スピン流を超簡単にon/offスイッチング

結晶を曲げるだけでトポロジカル相を自在に制御

2021-5-20工学系

研究成果のポイント

概要

東京大学物性研究所のChun Lin大学院生、野口亮大学院生(当時)、黒田健太助教、近藤猛准教授の研究グループは、大阪大学大学院理学研究科の越智正之准教授、北海道大学大学院工学研究院応用物理学部門の丹田聡教授および迫田將仁助教、東京理科大学理学部第一部物理学科の野村温助教、学習院大学理学部物理学科の坪田雅功助教、東京大学大学院工学系研究科の有田亮太郎教授(理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー)と共同で、擬一次元TaSe3(Ta:タンタル、Se:セレン)がスピン流を生成するトポロジカル絶縁体状態にあることを示すと共に、その結晶を少し歪ませるだけで、通常の絶縁体へと容易に変化させられることを見出しました。

スピン流の制御はスピントロニクスを確立する上での課題です。その手法として、トポロジカル絶縁体状態と通常絶縁体状態を行き来するトポロジカル相転移を用いる手法が期待されていましたが、両者を瞬時に切り替え制御する手法は確立していません。これまで、物質の一部の元素を置換することでトポロジカル相転移が生じることが実験的に示されていましたが、この手法では、応用に必要となる瞬間的なon/off制御は不可能です。本研究では、基板に試料を乗せ、それを少し曲げるだけの簡単な手法でトポロジカル相転移を生じさせ、スピン流をon/offスイッチングできることを初めて実証しました。

本成果は、英国科学誌「Nature Materials」に2021年5月20日(英国夏時間)にオンライン掲載されました。

研究の内容

研究の背景

電子は、電荷に加え、磁石の最小単位であるスピンを有します。このスピンを活用するスピントロニクスが、省エネ社会を支える次世代の応用技術として現在注目されています。スピントロニクスを確立させるためには、スピンの向きを揃えて固めた磁石として利用するだけではなく、向きの揃ったスピンが流れるスピン流を生成し、かつそれを制御する技術が求められます。スピン流を生成可能な物質として現在最も活発に研究されているのがトポロジカル絶縁体で、15年ほど前に理論的に提案された後、すぐさま実験的にも実証されました。この物質では、物質内部の電子はスピンの向きが乱雑で互いに相殺し合うためスピン流を形成しませんが、最表面にはスピンの向きが揃ったスピン流が自動的に流れるという特異な性質があります。この内部と表面の関係は強固で、物質をいくら切り刻んでも、それぞれの破片の表面には必ずスピン流が形成されます。そのため、表面積を稼ぐ物質設計を施せば、限られた空間に大量のスピン流を形成することができます。

 物質に磁場や電場を印加しなくても自動的にスピン流が流れることがトポロジカル絶縁体の利点である一方で、スピン流を流す・流さないのon/off制御することが難しく、工夫が必要になります。それを実現する最も有効な手法として、相転移の利用が考えられます。つまり、トポロジカル絶縁体を通常の絶縁体へと意図的に切り替えることができれば、スピン流をon/off制御することができます。先行研究から、トポロジカル絶縁体となる物質の一部の元素を他の元素で置換することで、通常の絶縁体へと相転移させられることが実証されています。しかし、元素置換は手間暇がかかり瞬時に施すことはできないため、スピン流を瞬間的かつ可逆的にon/off制御することが求められるデバイス応用には現実的な手法ではありません。

研究内容と成果

本研究グループは、タンタルセレナイドTaSe3(Ta:タンタル、Se:セレン)に着目しました。先行研究によって、この物質がトポロジカル絶縁体状態を発現することが理論的に予想されていたことから(図1の左下図)、実験的に実証することから始めました。また、この物質は固体の中でも柔らかく、引っ張ったり押したりの応力で容易に原子間の距離を変えられる特徴があります。さらに、鎖を積み重ねた擬一次元的な構造を持ち(図1の上図)、その一次元方向に電子が流れやすい性質があることから、鎖の方向に結晶を歪ませることで効果的に電子の振る舞いを制御できる可能性に着目し研究を進めました。

トポロジカル絶縁体状態が実現していることを証明するためには、物質の電子が持つエルギーと運動量をプロットして描かれる模様(電子構造)を視覚化する必要があり、角度分解光電子分光がそのための最も有力な実験手法になります。本研究では、放射光およびレーザーを用いた最先端の角度分解光電子分光実験によってTaSe3の電子構造を調べ、トポロジカル絶縁体状態の特徴となる表面特有の電子構造を見出しました。さらに、スピンの向きを決定する実験により、その電子構造がスピン偏極しており(図2左)、TaSe3の表面にスピン流が流れていることが分かったことで、この物質がトポロジカル絶縁体状態にあることが実証されました。

次に、基板に試料を乗せ、基板を徐々にたわませながらTaSe3の電子構造を測定しました。基板をたわませると、その上に貼り付けた物質は外向きに引っ張られ、物質内の原子間距離が僅かに広がります。試料へ加わる力がある閾値を超えたところで電子構造にギャップが開き、電気伝導を担う電子構造が消失することを見出しました(図2右)。スピン流を象徴する電子構造が消失するこの結果は、トポロジカル絶縁体状態から通常の絶縁体状態へと相転移したことを意味します。さらに、基板のたわみを解除すると、スピン流を象徴する電子構造が復活し、再度トポロジカル絶縁体状態へと転移することも確認しました(図2左)。これらの実験結果は、物質内の複雑な電子の運動を一目で理解させる電子構造を、物質へ加わる力を変えながら逐一観察することで、トポロジカル相転移を視覚的に示した点に優れた特徴があります。また我々の結果は、スピン流を容易にon/off制御する新たな手法を提案するものです。基板に物質を乗せ歪ませるだけの簡単な手法で、トポロジカル絶縁体状態から通常絶縁体へ、また通常絶縁体からトポロジカル絶縁体状態へと瞬時に切り替えができるため、瞬間的かつ可逆的なスピン流のon/off制御が可能となります。この簡便な手法を用いた応用研究が今後期待されます。

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図1. (上図) TaSe3は、鎖状の構造が積み重なって形成されるため、擬一次元的な結晶構造と電気伝導を示す。(左下図)外から歪みを加えない状態のTaSe3はトポロジカル絶縁体状態となり、結晶の表面にスピン流が生成されることが分かった。(右下図)基板に試料を乗せ、それをたわませると、赤い矢印方向に応力が印加され試料に歪みが生じる。その結果、TaSe3は通常の絶縁体となりスピン流が消失する。基板をたわませる・たわませないの簡単な操作で、スピン流のon/offスイッチングが可能となる。

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図2. 物質内を一見乱雑に動き回る電子の振る舞いも、電子1つ1つを運動量とエネルギーの関係(電子構造)としてプロットするとすっきりと整理される。これは量子力学に従う電子ならではの性質である。この電子構造の模様は物質それぞれの個性を示し、それが解明できるとあらゆる電気的・磁気的な性質が理解できる。本研究で利用した角度分解光電子分光は、物質の電子構造を直接的に決定できる実験手法である。また電子が持つスピンの向きを同時に測定することで、スピン流の微視的な振る舞いを可視化することが可能となる。本研究では、これらの実験技術を駆使して、擬一次元TaSe3がトポロジカル絶縁体状態にありスピン流を生成することを初めて解明した(左図)。また、TaSe3が固体の中でも柔らかい物質である利点を生かし、基板を少し曲げて試料に歪みを生じさせることで、通常絶縁体へと変化させられることを、電子構造の観察から実証した(右図)。左図に、試料に歪みを生じる前の電子構造を、実験データおよび模式図で示す。また、右図には、基板を曲げて試料に張力歪みを生じさせると電子構造が激変した結果を、実験データと模式図で示す。この変化と共にスピン流が消失したことは、対応する電子構造の強度が消失していることから理解できる。

今後の展望

本研究は、トポロジカル絶縁体状態を物質の歪みで可逆的に制御できることを電子構造の観察から視覚的に示したユニークなものです。相転移を起こす物質への歪みは、ピエゾ素子で印加可能なほど僅かなものであるため、スピン流の制御方法として、本研究で用いた手法が今後スピントロニクスのデバイスを開発する際に応用されることが期待されます。また、我々の研究を参考にして、引っ張ったり押したりの応力を物質に印加することで新奇なトポロジカル物性を創発する研究が今後活発化することが予想されます。

特記事項

雑誌名:「Nature Materials
論文タイトル:Visualization of the strain-induced topological phase transition in a quasi-one-dimensional superconductor TaSe3
著者: Chun Lin, Masayuki Ochi, Ryo Noguchi, Kenta Kuroda, Masahito Sakoda, Atsushi Nomura, Masakatsu Tsubota, Peng Zhang, Cedric Bareille, Kifu Kurokawa, Yosuke Arai, Kaishu Kawaguchi, Hiroaki Tanaka, Koichiro Yaji, Ayumi Harasawa, Makoto Hashimoto, Donghui Lu, Shik Shin, Ryotaro Arita, Satoshi Tanda, and Takeshi Kondo
DOI:10.1038/s41563-021-01004-4

本研究は、日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP18J21892、JP18H01165、JP19H02683、JP19F19030)、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP 課題番号 JPMXS0118068681)、文部科学省「富岳」成果創出加速プログラム「量子物質の創発と機能のための基礎科学 ―「富岳」と最先端実験の密連携による革新的強相関電子科学」(課題番号:hp200132)の助成を受けて実施されました。

用語説明

トポロジカル絶縁体状態

普通の絶縁体状態とは違い、非自明なトポロジーに起因して結晶表面にスピン流が発生する状態。

トポロジカル相転移

ある安定した状態のことを相とよび、その相が、圧力や温度などの物理変数と共に切り替わることを相転移という。特に、トポロジカル絶縁体状態(トポロジカル相)と普通の絶縁体状態の切り替わりをトポロジカル相転移とよぶ。

スピン流

電子は電荷に加えて磁石の最小単位であるスピンを持つ。電流は電荷が流れている状態であり、スピン流は向きを揃えたスピンが流れている状態である。

スピントロニクス

現代社会の基礎となっているエレクトロニクスでは、電子の「電荷」の性質しか利用していない。電子が持つ「スピン」までも活用する次世代の省エネ技術がスピントロニクスである。

角度分解光電子分光

物質に光を照射して外に飛び出す電子(光電子)の運動エネルギー、および脱出角度を分析することで、物質中の電子の運動量とエネルギーの関係(電子構造)を直接的に調べられる実験手法。さらに、磁化した薄膜に光電子をぶつけ、その反射強度を見積もることで、電子が持つスピンの情報も得られる(スピンを分解する測定)。これらを組み合わせた実験手法により、物質の電子構造が分かるだけでなく、それに付随するスピン構造までもが決定できる。トポロジカル絶縁体の研究では必要不可欠な実験手法である。

放射光

光速に近い速度まで加速された電子の進行方向が磁石などによって変えられた際に発生する電磁波を放射光と呼ぶ。様々な波長の光が容易に得られるため、物質科学研究の光源として活用されている。

スピン偏極

物質中の電子のスピンの向きが運動量に依存する状態。通常の物質では、たとえば右に進む電子のスピンの向きは上下で等しい数となり相殺し合うためスピン流は発生しない。一方、トポロジカル絶縁体状態では右に進む電子は上向きのスピンを、逆に左に進む電子は下向きのスピンを持ち、いわゆるスピンが偏極した状態となるため、スピン流が発生する。

ピエゾ素子

電圧を掛けることで伸び縮みする特性を持つデバイスのこと。この素子に物質を乗せ伸び縮みさせることで、本研究で見出したTaSe3のトポロジカル絶縁体状態を制御し、スピン流のon/offスイッチングが可能となる。