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次のパンデミックに備える

~コロナ禍で挑む感染症専門医の研究と人材育成~

医学系研究科・教授・忽那賢志

世界を震撼させた新型コロナウイルス感染症(COVIDー19)。1918~1920年に猛威を振るったスペイン風邪以来の、100年に1度といわれるパンデミックは私たちの生命や健康を脅かし、社会経済活動にも大きな傷跡を残した。一方で、従来なら考えられなかった速さでワクチンや治療薬が開発され、IT技術を駆使して社会生活を守る試みもあった。コロナ禍の最前線で診療にあたった医学系研究科の忽那賢志教授(感染制御学)は「人類の歴史は感染症との戦いの歴史ですが、グローバル化の進展や地球温暖化で、新興感染症の発生間隔が狭まっている」と警鐘を鳴らし、次への備えを訴えている。

次のパンデミックに備える

回復者の血漿で治療

備えの一つに回復者血漿療法の研究がある。新型コロナウイルスに感染し、回復した人から採取した血漿(血液から赤血球や白血球などを取り除いたもの)を、新たな患者に投与する治療法だ。回復者の血漿には、病原体を攻撃する抗体が豊富に含まれている。アメリカで緊急使用が承認され注目されているが、有効性は現時点では確立されているものではなく、多くの症例を蓄積し、治療効果や安全性を慎重に評価していくことが不可欠だ。

 忽那教授は「スペイン風邪でも使われた古典的な方法ですが、現在はより質の高い血漿を選ぶ技術があります。この手法は新型コロナ以外にも転用できる。次の感染症が現れてもすぐに使える体制を整えておくことが大切」と話す。

 患者の基礎疾患の有無や病状、治療内容、後遺症などのデータを蓄積するレジストリ研究も重要なテーマ。従来は診察した医師がデータを入力していたが、患者が自らスマホのアプリを使って入力する方法も試みている。「どんな人の重症化リスクが高いのか、どんな後遺症がいつごろまで続くのか、ワクチン接種の副反応にどのようなものがあるのか。患者さん自身が入力することで、はるかに幅広い情報が集まる」と期待を寄せる。

 また感染症専門家の重要な役割として「抗菌薬の適正使用」の推進を挙げる。第2次世界大戦で多くの戦傷者を感染症から救ったペニシリンなどの抗菌薬は人類に福音をもたらした。一方で、乱用により薬が効かない耐性菌が誕生し、院内感染など新たな弊害ももたらしている。そうした危険性の啓発に加え、「薬剤に頼らない感染対策」の可能性を探っている。たとえばセミの羽が持つ微細な突起が病原菌を殺す働きがあることに注目し、院内感染防止に活かそうというユニークなアイデアも温めている。

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血液内科医志望から感染症研究へ

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 忽那教授が感染症専門医を目指したのは研修医のときだったという。「小学生のときに父が白血病で亡くなり、血液内科医を志しました。しかし研修先の病院で感染症に苦しむ患者さんが多いことに気付きました。白血病で入院した患者さんも感染症で亡くなっている。それなのに感染症のことを系統だって知る医師が少なく、必ずしも適切な治療がなされていなかった」というもどかしさからだ。

 そして感染症医として第1歩を踏み出したころ、奈良県内の病院で回帰熱の患者を診たことが次の転機となった。中央アジアからの帰国者で、日本初の症例だった。海外の感染症に興味を持ち、2012年から国立国際医療研究センターの国際感染症センターに勤務。そこには空港の検疫所から次々と帰国感染症の患者が送られてくる。「5種類あるすべてのマラリアや、国内初のジカ熱の患者さんも診ました。私は日本で最も多くの感染症を報告した医者だと勝手に名乗っているんですよ」と笑う。

 そんなエキスパートでも、2019年暮れに中国・武漢で発生した「謎の肺炎」がこれほど拡大するとは想像できなかった。年明け早々に日本に上陸した新型コロナと最前線で戦う日々が続いた。

「苦労も多いが、やりがいもある」

戦いを通じ、「日本は感染症への備えが十分でなかった」と痛感した。新興感染症は限られた指定医療機関だけで診ることが前提で、爆発的な感染拡大に対処しきれなかった。PCR検査の数が足りず、検査対象を絞らざるを得ない時期があった。病床があふれ、「医療崩壊」という言葉がマスメディアを賑わせた。“専門家”を称する人たちが科学的根拠を欠く発言を繰り返すことも歯がゆかった。「少なくとも現在1600人いる感染症専門医を倍にしなければならない。専門の看護師や医療従事者も足りない。なによりも感染症に対する国民の知識を底上げしなければ」との思いを強くした。

 感染症専門医は細菌やウイルスを顕微鏡で観察し、患者さんと一対一で向き合うだけでなく、海外の動向にも目を配る必要がある。ミクロからマクロまで幅広い視点が必要だ。忽那教授も、コンゴ共和国でエボラ出血熱の対策に従事した経験で視野が広がった。「苦労も多いけれど、活躍のフィールドが広く、やりがいのある仕事」だと振り返る。

 天然痘と戦った幕末の蘭方医・緒方洪庵ゆかりの「適塾」を源流とし、微生物研究所や免疫学フロンティア研究センターという世界的な研究拠点を持つ大阪大学は「感染症の研究や教育に最も適した環境」と話す。2021年4月に発足した大阪大学感染症総合教育研究拠点では人材育成部門の副部門長に着任。後進の育成にもあたる現在、「今の高校生はコロナ禍で学校生活がゆがめられ、感染症が社会にどれほどの変動を与えるか身をもって理解している。その中から感染症に立ち向かう若者が一人でも増えてほしい」と呼びかけている。

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忽那教授にとって「研究」とは?

臨床で浮かび上がった疑問点を解決する手段。 患者さんの診療をしていると、「世の中にまだ正解が存在しない問題」に出くわす場面があります。問題を解決できる道筋を考え、答えを見つけ出すために、私は研究しています。 ある意味、同じことの繰り返しである臨床を、刺激を保ちながら続けるためにも、並行して研究することが大事だと思っています。

【経歴】

忽那賢志(くつな・さとし)

2004年3月 山口大学医学部医学科卒業

2010年4月 市立奈良病院感染制御内科医長

2012年4月 国立国際医療研究センター 国際感染症センター医員(フェロー)

2018年1月 同 国際感染症対策室医長

2020年7月 大阪大学 医学部附属病院感染制御部部長

2021年7月 同 大学院医学系研究科教授

同 感染症総合教育研究拠点人材育成部門副部門長

医学博士

※本件は「大阪大学GUIDE BOOK 2023」に掲載された記事を転載したものです。

(2022年2月取材)