
光の損失に強い量子もつれ配送の新手法を実証
「ハイブリッド量子もつれ」により広域量子ネットワークの実現へ前進
研究成果のポイント
概要
慶應義塾大学大学院理工学研究科の清水耀(博士課程2年)、同大学理工学部電気情報工学科の武岡正裕教授らの研究グループは、同大学理工学部物理情報工学科の早瀬潤子教授および大阪大学大学院基礎工学研究科/量子情報・量子生命研究センター(QIQB)兼任の生田力三准教授らと共同で、新たな量子もつれ配送手法の実験的実証に成功しました。
本研究では、異なる性質の量子状態を組み合わせた「ハイブリッド量子もつれ」と、1個の光子の検出を利用して離れた量子もつれを接続する手法を組み合わせた量子もつれ配送実験を行いました。その結果、光損失が増加した場合でも、量子もつれの伝送効率の低下が従来方式より緩やかになることを実験的に明らかにしました。
本成果は、光損失が大きくなる長距離の量子通信において、量子もつれをより効率よく配送するための新たなアプローチを示すものです。将来的には、複数の量子機器を広域に接続する量子ネットワークの実現に貢献することが期待されます。
本研究成果は、2026年9月8日に、アメリカ光学会が出版する国際学術誌 Optica に掲載されました。
研究の背景
量子コンピューティング、量子センシング、量子暗号といった量子技術は、従来の技術では実現不可能な性能を可能にするものとして、実用化が進みつつあります。最近では、これらの量子デバイスをネットワーク化し、量子情報を直接やり取りする「量子ネットワーク」が実現できれば、分散量子計算やネットワーク量子センサー、次世代量子暗号ネットワークなど、量子技術の広域的な活用が可能になると期待されています。
この量子ネットワークを実現する重要な資源が「量子もつれ」です。量子情報をやり取りするためには、量子もつれと呼ばれる量子力学特有の相関を持った光子対の片側を光ファイバ等で伝送し、離れた2地点で共有する必要があります(図1上)。一方、現在広く用いられている光ファイバでは、伝送距離が長くなるほど光子が失われる確率、すなわち損失が大きくなるという課題があります。もつれ配送では一つ一つの光子に情報を載せるため、この光損失は特に大きな問題となります。
従来の送信側から受信側まで直接届ける方法では、距離が長くなるにつれて量子もつれ配送の成功確率が指数関数的に急速に低下してしまいます。この課題を解決する手段としては、量子中継技術が知られていますが、実用化にはまだいくつかのブレイクスルーを必要とするのが現状です。そのため、「既存の技術で実装可能な方法で、大きな損失がある環境下でもいかにして量子もつれを効率的に届けるか」が、量子ネットワークの長距離化および応用展開に重要な課題となっていました。
図1. 量子もつれ配送の概念図
研究の内容
本研究では、量子もつれを端から端まで直接送るのではなく、通信路の途中で量子状態を接続する量子もつれ交換という現象に着目しました。量子もつれ交換は、離れた量子同士を直接相互作用させることなく、中間に位置する光子を測定することで両端に量子もつれを作る方法で、量子テレポーテーションと同じ原理を利用しています。
研究グループは、光の「偏光」の量子ビット(偏光量子ビット)と「光子が存在するかどうか」からなる量子ビット(光子数量子ビット)という異なる性質を組み合わせた、特殊な量子もつれ(ハイブリッド量子もつれ)光の光源技術を開発しました。実験では、この光源を伝送する両端(地点A, B)に設置し、それぞれの地点から光子数量子ビットを中央へ向けて伝送しました。そして、通信路の中央で光子を検出することで量子もつれ交換を行い、離れた地点A, Bの間に偏光の量子もつれを生成させることに成功しました(図1下)。
この方法は、伝送される光の量子ビットは中央でわずか1個の光子が検出されれば、量子もつれの生成を確認できることが重要な特徴です。これは、光子の有無を利用する光子数量子ビットを用いたことで初めて実現可能となりました。
実験の結果、通信路の光損失を増加させた場合でも、量子もつれを得られる頻度の低下は従来の直接伝送方式よりも緩やかになることを確認しました(図2右)。さらに、ハイブリッド量子もつれ光を活用することで、量子もつれ交換後に地点A, B間で共有される光は、利便性の高い偏光量子ビットの量子もつれ光になります(図3)。本結果は、光損失が大きな環境においても応用価値の高い偏光量子もつれ光を効率よく配送できる可能性を実験的に示した初の成果になります。
図2. (左)実験系の一部。(中央)配布した量子もつれの測定結果。(右)本手法と従来手法の損失に対する配布成功率の変化の比較。提案手法(赤線)の方が緩やかな低下になっている。
図3. 量子もつれ交換の概念図
今後の展開
本研究では、長距離量子ネットワークの構築における大きな課題の一つであった光損失に対し、新しい量子もつれ伝送方式が有効であることを実証しました。
今後は、より長距離の光ファイバを用いた実証や、複数の中継地点を持つ高度なネットワークへの拡張、さらにフィールド敷設ファイバでの実証を進めることで、広域量子ネットワークへの応用を目指します。
さらに、本研究で開発した方式は、光との親和性の高い冷却原子型量子コンピュータやダイヤモンドNV中心を用いた量子メモリなどのさまざまな種類の量子情報デバイスと組み合わせやすい特長を持っています。そのため、次世代量子ネットワークを構成する基盤技術として広く活用されることが期待されます。
特記事項
【論文情報】
タイトル:Improving the rate-loss scaling in polarization entanglement distribution using single-click entanglement swapping
著者:Hikaru Shimizu, Joe Yoshimoto, Daiki Ichii, Junko Ishi-Hayase, Rikizo Ikuta, Masahiro Takeoka
原著論文情報:Optica Vol. 13, Issue 9, pp. 1838-1844 (2026)
DOI: https://doi.org/10.1364/OPTICA.590840
本研究は、JST CRONOS (JPMJCS24N6)、JST ASPIRE (JPMJAP2427)、JST ムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2061, JPMJMS226C, JPMJMS2066)、MIC「ICT重点技術の研究開発プロジェクト」(JPMI00316)、JST FOREST (JPMJFR222V)、JST CREST (JPMJCR24A5)、MEXT 「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」(JPMXS0118067395)、慶應義塾大学「次世代研究プロジェクト推進プログラム」の支援を受けて行われました。
用語説明
- 量子ネットワーク
離れた場所にある量子コンピュータや量子センサー、量子暗号などの量子デバイスを量子もつれによって接続し、量子技術の応用を広域に展開するネットワーク技術。量子インターネットとも呼ばれる。
- 量子もつれ
古典力学では説明のできない特殊な相関を持つ関係を持つ、離れた粒子間の量子状態。多くの量子技術は量子もつれ状態を活用することにより実現される。
- 量子もつれ交換
量子もつれ状態にある2つの光子対の片方ずつを干渉測定することにより、離れた地点で量子もつれの共有を可能にする技術。
- 光子
光のエネルギーの最小単位。
- 量子中継
量子通信の抜本的な長距離化を可能にする技術。実現には、光の量子情報を保存・処理できる量子メモリ(量子プロセッサー)や大規模な数の光子に複雑な量子もつれ形成する技術を高精度に実現する必要がある。
- 量子テレポーテーション
量子もつれ状態を利用することで任意の量子情報をある地点から別の地点へと転送する技術。
