デジタルツインを活用し介護環境に「豊かな心の世界」を創り出す
大阪大学・NEC Beyond 5G協働研究所
大阪大学・NEC Beyond 5G協働研究所
「NEC Beyond 5G協働研究所(以下、研究所)」は、大阪大学、NEC、双方が有する情報科学や制御工学、都市工学などの知見を融合させ、新たなイノベーションをめざす共創組織として、2021年に誕生しました。Beyond 5GとAI技術を活用し、デジタルツインを高度に発展させた技術を開発していくことを主たる目的としています。デジタルツインとは、現実(リアル)空間を再現したシミュレーション(デジタル)空間でデータの最適化や検証を行い、得られた結果を現実空間に反映させることで、さまざまな社会課題の解決をめざせる技術です。そんな「デジタルツインの進化」をめざす研究所が、共同研究フィールドのひとつとしているのが豊中市の介護施設「柴原モカメゾン」。ここでは、デジタルツインの技術を用いて、「豊かな心の世界」を生みだす新たな介護の在り方を追究しています。
デジタルとリアルの相互成長をめざす、リビングラボ「柴原モカメゾン」
デジタル技術を育てることで、現実世界にも、ポジティブな変化を。
大阪大学・NEC Beyond 5G協働研究所設立の目的と、柴原モカメゾンでの研究がスタートした経緯を教えてください。
麻生:近年「デジタルツイン」という技術が少しずつ一般的になり、皆さんも耳にすることも増えていると思いますが、現時点でまだこの技術は、工場や倉庫など、統制の取れた環境下での活用にとどまっているんです。しかし、デジタルツインを真に社会に役立てていくためには、イレギュラーなことが起こりうる、有機的な環境で活用できるレベルに技術を進化させなければなりません。そのために設置されたのが、NEC Beyond 5G協働研究所。デジタルツインの高度化、人や社会と共存できる技術への昇華をめざして活動しています。
木多:杉田先生と私は以前からさまざまな共同研究に取り組んでいました。柴原モカメゾンも、もともとあった構想のひとつ。新たな介護のあり方を模索する研究の一環として、建築・都市計画を専門とする私が杉田先生と構想し、具現化した高齢者施設を、福祉や経営に精通した杉田先生が運営していくという立て付けで、研究所が設立される前から、事業としては既にスタートしていたんです。
杉田:柴原モカメゾンを運営する中で、介護する側、される側の心理状態や成長を詳しく読み解いていくために、デジタルの力を生かせないか、という想いはずっと持っていました。そんな折に研究所が立ち上がり、麻生さんたちとのつながりが生まれたんです。これはぜひご一緒したいと思いました。
麻生:世界に先駆けて超高齢社会を迎えている日本において、介護に生かせるデジタルツイン技術を確立することは、とても重要なミッションです。私は、介護や認知症に関する知識が全くない状態からのスタートでしたが、大阪大学となら何か新しいことができるはずだ、という大きな期待感をもって挑戦を始めました。
具体的には、どのような活動を展開されているのでしょうか?
木多:収集したご利用者様の動きや表情、生活空間のデータをデジタルツインに組み込み、介護をする側、される側にポジティブな変化を起こしていくことを目的にしています。収集するデータと、起こしたい変化を3つの層に分類しながら、施設のコンセプトイメージも作りました。
「豊かな心の世界」の実現をめざす、柴原モカメゾンコンセプト図
木多:第1層では、血圧や体温といった基礎的なバイタルデータを収集し、居心地の良い環境づくりをめざします。第2層では一歩踏み込んで、ご利用者様や介護士の言動、表情などをセンシング。他者への思いやりにあふれた、あたたかい場づくりに役立てます。第3層では思いやりに根差した行動、発言などを記録。周囲の人々に気づきや学びを与えられるデータとして提示し、「豊かな心の世界」を実現したいと考えています。
麻生:柴原モカメゾンにおける共同研究は2023年3月にスタートしたのですが、活動を始めるにあたり真っ先に行ったのが、こちらのコンセプト図の作成です。当初は、介護とデジタルツイン技術をどう掛け合わせればよいのか全くわかりませんでした。しかし、木多先生、杉田先生と数ヶ月に及ぶディスカッションを繰り返し、ゴールイメージを共有することで「ここをめざすためには、こういう技術が必要だよね」という提案が可能になっていったんです。
杉田:産学共創にあたっては、こういった共通言語、共通認識を育てることが何よりも大切ですよね。
麻生:その通りだと思います。持っている知識や技術は違っても、同じゴールをめざすことができていれば、全員が視点をぶらすことなく前進できるはずです。
柴原モカメゾンだからこそ、得られている成果とは?
杉田:柴原モカメゾンは、実際に認知症の方々が生活を送っている介護施設。私たちはこの場所を、生の現場で研究を行う「リビングラボ」と位置付けています。
木多:生きたフィールドだからこそ、机上の研究にはない成果を得られるのが、この共同研究のおもしろさ。先日も、とても興味深い発見がありました。ご利用者様のお部屋に、動きを感知できる赤外線センサーを設置した時のことです。一晩に何度もナースコールを押し、トイレの介助をお願いされるご利用者様がいらっしゃったのですが、データをよく見ると、ナースコールされていたのは3回に1回程度で、残り2回はご自身でトイレにいっていらっしゃることがわかりました。
麻生:こういったデータが見えてくると、介護を行う側の気持ちも「夜中に何度も介助を頼まれて大変」ではなく、「ご自身でできる限り頑張って、それでも難しい時に頼ってくださっている」というものに変化しますよね。
木多:それ以外にも、ご利用者様自身が、他のご利用者様の車椅子を押してあげていたり、洗い物を手伝っていたり。データを集めなければ見えてこなかった、思いやりにあふれた瞬間をいくつも記録できています。
杉田:通常の介護の現場では、職員が日々の様子を申し送りします。ただ、そういった記録は「調子が悪い」「トラブルがあった」など、マイナス面にフォーカスしがち。フラットに記録をとるデジタルだからこそ、高齢者の方々の心の中、人と人との間にあるあたたかいものを、ピックアップできているのではないかと思っています。
麻生:ときには、センサー機器に対してご利用者様が不安を訴えたり、バイタルを取るためのウェアラブル端末を外して棚の奥に隠してしまったり、といった生きた現場ならではの難しさも。でも、これも人や社会と共存できるデジタルツインの実装をめざすなら、いつか必ずぶつかる壁だと思うんです。そういったフィードバックがリアルタイムで得られ、改善につなげていくことができるので、小さくても着実に、社会実装に向けた一歩を重ねられています。
家庭用ロボットの存在が、利用者の自立や思いやりを引き出すことも
今後の展望や目標について、お聞かせください。
麻生:プロジェクト発足から1年半。現在は、コンセプト図の第1層ができあがり、第2層の仕上げに取り掛かっているところです。道のりはまだまだ長いですが、施設で働いている方々やご利用者様、私たち自身の心に徐々に変化が起こっているのを感じます。
木多:研究の一環として、施設で働く方々へのインタビューを行っているのですが、デジタルツインによって見えてきたご利用者様の想いや行動が、現場職員のやりがいや楽しさにつながっているようです。介護をされる側だけでなく、する側も何かしら成長や変化を受け取ることを大事にしていきたいので、これは大きな成果だと思っています。
杉田:ご利用者様が誰かを思いやる瞬間や、認知症であっても人生を楽しまれている瞬間。そういった奇跡とも言える一瞬一瞬を、根拠をもって記録し、介護に役立てていきたいですね。そのために、今後は表情やお話しされている内容がポジティブかネガティブかなど、より抽象度の高いデータも抽出していければと考えています。
木多:誰かが怒っている、揉めている、といった場面においては、飛び出す言葉や動作が限定的になってくるので、デジタルの力でもある程度拾いやすいと考えられます。一方で、ポジティブな局面においては、出てくる言葉や動作は非常に多面的なものになります。だからこそ、データ化するのが非常に難しい部分もあるんですよね。
杉田:例えば、大好きなパズルを夢中で解かれている瞬間や、言葉はなくても誰かを手助けされている瞬間って、そこに笑顔や言葉がなくても、とてもポジティブな現象だと思うんです。デジタルツインで、そういった文脈や背景を含めてあたたかな一瞬を拾い上げられるようになればと思います。
麻生:抽象的な現象の記録をめざせばめざすほど、技術の細かな調整が必要になります。そこは、私たちNECチームの腕の見せ所。俯きがちなご利用者様でも表情を読み取れる方法はないか、発音がはっきりしていなかったり、方言があったりする会話から、ポジティブなキーワードを拾うにはどうすればいいか。柴原モカメゾンならではの生きた情報を、社内のエンジニアに密に共有しながら、技術の進化をめざしていきたいと考えています。
木多:NEC、柴原モカメゾン、阪大が横並びのチームとして取り組んでいるこのプロジェクトですが、今後の発展をめざす上では、より多様な視点を取り入れていきたいですよね。
麻生:そう思います。「こんなこともできるのでは?」というアイデアを持った人たちにも参加してもらうことで、思いもよらなかった発展が叶ったり、不可能だと思っていた壁を超えられたり、といったことも起こりうるはず。阪大との共創活動に向き合い、その内容を周知する過程で、今後新たにつながりが生まれていくことにも、期待を寄せています。そのために、2025年大阪・関西万博に出展し世界へ発信する予定です。
(2024年8月取材)