食物を噛みしめる時の分子神経メカニズムを解明

食物を噛みしめる時の分子神経メカニズムを解明

運動ニューロンの序列動員を支配するイオンチャネルの発見

2016-8-3

本研究成果のポイント

TASKチャネル が、運動ニューロンのサイズの序列に従った動員(=サイズの原理)を支配することを初めて明らかにした
・筋の等尺性収縮 時に観察される序列動員の発見以来約半世紀ぶりに、その分子メカニズムを、最も機能的な等尺性収縮である「噛みしめ」運動を遂行する閉口筋支配運動ニューロン において明らかにした
・今後、「噛みしめ」運動障害の発生機構の理解が進むだけでなく、筋萎縮性側索硬化症 の進行メカニズムの解明にもつながる可能性

概要

大阪大学大学院歯学研究科・高次脳口腔機能学講座(口腔生理学教室)の姜英男特任教授、豊田博紀准教授、佐藤元助教、鹿児島大学齋藤充教授らの研究グループは、静止膜電位や入力抵抗を制御するTASKチャネルが、閉口筋運動ニューロンの序列動員を制御する分子基盤であること、また、ガス性神経伝達物質である一酸化窒素(NO)が、TASKチャネルを修飾することにより、序列動員を修飾することも同時に明らかにしました (図1) 。

「噛みしめ」運動は、筋の等尺性収縮としては、唯一機能的なものであり、極めて精密な筋紡錘や唯一脳内に存在する一次感覚ニューロンである三叉神経中脳路核の働きにより制御されています。

最近顎骨や顎の筋肉が十分発育せず、硬い食品を上手く咀嚼できない子供が増えてきています。このような子供は、硬い食品を噛まないのではなく、噛みしめることができないと考えられ、神経筋機構の正常な発達が阻害され、何らかの異常が生じているものと考えられます。

今後本研究を起点として、「噛みしめ」運動障害の理解が進むと同時に、「噛みしめ」運動障害を予防する指導や教育の重要性も理解されていくものと期待されます。今回、こうした機能的等尺性収縮を特徴とする神経回路において、TASKチャネルの発現量に依存した運動ニューロンの序列動員の分子メカニズムを明らかにした意義は大きいと考えられます。

本研究成果は、8月1日〔日本時間8月2日〕に、北米神経科学会(Society for Neuroscience)の公式オープンアクセスジャーナル「eNeuro」に掲載されました。(7月7日にEarly Release Articlesとして公開されました)

図1 NO入力による閉口筋運動ニューロン序列動員の修飾メカニズム

研究の背景

食物を噛みしめる際、閉口筋の長さは殆ど変わらないため、閉口筋の等尺性収縮が生じているものとみなすことができます。等尺性収縮の際、運動単位 は運動ニューロンの軸索径の小さいもの、つまり、伝導速度の遅いものから順に動員されるため、「サイズの原理」として知られています。しかし、こうした序列動員に関与する分子基盤は確定されないまま約半世紀経過しました。

TASKチャネルは、膜電位に依存せずに常に活性化されているカリウムチャネルの一種であり、静止膜電位の形成や入力抵抗の決定に関与していることが知られています。そうしたTASKチャネルは筋肉を支配する運動ニューロンに豊富に発現しているため、運動の制御に重要な役割を果たしているものと考えられてきましたが、その役割についてはほとんど明らかになっていませんでした。

本研究成果の内容

本研究では、はじめに、リアルタイムPCR法 を用いた研究により、閉口筋の大型運動ニューロン(> 35 μm) では小型運動ニューロン(< 20 μm) と比べて、TASK1およびTASK3メッセンジャーRNA(mRNA)が豊富に発現していることを明らかにしました。また、免疫組織化学染色法 を用いた研究により、閉口筋運動ニューロンの細胞体ではTASK1チャネルが発現し、樹状突起 ではTASK3チャネルが発現していることを明らかにしました (図2) 。次に、ホールセルパッチクランプ法 を用いた研究により、閉口筋運動ニューロンのサイズと入力抵抗、閉口筋運動ニューロンのサイズと静止膜電位、および、入力抵抗とスパイク閾値の間には負の相関があることを明らかにしました。また、大きさが異なる2つの運動ニューロンからの同時ホールセルパッチクランプ法を用いた研究により、小型ニューロンが大型ニューロンに常に先行して活性化されることを明らかにしました。これらの結果から、TASKチャネルの発現量に依存して序列動員が決定されることが証明されました。

さらに、小型および大型運動ニューロンの入力抵抗およびスパイク発火に対し、8-Br-cGMP がどのような影響をもたらすかを検討しました。その結果、8-Br-cGMPの投与により、小型運動ニューロンでは入力抵抗が減少し、スパイク発火潜時 が遅延する一方、大型ニューロンでは入力抵抗はほとんど変化していませんでしたが、スパイク発火潜時が短縮していました。このことは、ガス性神経伝達物質のNOの働きによりNO-cGMP-PKG系が活性化され、小型および大型運動ニューロンのスパイク発火潜時の分布範囲の狭小化が起こり、サイズの原理に基づいた序列動員は、同期した動員へと修飾される可能性を示しています (図2) 。

図2 閉口筋運動ニューロンにおけるTASK1およびTASK3チャネルの発現分布
A. 左パネルがcholine acetyltransferase (ChAT) のシグナル、中央パネルはTASK1のシグナル、右パネルが重ね合わせ像を示す。主に細胞体にTASK1が発現している。
B. 左パネルがChATのシグナル、中央パネルはTASK3のシグナル、右パネルが重ね合わせ像を示す。主に樹状突起にTASK3が発現している。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

近年加工食品が氾濫しており、自然食品にくらべて軟らかいため、「噛む」必要性がなくなってきました。このため、顎骨や顎の筋肉が十分発育せず、硬い食品を上手く咀嚼できない子供が増えてきています。このような子供は、硬い食品を噛まないのではなく、噛みしめることができないと考えられ、神経筋機構の正常な発達が阻害され、何らかの異常が生じているものと考えられます。今後本研究を起点として、「噛みしめ」運動障害の理解が進むと同時に、「噛みしめ」運動障害を予防する指導や教育の重要性も理解されていくものと期待されます。

更に、筋萎縮性側索硬化症の原因として、SOD の遺伝子異常が関係することが知られており、SODの働きを欠損させた筋萎縮性側索硬化症モデル動物の幼若期においては、運動ニューロンの序列動員がNOによる修飾を受けたようなパターンになることが明らかになっています。SODの働きが欠損した動物ではNOは活性酸素と結合し、強い細胞障害を引き起こすぺルオキシナイトライト が生成されるため、今回の発見が筋萎縮性側索硬化症の進行メカニズムの解明につながる可能性があります。

特記事項

本研究成果は、8月1日〔日本時間8月2日〕に、北米神経科学会(Society for Neuroscience)の公式オープンアクセスジャーナル「eNeuro」に掲載されました。

論文掲載先URL: http://eneuro.org/content/3/3/ENEURO.0138-16.2016.full.pdf+html
タイトル:“The possible role of TASK channels in rank-ordered recruitment of motoneurons in the dorsolateral part of the trigeminal motor nucleus”
著者名:KeikoOkamoto, NorihitoEmura, HajimeSato, YukiFukatsu, MitsuruSaito, ChieTanaka, YukakoMorita, KayoNishimura, ErikoKuramoto, DongXu Yin, KazuharuFurutani, MakotoOkazawa, YoshihisaKurachi, TakeshiKaneko, YoshinobuMaeda, TakashiYamashiro, KenjiTakada, HirokiToyodaand YoungnamKang

なお、本研究は、科学研究費補助金基盤研究(B)の一環として行われ、京都大学医学研究科高次脳形態学教室金子武嗣教授、大阪大学大学院医学系研究科分子・細胞薬理学教室倉智嘉久教授の協力を得て行われました。

研究者のコメント

等尺性収縮時に見られる運動ニューロンのサイズに基づいた序列動員の神経機構は、神経生理学上の大問題として、約半世紀のもの間、未解決でした。本研究では、この古くから知られてきた「サイズの原理」の分子的実態を明らかにしました。

参考URL

大阪大学 大学院歯学研究科 高次脳口腔機能学講座(口腔生理学教室)
http://web.dent.osaka-u.ac.jp/~phys/

用語説明

TASKチャネル

TWIK-related acid-sensitive K+チャネル :

ポアの形成に関わるドメインが一つのチャネル構成蛋白ユニット上に二つ存在し、二量体を形成することで一つのイオン透過経路をもったイオンチャネルとなる。電位依存性はなく、酸に感受性を示し、その感受性の違いにより、TASK1とTASK3に分類される。静止膜電位の形成や入力抵抗の決定に関与している。

等尺性収縮

筋の長さが変わらず、筋張力のみが増大する収縮のこと。一方、筋の長さのみが変わり筋張力が一定に保たれる収縮のことを等張性収縮という。

閉口筋支配運動ニューロン

口を閉じる筋肉を支配する運動神経細胞のこと。

筋萎縮性側索硬化症

手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気のこと。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる運動ニューロンだけが障害をうける。治療方法は確立していない。

運動単位

1つのα運動ニューロンとそれが支配する全ての筋線維のこと。

リアルタイムPCR法

PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)とは、DNAを複製する方法のことであり、経時的(リアルタイム)に測定する方法をリアルタイムPCR法とよぶ。PCRによる増幅を経時的に測定することで、増幅率に基づいて鋳型となるDNAの定量を行う。

免疫組織化学染色法

抗体を用いて、組織標本中の抗原の分布を検出する組織化学的手法。

樹状突起

神経細胞の細胞体から樹木の枝のように分岐した複数の突起のこと。

ホールセルパッチクランプ法

ガラス電極を用いて、細胞膜全体に発現している多種多様なイオンチャネルならびにトランスポーターを介した電流・電圧を直接的に測定する方法。

8-Br-cGMP

生体内に存在する環状グアノシン一リン酸(cyclic guanosine monophosphate, cGMP)の類似体。NOはcGMPの産生を促進することにより、プロテインキナーゼG(PKG)を活性化する。TASKチャネルはPKGにより活性化される。

スパイク発火潜時

刺激開始からスパイク(活動電位)が生じるまでの時間のこと。

SOD

(Superoxide dismutase):

細胞内に発生した活性酸素(スーパーオキシドアニオン;・O 2 - )を酸素と過酸化水素に分解する酵素。

ぺルオキシナイトライト

生体内の強力な酸化剤であり、ミトコンドリアの機能障害、DNAの開裂、タンパク質のニトロ化や水酸化、脂質の過酸化を起こすことが知られている。