうら あさこ)

URL: https://doi.org/10.2130/jjesp.si5-2

参考URL

三浦麻子教授の研究者総覧

https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/9bdf67161c88e954.html?k=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E9%BA%BB%E5%AD%90


阪大_COVID-19禍心理・行動・態度推移グラフ(パネル調査の結果を概観できます)

http://team1mile.mydns.jp:8080/handai-covid19/


新型コロナ感染禍の日本社会と心理(2021年4月15日プレスリリース)

https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2021/20210415_1


新型コロナパンデミック前期における社会心理(2021年8月19日プレスリリース)

https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2021/20210819_2