進化は変異に対する頑健性を強化し、 新しい形質の出現を遅らせる

進化は変異に対する頑健性を強化し、 新しい形質の出現を遅らせる

進化現象を数理的に研究するための新しい計算手法

2022-2-8自然科学系
サイバーメディアセンター教授菊池誠

研究成果のポイント

  • 生命進化の特性を理論的に研究するために、統計物理学に基づく新しい計算機シミュレーション手法を提案しました。
  • 遺伝子制御ネットワークのモデルを計算機内で進化させると、突然変異に対する頑健性が増強されました。また、今回使った遺伝子制御ネットワークは進化すると双安定性という性質を示しますが、双安定性の出現は進化によって遅れることが示されました。
  • 進化では変異に対して頑健な個体が選ばれやすく、それが双安定性出現の遅れを招いているのではないかと考えられます。この結果は生命進化の普遍的な原理の一端に迫るものです。

概要

大阪大学大学院理学研究科物理学専攻 大学院生の金子忠宗さん(研究当時、博士後期課程。現iCAD株式会社)と大阪大学サイバーメディアセンター菊池誠教授の研究グループは生命の進化を計算機シミュレーションによって研究するための新しい計算手法を提案しました。その手法を使って遺伝子制御ネットワークの進化を調べ、進化が突然変異に対する頑健性を強めることと、進化では新しい形質の出現が遅れることを示す例を見出しました。この研究成果は1月19日に国際科学論文誌「PLOS Computational Biology」に発表されました。

研究の内容

生命は遺伝子の突然変異とそこから現れる形質(表現形)に対する自然選択によって進化します。進化は単に環境に対する適応能力が高い表現形を持つ遺伝子形(遺伝子の組み合わせ)をランダムに選択するのではありません。進化で現れる特有の性質として突然変異に対する頑健性が知られています。突然変異で簡単に機能を失ってしまうような遺伝子形を持つ個体は子孫を残しづらいので、突然変異を受けても簡単には機能を失わないように進化しているのです。では、そのような進化の特性を明らかにするにはどうすればいいでしょう。計算機の中で進化をシミュレーションする研究は広く行われていますが、それだけでは進化という現象の特殊性や普遍性を議論するには不充分で、比較対象が必要です。ランダムに作った遺伝子形の集りと比べればいいのですが、適応度が高い(充分に進化した)遺伝子形は稀なので、単純なランダムサンプリングは役に立ちません。そこで、稀な遺伝子形も効率よくサンプリングできる手法が必要とされています。

そこで、本研究では統計物理学の分野で開発されたマルチカノニカル・アンサンブル法(McMC)を用いて、適応度が低い遺伝子形から適応度が高い遺伝子形までをランダムに作り、その結果を進化のシミュレーションと比較するという新たな研究手法を提案しました。これは、各適応度を持つ遺伝子形にはどのような性質があり、そのうち進化で出現するものにはどのような特徴があるかを明らかにできる手法です。

本研究では遺伝子制御ネットワークの進化に注目しました。細胞内では遺伝子の持つ情報に従ってタンパク質が作られ、これを遺伝子の発現と呼びます。中でも転写因子と呼ばれる一連のタンパク質は他の遺伝子の発現を促進したり抑えたりする働きを持ちます。この仕組みによって細胞の中ではたくさんの遺伝子が互いに発現を制御し合う複雑なネットワークが作られており、環境に合わせて細胞の状態を調節しています。これが遺伝子制御ネットワーク(GRN)です。

新しい手法でGRNのモデルを扱い、突然変異に対してどれくらい頑健かを調べたところ、進化したGRNは同じ適応度を持つランダムに作ったGRNよりも頑健であることが分かりました。また、適応度が高いGRNは双安定という性質を持ちますが、双安定の出現は進化では遅くなることが分かりました。さらに、双安定なGRNはそうではないものに比べて突然変異で機能を失いやすく、これは頑健性の進化が双安定性の出現を遅れさせる原因である可能性を示唆しています。これは進化現象が持つ普遍的な性質のひとつである可能性があります。

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図1. 適応度が上がると双安定性を持つネットワークが増えるが、ランダムに作ったGRNに比べて進化でできたGRNでは双安定性の出現は適応度が高い側(より進化した側)に移動している

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図2. McMCで得られたGRNを双安定とそれ以外に分け、適応度と頑健性の指標の関係を描くと、双安定なものには頑健でないGRNが多数含まれる。頑健性の指標と適応度が一致していれば変異に対して頑健である。

今後の展開

本研究で提案した手法は進化の理論研究一般に使えるので、進化に関係する様々な問題への応用が期待できます。変異に対する頑健性の進化が特定の表現形を選択しやすく(または、しづらく)する可能性は進化の新しい原理として他の問題でも検討する必要があります。また、McMC法で比較対象の組を作る方法は進化だけではなく、例えばニューラルネットの学習の問題にも応用できます。

特記事項

論文情報
タイトル:"Evolution enhances mutational robustness and suppresses the emergence of a new phenotype: A new computational approach for studying evolution"
DOI: 10.1371/journal.pcbi.1009796
著者: Tadamune Kaneko and Macoto Kikuchi
掲載誌: PLOS Computational Biology

参考URL