究みのStoryZ

いにしえ人の声に耳を澄ます

学問の枠を超えて史料と向き合う

文学研究科 准教授 河上麻由子

「歴史は変わらない」と思ってはいないだろうか。「過去のことが変わるはずがない」と。確かに起こった出来事は変えられないが、出来事に「意味」が加わることで歴史には血が通い出す。そしてその「意味」は、史料の発見や読み解き方によって時として大きく変わる。  古代東洋史学を専門とする文学研究科の河上麻由子准教授は、その最前線に立つ歴史学者の1人。はるかいにしえの人たちが残した声に迫ろうと、きょうも文献史料と向き合う。

いにしえ人の声に耳を澄ます

「仏教」キーワードに常識揺るがす

607年、聖徳太子が小野妹子を使いとして中国・隋の皇帝に書状を送った。歴史の教科書でおなじみの「遣隋使」だ。この時の倭国(日本)側の狙いについて「中国と対等な外交関係を主張した」という考え方が、長く通説として広まっている。根拠は、中国の史書「隋書」に記された書状の内容だ。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」。それまで中国の皇帝に臣従する姿勢で関係を築いてきた倭国だったが、ここにきて同じ「天子」の称号を用いて対等を主張したのだ、と。

河上准教授は、この常識を揺るがした。注目したのは「仏教」というキーワード。「この時代、アジアの各国で仏教の教養が重視されていました。史料をみていくと、広い範囲の国々の対外関係において仏教用語が数多く登場します。」。ならばこの「天子」も仏教用語なのではないか。実は「隋書」でも、書状に関する記述の直前に、倭国の使者が皇帝を「菩薩(ぼさつ)天子」と呼びかけたことが記されている。仏教復興政策を採った皇帝をたたえた上で、自分たちも仏教を大切にしているという意味で「天子」を名乗ったに過ぎず、対等を主張する意図などなかった、と。

こうした「仏教」を切り口とした研究を「古代アジア世界の対外交渉と仏教」「古代日中関係史」の2冊にまとめた河上准教授は2021年、考古・歴史系で優れた業績のあった気鋭の研究者に贈られる「第33回濱田青陵賞」を受賞した。

「鳥の目」で見えてくるもの

濱田賞の受賞理由にも挙げられたのが河上准教授の「広い視野」だ。「東洋史」「日本史」「仏教史」といった枠にとらわれることなく幅広く史料を読み込み思考するその姿勢は、学生時代に培われた。「学部の時に遣隋使を研究し博士論文も日本史で出しましたが、対外関係を研究する時には相手の国の文化や政治、社会状況をすべて理解してからじゃないと本当は書けないはずです。日本史の論文を1本書くために、3~4本の東洋史の論文を書かないと足場を固められなかった」。そうした努力の積み重ねによって、「鳥の目」で歴史を捉え直すことが可能になるのだ。「怖い物知らずだって言われます。自分でもよくこんな大風呂敷を広げたなと思うこともあります」とほほ笑む。

「推しキャラ」愛する歴史好き

原点は少女時代にある。母親の影響で中国史が大好きだった。「小学生の頃から司馬遷の『史記』を読んでいました」。王朝が度々変わり地理的にも複雑で、「難解」というイメージが強い中国史だが、幼かりし河上准教授の頭にすんなりと入ったのは「大好きなキャラクターがいっぱいいたから」。最近の「推し」は、隋王朝の第二代皇帝・煬帝の祖父・楊忠(ようちゅう)。ある戦いで敗走した時、さしかかった川であえてとどまり、敵軍が迫るのを目にしながら「何があっても俺が守る。だから、お前たちは安心して休め」と部下たちを休息させ食事を取らせた、など演出じみた逸話を多く持つ。「当時の中国北部には小集団の英傑がたくさんおり、自分の配下を引き連れて腕っぷしだけで王朝交代に参加していった。勝つ負けるだけでなく、いかに派手に名を残せるかが重要だった」と研究者らしくその背景を分析しつつ、その笑顔は「歴史が楽しくてたまらない」と言わんばかりだ。

世界の成り立ちを知り、未来見据える

世の中には、自身の考え方に合うように歴史の一部を切り貼りして「利用」する人が後を絶たない。SNSが発達し誰でも簡単に情報発信できるようになった昨今、それが拡散しやすくなったとも言える。「怖いと思います。でもその人たちが悪いわけではなく、本当は私たち研究者が、彼らが必要とする知識を届けないといけないんでしょう」と自身の問題として受け止める。著書でも、ピンポイントで歴史を捉えるのではなく、大きな流れとして理解してもらえるように意識しているという。

1000年前のことでも「おととい、くらいの感覚で生きている」と言う河上准教授。そう、歴史は現在と地続きなのだ。「歴史を学ぶことは今生きている世界の成り立ちを知ること。これからどうやって歩いていけばいいのかを教えてくれます」。その視線は、しっかりと未来を見据えている。

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河上准教授が向き合う史料の例。上図は『隋書』倭国伝から。


河上准教授にとって研究とは

何よりも美しいもの。史料と向き合う時、そこは社会や私個人の問題が入り込む隙のない、私と史料しかない静謐な空間になる。それを私は、美しく、崇高だと感じるのです。

河上麻由子(かわかみ まゆこ)
2002年北海道大学文学部卒業、08年九州大大学院人文科学府博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。奈良女子大准教授を経て21年4月から現職。著書に「古代アジア世界の対外交渉と仏教」(‎山川出版社)、「古代日中関係史」(中公新書)など。専門は東アジア史。

(本記事の内容は、2022年2月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです )

(2021年12月取材)