卵子や精子の工場である「生殖巣」を作製し、生命発生の起源に迫る。
発生学/ヒューマン・メタバース疾患研究拠点 特任准教授(常勤) 吉野剛史
生物の姿形を運命づける、 発生学の不思議に惹かれて。
北海道大学を卒業し、奈良先端科学技術大学院大学に在籍していた時のこと。受講したとある講義が、私が発生学の道に進む決め手になりました。講義で紹介されたのは、遺伝子操作によって、本来足があるべき場所に羽が生えているニワトリの胎児の画像。たったひとつの遺伝子によって、生物の姿形がここまで大きく変わる。その事実に大きな衝撃を受けた私は、生物の発生メカニズムの解明に強く惹かれるようになったのです。
当時は、幹細胞を用いた再生医療に関する研究の黎明期。奈良先端科学技術大学院大学には、のちにiPS細胞の作製成功によってノーベル生理学・医学賞を受賞される山中伸弥先生をはじめ、私の周囲には再生医療研究に取り組む優秀な研究者が溢れていました。「周りにずば抜けた成果を上げている方々が多いからこそ、その背中を追うようなテーマに取り組んでいては、研究で突き抜けることはできない」と考えた私は、ほとんどの人が研究テーマとしていない「腹膜」の研究に取り組み始めました。
同様の分野を研究している方や先人が少ないテーマでしたので、研究自体は困難を極めました。しかし繰り返し実験やデータ収集を行ううちに、中腎という胎児の器官が、精巣や卵巣といった生殖巣と発生的に非常によく似ていることを発見。この発見を深掘りし、中腎と生殖巣、それぞれの発生を誘導している因子を見つけることができれば、生命を生み出す生殖巣を幹細胞から人為的に発生させることができるはずだ。そう思ったことが、現在の研究テーマに力を注ぐきっかけとなりました。
卵巣オルガノイドが生み出した卵子から、マウスを誕生させることに成功。
幹細胞を用いて卵子や精子といった生殖細胞を生み出す研究は、長年多くの方が取り組んできているテーマです。一方で私は卵子や精子を生み出す生殖巣そのもの、つまり臓器としての機能を有する生殖巣オルガノイド(ミニ臓器)の創出という、独自の研究に取り組んでいます。現在所属している「ヒューマン・メタバース疾患研究拠点(以下、PRIMe)」は、オルガノイドなどを用いて人のツインを生み出し、それを観察、分析することでさまざまな疾患のメカニズム解明や治療方法の確立をめざす組織です。その一翼を担う研究者として、生殖巣を切り口としながら、生殖巣特有の疾患治療や、不妊治療に役立つ知見を明らかにしていくことが私の使命となっています。
現時点で、マウスを用いた卵巣オルガノイドの作製はもちろん、オルガノイドが生み出した卵子からマウスを誕生させることにも成功しています。次のステップとしては、マウスの精巣オルガノイドの作製に挑戦する予定。ゆくゆくはヒトの生殖巣オルガノイドを作製し、それに疾患モデルを持たせることで、PRIMeの疾患研究に貢献していきたいと考えています。ヒトの生殖巣オルガノイド作製という目標を達成できれば、生殖巣や疾患に関する研究が進むだけでなく、卵子や精子を人為的に生み出すことも可能になるなど、生殖に関わるさまざまな研究分野の可能性を広げられるはずです。
また、ヒトだけでなく、さまざまな動物の生殖巣の体細胞を誘導して、その出現過程を理解したいという思いもあります。生殖巣オルガノイドの作製技術を動物に転用することで、もしかしたら、おいしい、病気になりにくいなど遺伝的に優れた特性を持つ家畜や魚介類の繁殖に貢献したり、絶滅危惧種となっている動物の数を回復させたり、といった未来も開いていけるのではないか、と予見しています。
卵巣オルガノイド拡⼤写真(緑/⻘: 卵⺟細胞 ⾚: 顆粒膜細胞 ⽩: 莢膜(きょうまく)細胞)
バイオ×情報・数理科学。異分野融合が切り開く未来とは。
「誰も取り組んでいない研究で、突き抜けよう」。そう思ってあえてニッチな分野を選んでいるため、これまでは研究において、異分野の力を借りたり、誰かと協働したりということは少なかったです。しかしPRIMeに所属して、この状況が少しずつ変化しつつあります。PRIMeは人のツインを作り、疾患の様子や治療の過程を情報・数理科学の力で分析していく組織です。そのため最近は、分析を担う先生方からAIの話を聞くなど、異分野の知見に触れる機会が増えてきました。少し先の未来に向けた種まきの段階ではありますが、異分野の方々との交流を通じて自らの研究がさらなる広がりを見せていくことへの期待を感じています。
学内でのつながりを大切に育てていくと同時に、産婦人科領域の専門家、医師らと連携を強めていくことも今後の目標のひとつです。日本を含む世界中の先進国では、高齢出産をされる方の割合が年々増加しつつあります。また、生殖巣のがんなどが原因で、子どもを諦めざるを得ない方々もたくさんいらっしゃいます。生殖巣オルガノイドは、こういった方々の不妊や生殖巣疾患の解決に力を発揮し、子どもを望む人なら誰でも子どもを持てるという未来をつくりだす可能性を秘めた技術です。多くの人の希望になる技術として、これからも情熱をもって生殖巣オルガノイドの作製に取り組んでいければと考えています。ただ、こういった人の生命の誕生に関わる技術に対しては、倫理的な検討を慎重に重ねることが必要不可欠。私たち研究者は、技術開発一辺倒になることを避け、技術の先にある人や生命の本質を見失わないようにしなければならない、と強く感じています。社会実装が見えてきたタイミングでは、技術がもたらす社会や人への影響を、一般の方々と倫理的な観点から検討する必要性も出てくるでしょう。その点、PRIMeにはELSI(倫理的・法的・社会的課題)の研究グループがありますし、本学には社会技術共創研究センター(ELSIセンター)がありますから、学内の組織間連携を生かせば、こういった難しい壁も乗り越えていけると考えています。
- 2050未来考究 -
不妊に悩む人がいなくなり、誰もが子どもを望める社会に。
近年、「卵子凍結」、「精子凍結」といった言葉が一般的になり、実際にトライする方々も増えてきていると聞きます。将来的に子どもを持ちたいと思った時に備えて、卵子や精子が死滅してしまうがん治療に先んじてなど、凍結に踏み切る理由はさまざまです。しかし生殖巣オルガノイド技術が発展すれば、すでに体内にある卵子をできる限り良い状態で残しておく、といった「保険」は不要に。生殖巣オルガノイドで健康な卵子や精子をつくりだし、受精させることが可能になるからです。技術的、倫理的問題を一歩一歩クリアしながら、人類の繁栄に必要不可欠な「子どもを持つ」という選択肢の幅が広がっていく将来を期待しています。
先生にとって研究とは?
私にとって自己実現の場です。あえて先人のいないテーマに取り組み、悪戦苦闘しながらも研究を続けるのは、「この研究に誰よりも真剣に取り組んでいるのは自分だ」と信じているからです。
●吉野剛史(よしの たかし)
ヒューマン・メタバース疾患研究拠点 特任准教授(常勤)
2000年北海道大学農学部を卒業後、奈良先端科学技術大学院大学にて11年に博士課程を修了。同校の特定研究員を務めたのち、京都大学大学院理学研究科、九州大学大学院医学研究院を経て23年10月大阪大学へ。ヒューマン・メタバース疾患研究拠点(WPI-PRIMe)にてオルガノイド研究に従事。
(2024年7月取材)