
ガラスの秩序とは何かを解明
熱力学の新たな発展へ
研究成果のポイント
概要
大阪大学産業科学研究所の白井光雲 招へい教授は、ガラスの「秩序変数」を新しい理論で説明し、固体における「秩序」の本性を解明しました。
「秩序変数」とは、固体・液体・気体など、物質の「相」を区別するための指標の一つで、これを考察することにより、物質の状態を特定します。たとえば、水の密度や、磁石の強度などが、この秩序変数として使われています。
結晶では、原子が規則正しく並んでいるので、その並び方(周期性)に「秩序がある」とされます。一方ガラスは、結晶とは異なり、原子の並び方に規則性はありません。
原子の規則性を秩序と考える限り、「ガラスの秩序変数」は、矛盾した存在になります。そのため、結晶の秩序変数とは別のものと解釈されてきました。
今回の研究は、ガラス、結晶を区別することなく、秩序変数の共通の定義が可能であることを示しました。この理論では、固体における秩序とは、「時間的に変わらないこと」が本質的であるとしました。
この新しい理論により、従来から理解が困難であった、ガラスの熱的性質や、ヒステリシス(過去の状態に依存する性質)の研究において、解決の一助となることが期待されています。
本研究成果は、スイスの科学誌「Foundations」に、3月6日(木)(日本時間)に公開されました。
図1. (a)周期性を持たない原子配列。配列(a)は、実は歪んだ空間で観測された正方格子(b)と同じで、それから原子を結ぶ線を取り除いたものと同じ。
研究の背景
物理では物質の秩序を表す量として秩序変数がよく使われます。強磁性に対する秩序変数が例です。これまで、固体の秩序とは結晶の周期性のことを意味すると理解されていました。そうすると周期性を持たないガラスには秩序というものはないことになり、そのような系に対して秩序変数というのは自己矛盾します。しかしながら、ガラスにも何かしらの秩序があることを示す実験事実があります。比熱の解析がその例です。実態が分からないため隠された変数という謎めいた名前も使われ、それが理解をますます困難なものにしました。
そのような状況の中、本研究は、秩序系・無秩序系に関わらず、固体の状態変数とは何かという一見関係ない問題から出発しました。熱力学で言う状態変数は、温度(T)圧力(P)がありますが、それらの量は、実は微視的には時間的に変動している原子の運動エネルギーや、壁に及ぼす力の時間平均で与えられます。つまり、熱揺らぎに対して変わらないものが、状態量です。固体の場合は、固体を構成する各原子の位置は微視的には激しく時間変化Rj(t)をしていますが、しかしその時間平均は平衡位置\bar{R}jとして決まった値を持ちます。したがって\bar{R}jは固体の状態変数となります。原子位置が状態変数という結論は、従来の熱力学の「常識」からはちょっと受け入れられないものです。しかし結晶のエネルギーが欠陥の位置によって変わる事実は、原子位置を状態変数として取り入れない限り理解できません。
研究の内容
結晶の秩序変数という概念は強磁性の例でよく理解できます。磁石は、ある温度(転移温度:Tc)以下で巨視的な磁性すなわち強磁性を持ちます。その結晶を構成する原子が微視的な磁石(スピンと呼ばれる)を持ち、Tc以下の温度では、各原子のもつスピンの向きが一定方向に揃い、巨視的に観測されるような強い磁場を作ります。これが秩序状態です。Tc以上の温度では強磁性はなくなります。これは各原子のスピンがなくなったのではなく、それらは依然としてあるのですが、それぞれの向きが時間的にランダムに変動し、時間平均を取ると0になるのです。これが無秩序状態に対応します。
この場合の無秩序を注意してみると、二つの種類があることに気付きます。一つが各原子のスピンの向きがばらばらであること(つまり空間的な周期性の消失)、もう一つが時間的にばらばらであること(時間平均が0)。本研究では、秩序変数というものを、後者の時間相関に関するものに限定することで、整合性のある理論が構築できることを示しました。
図1(a)に2次元の原子配置の例を示しますが、これには周期性はありません。X線回析実験を行えば、アモルファスと結論されます。しかし実はこれは歪んだ座標(b)で観測すると完全な正方格子となります。つまり完全な秩序を持ちます。したがって「秩序」という場合、時間的に変わらない(熱擾乱によっても不変を保つ)ことのほうが、より本質的と考えられます。これは前述した状態変数の定義と本質的に同じです。つまり固体の場合は、それが周期性を持つかどうかに関係なく、平衡位置\bar{R}jはある決まった値を取りますので、それは状態変数でありかつ秩序変数でもあると結論されます。状態変数は、平衡状態でその値が変わらないものという事実に注目し、それから逆に状態変数を定義できることに気づいたのです。そしてそれが秩序変数の定義と同じであることを見いだしました。これが長年にわたり物理学者を悩ませてきた難問の解答です。これにより、長年謎であったガラスの諸問題、例えば(専門的になりますので説明は省きますが)Prigogine-Defay比が1以上になる問題も説明できます。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究は熱力学の状態変数という基本的概念を再考したものです。従ってその影響というものはガラスだけではなく、物理・化学・生物学など広い範囲に及びます。従来、ガラスなど周期構造を持たない物質、生物物質は熱平衡にない物質として、熱力学の適用外の物質と扱われていましたが、本研究成果によりそのような制限は取り除かれます。DNAは周期構造を持ちませんが、しかし非常に高い秩序状態を持ちます。このような物質に対して、統一した熱力学の扱いが可能となります。
特記事項
本研究成果は、2025年3月6日(木)(日本時間)にスイスの科学誌「Foundations」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Nature of the order parameters of glass”
著者名:K. Shirai
DOI:https://doi.org/10.3390/foundations5010009
なお、本研究は、文部科学省 物質・デバイス領域共同研究拠点事業研究の一環として行われました。
用語説明
- 秩序変数
物理において、物質の秩序を表す量として使われる変数のことを指す。
- 秩序
秩序・無秩序の区別は直感的に明らかである。結晶のように、周期性を持った原子配列を秩序状態と呼び、逆に乱雑な配置のものを無秩序と呼ぶ。しかし乱雑さとは何であろうか?と改めて問うと分からなくなる。図1(a)の原子配置では周期性はない。X線回析実験を行えばアモルファスと結論される。しかし実はこれは(b)のように歪んだ正方格子である。正方格子なので各原子の位置は明確に2次元座標で指定され、完全な秩序状態と考えられる。DNAの核酸塩基の配列には結晶のような周期性はないが、乱雑であったら遺伝情報を伝えることはできない。3.1415…という数字は乱雑であろうか?
- ヒステリシス
固体の場合、状態変数が何であるかが不明であった最大の問題がヒステリシスである。熱力学では、熱平衡状態とは、その物質の現在の状態変数の値(温度:Tや 圧力:P)だけで決まる状態であり、過去の履歴には依らない。しかし鉄の性質は、過去の熱処理などの履歴に依存することは昔からよく知られている。過去の履歴依存がある性質はヒステリシスを持つと呼ばれる。ヒステリシスがあると、その性質が現在の状態変数だけで指定できなくなるので、従来の熱力学では非平衡状態と解釈されてきた。しかしこれでは困ることが起きる。注意深く観測すると、鉄だけでなく全ての結晶はこのヒステリシスを示すことが分かる。結晶成長の研究は、成長条件を変えることで如何に良い結晶を得られるかを研究するものであるが、これはどんな固体も現在の性質が過去の履歴に依存することを示すものである。状態変数をTとPだけに限定すると、固体に対しては熱力学が適用できなくなる。この難問矛盾は1世紀ほど前にブリッジマンによって指摘されて以来、誰も解決できていなかった。
- 状態変数
熱力学では物質の熱平衡状態を表す物理量。温度(T)圧力(P)体積(V)など例を挙げることは容易であるが、状態変数の厳密な定義を問われると困難が生じる。T、Pは熱平衡状態を記述するものであるが、それでは熱平衡状態は何かと問われると、T、Pが一定のものと答えるだろう。つまり熱平衡という概念を理解する前にT、Pが定義されなければならない。鶏が先か卵が先かという問題と同じで、この論理矛盾から逃れられない。気体に対してT、Pが状態変数であることは正しいが、固体の場合それ以外に何かないのかという疑問に対して誰も答えられないのは、この循環論問題のせいである。この長年にわたる難問を解決したものが本研究である。
- アモルファス
通常固体はその固体に固有の結晶構造を持つ。微視的にみると原子は規則的な配置、周期的配置を持ちその周期パターンにより結晶構造が記述される。しかし固体の中にはそのような周期的構造を持たない物質がある。それがガラスに代表されるアモルファス物質である。
- 熱擾乱
通常、物質は平衡状態では静止している。固体中の原子は巨視的には静止している。しかし微視的なサイズでは原子位置は常に揺らいでいる。この揺らぎは温度が高くなればなるほど大きくなる。これを熱擾乱という。温度が有限である限り熱擾乱をなくすることはできない。