
肺がん治療薬の効きにくさを生む 新たな代謝機構を発見
概要
金沢大学大学院医薬保健学総合研究科医学専攻博士課程4年のRenata Akhmetzianova (レナータ アフメトジアノヴァ)、がん進展制御研究所の河野晋准教授、髙橋智聡教授、大阪大学大学院情報科学研究科の松田史生教授、岡橋伸幸准教授、谷口赳夫助教(バイオ情報工学)、公益財団法人がん研究会のプロジェクトリーダー北嶋俊輔らの共同研究グループは、KEAP1遺伝子が不活性化した肺がんにおいて、ピルビン酸カルボキシラーゼ(PC)を介した代謝経路がKRAS G12C阻害薬への治療抵抗性を生み出す新しい代謝メカニズムを発見しました(図1)。
KRAS G12C変異を有する肺がんに対しては、ソトラシブなどのKRAS G12C阻害薬が治療薬として使用されています。しかし、一部のがん患者では治療開始時から薬剤が効きにくく、十分な効果が得られないことが課題となっています。特に、KEAP1やSTK11などの遺伝子異常を伴う肺がんでは治療効果が低いことが知られていますが、その背景にあるメカニズムは十分には明らかになっていませんでした。
本研究では、KEAP1遺伝子が失われたがん細胞では、PCの発現が増加し、がん細胞が薬剤治療下でも増殖に必要な物質を作り続けられることを明らかにしました。さらに、PCを欠損させると肺がん細胞のKRAS G12C阻害薬への感受性が回復し、マウスを用いた実験でも腫瘍増殖が抑制されました。これらの結果から、PCを介した代謝経路が、KEAP1異常を有する肺がんの治療抵抗性に重要であることが示されました。
本研究成果は、がん細胞の代謝を標的とすることで、KRAS G12C阻害薬が効きにくい肺がんの治療効果を改善する新たな治療戦略の開発につながることが期待されます。
本研究成果は,2026年10月2日19時(日本時間)に国際学術誌『Cell Death & Disease』(Springer Nature社)のオンライン版に掲載されました。
図1. 肺がん治療薬が効きにくくなるメカニズム (Illustration: Prr)
(OAA:オキサロ酢酸、Aspartate:アスパラギン酸、Pyrimidine:ピリミジン)
研究の背景
KRASは、肺がんをはじめとする多くのがんで変異が認められる代表的ながん遺伝子です。近年、KRAS G12C変異を直接阻害するソトラシブなどの分子標的薬が開発され、KRAS変異がんに対する新たな治療法として使用されています。一方で、同じKRAS G12C変異を持つ肺がんでも治療効果には大きな差があり、特にKEAP1やSTK11などの遺伝子異常を伴う肺がんでは、治療開始時からKRAS G12C阻害薬が効きにくいことが知られています。
しかし、こうした遺伝子異常を持つがん細胞が、なぜKRAS G12C阻害薬に抵抗性を示すのか、その細胞内メカニズムは十分に明らかになっていませんでした。そこで本研究グループは、KEAP1の不活性化に伴うがん細胞の代謝変化に着目し、KRAS G12C阻害薬への治療抵抗性を支える仕組みの解明を目指しました。
研究の内容
本研究グループは、KEAP1が不活性化した肺がん細胞では、代謝酵素であるPCの発現が増加し、KRAS G12C阻害薬に対して抵抗性を示すことを明らかにしました。PCは、グルコースから生じるピルビン酸をオキサロ酢酸へと変換する酵素です。KEAP1を失ったがん細胞では、このPCを介した代謝経路が活性化することで、オキサロ酢酸からアスパラギン酸を経て、さらにDNAやRNAの材料となるピリミジンヌクレオチドの合成が維持されていました。
KRAS G12C阻害薬によってがん細胞の増殖シグナルが抑えられると、通常は細胞増殖に必要な代謝活動も低下します。しかし、KEAP1が不活性化した細胞ではPCを利用してヌクレオチドの供給を維持することで、この代謝的な制約を回避していました。そこでPCを遺伝学的に欠損させると、肺がん細胞のKRAS G12C阻害薬への感受性が回復しました。さらに、マウスを用いた腫瘍モデルにおいても、PCの欠損によってKRAS G12C阻害薬による腫瘍増殖抑制効果が高まることを確認しました。
これらの結果から、KEAP1の不活性化によって生じるPC依存的な代謝変化が、KRAS G12C阻害薬への治療抵抗性を支える重要なメカニズムであることが明らかになりました。
今後の展開
KRAS G12C阻害薬に対する治療抵抗性については、これまで主に細胞内シグナル伝達経路の変化が研究されてきました。本研究は、がん細胞が代謝を組み替えることで薬剤治療下でも生存に必要な物質を確保し、治療抵抗性を獲得することを示したものです。特に、KEAP1という遺伝子異常とPCを介した代謝経路を結びつけた点は、治療抵抗性を理解する新たな視点を提供するものです。
KEAP1の異常はKRAS変異肺がんの一部で認められ、KRAS G12C阻害薬の治療効果を低下させる要因の一つと考えられています。本研究成果から、PCあるいはその下流の代謝経路を標的とすることで、KRAS G12C阻害薬が効きにくい肺がんの治療効果を改善できる可能性が示されました。今後は、PCを標的とする治療法の開発や、どのようながん患者がこの治療戦略の恩恵を受けるかを明らかにすることで、難治性肺がんに対する新たな治療法の創出につなげることを目指します。
特記事項
【論文情報】
雑誌名:Cell Death & Disease
論文名:Pyruvate carboxylase drives therapeutic resistance to KRAS G12C inhibitors in KEAP1-mutant lung cancer
(PCはKEAP1変異肺がんにおけるKRAS G12C阻害薬耐性を促進する)
著者名:Renata Akhmetzianova, Takeo Taniguchi, Nobunari Sasaki, Mizuki Homme, Yukino Machida, Nobuyuki Okahashi, Tomoyoshi Soga, Dean Thumkeo, Fumio Matsuda, Chiaki Takahashi, Shunsuke Kitajima, and Susumu Kohno
(Renata Akhmetzianova, 谷口赳夫、佐々木信成、本目みずき、町田雪乃、岡橋伸幸、曽我朋義、Dean Thumkeo、松田史生、高橋智聡、北嶋俊輔、河野晋)
掲載日時:2026年10月2日19時(日本時間)にオンライン版に掲載
DOI:10.1038/s41419-026-09299-4
本研究は,文部科学省科学研究費助成事業「科研費」(JP20K07612, JP20H03509)、共同利用・共同研究システム形成事業~学際領域展開ハブ形成プログラム~(JPMXP1323015484)の支援を受けて実施されました。
用語説明
- KRAS G12C変異
KRASは、細胞の増殖や生存を調節するタンパク質を作る遺伝子です。KRAS G12C変異は、KRASタンパク質の12番目のアミノ酸がグリシンからシステインに置き換わる遺伝子変異で、肺がんなどで認められます。この変異を持つKRASを選択的に阻害する薬剤として、ソトラシブなどが開発されています。
- KRAS G12C阻害薬
KRAS G12C変異を持つKRASタンパク質に選択的に結合し、その働きを抑える分子標的薬です。本研究では、KRAS G12C阻害薬であるソトラシブを用いて解析を行いました。
- KEAP1
KEAP1は、細胞が酸化ストレスなどに応答する仕組みを調節するタンパク質です。通常は転写因子NRF2の活性を抑えていますが、KEAP1が不活性化するとNRF2が持続的に活性化し、細胞の代謝やストレス応答に関わる多くの遺伝子の発現が変化します。KEAP1の異常は肺がんの一部で認められます。
- ピルビン酸カルボキシラーゼ(PC)
細胞内のミトコンドリアに存在する代謝酵素で、ピルビン酸からオキサロ酢酸を作る反応を触媒します。オキサロ酢酸はクエン酸回路の中間体であるとともに、アスパラギン酸や核酸の材料となる物質の合成にも利用されます。
- オキサロ酢酸・アスパラギン酸
オキサロ酢酸(OAA)はクエン酸回路を構成する代謝物の一つです。オキサロ酢酸から作られるアスパラギン酸(Aspartate)は、タンパク質の材料となるアミノ酸であるだけでなく、DNAやRNAを構成するヌクレオチドの合成にも必要です。
