
\mRNA創薬の新展開/ 軟骨が壊れ始める“最初の一歩”をメッセンジャーRNA(mRNA)で食い止める
「疾患を治療する」から「疾患を成立させない」変形性関節症治療へ
研究成果のポイント
- 関節軟骨のコラーゲン線維構造をつなぎ留める役割を果たす9型コラーゲンの減少・機能不全が、その後の軟骨変性を進行させる引き金となっていることを発見
- 関節軟骨は種々の原因により変性を生ずると、自然に修復される能力は乏しく、有効な治療薬も存在していなかったが、9型コラーゲンをコードするmRNAを関節内に投与することにより、変形性関節症の発生・進行を抑える治療に成功
- 9型コラーゲンmRNAは、軟骨構造をつなぎ留める“分子のかすがい(ステープル)”として働き、軟骨変性を成立させない「疾患インターセプション」という新たな治療概念に繋がることに期待
概要
大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)臨床生命工学チーム(医学系研究科協力講座)の位髙啓史教授、矢田英理香招へい研究員、昭和医科大学歯学部歯科理工学講座の柴田陽教授、周君(Jun Zhou)助教、東京科学大学の寺井湧貴さん(博士課程・研究当時)、英国Exeter大学のC. Peter Winlove教授、Junning Chen博士、Jingrui Hu博士、豪州Sydney大学のJingxiao Zhong博士らの研究グループは、関節軟骨のコラーゲン線維構造をつなぎ留める役割を果たす9型コラーゲン(Col9)mRNAが、変形性関節症の軟骨変性の治療に有効であることを見出しました。
関節軟骨は種々の原因により変性を生ずると、それが自然に修復される能力は乏しく、有効な治療薬もこれまで存在しませんでした。今回研究グループは、変形性関節症モデル動物の関節軟骨に対する、ナノ力学解析およびコラーゲン分子配向イメージングを用いた解析により、軟骨組織内のコラーゲン線維構造(主に2型コラーゲン)を支える働きを持つ9型コラーゲンが、軟骨変性の超初期から機能不全を生じ、軟骨変性の引き金となることを発見しました。さらに、この9型コラーゲンをコードするmRNAを、投与部位に炎症を起こさないナノミセル型mRNAキャリアを用いて関節内投与することにより、変形性関節症の発生・進行を抑える治療効果が得られました。発症した疾患を治療するのではなく、疾患を成立させない「疾患インターセプション」治療薬として、今後の応用が期待される成果で、感染症を含むさまざまな難治性疾患に対する新しい予防・治療法の創出に繋がることが期待されます。
なお、既に関節疾患治療用mRNA医薬として、軟骨誘導性転写因子RUNX1 mRNAを用いたナノミセル型キャリア製剤が、現在豪州で臨床試験中ですが、本成果のCol9 mRNAはこれと全く異なる治療メカニズムに基づく軟骨治療用mRNA医薬であり、RUNX1 mRNAとの併用も含めて、さらに強力な治療薬開発に繋がることが期待されます。
本研究成果は、国際科学誌「Science Advances」に、9月3日(木)3時(日本時間)に公開されました。
図1. コラーゲン線維を架橋して構造を支える9型コラーゲン
研究の背景
ヒトの変形性関節症(OA)では、関節軟骨の変性はある時点で突然起こるのではなく、加齢や長年にわたる力学的負荷などを背景として、長い時間をかけて徐々に進行することが一般的です。一方で、目に見える軟骨変性が生じる以前に、軟骨組織の内部でどのような分子・構造変化が始まり、それがどのように不可逆的な軟骨変性へつながるのかについては、まだ十分に解明されていません。もし、この目に見えない初期段階で起こる変化を明らかにし、それを早期に抑えることができれば、失われた軟骨を後から修復するのではなく、軟骨が壊れ始める前に変性の進行そのものを食い止める、新しいOA治療につながる可能性があります。
研究グループでは、この軟骨内の軟骨細胞の機能を積極的に高める手段として、mRNA医薬に着目してきました。mRNAは、目的とするタンパク質をmRNAの形で細胞内に導入することで、一過性に細胞機能の制御が可能です。研究グループは、既に軟骨形成・恒常性維持に関わる転写因子RUNX1をコードするmRNAを、ナノミセル型キャリアを用いて関節内へ投与し、軟骨細胞の機能を活性化する治療法を開発してきました。RUNX1 mRNAは、複数の変形性関節症モデル動物において軟骨変性を抑制し、軟骨組織の維持・修復を促進する効果を示しています。この成果に基づき、RUNX1 mRNA製剤は現在、第I相臨床試験へと進み、関節疾患に対する治療用mRNA医薬の臨床応用が現実の段階に入りつつあります。
本研究はこのmRNAの軟骨治療への新たな展開として、OA超初期の軟骨変性に着目した治療因子の同定、OAモデル動物の治療に成功したものです。
研究の内容
ラット膝関節の内側半月板、内側側副靱帯を切除して、関節不安定性を誘導したOAモデル動物を用いて、軟骨をナノ力学解析およびコラーゲン分子配向イメージング法で解析すると、驚くべきことに、まだ組織学的には全く軟骨変性が認められない術後3日の時点で、分子レベルではコラーゲン配向構造の乱れを生じており、その後も変化がさらに進行して、数週で組織学的に確認される軟骨変性に繋がることが分かりました。遺伝子発現解析などを行うと、コラーゲン線維同士をつなぎ留め、軟骨の高次構造を安定化する9型コラーゲンの発現が早期から低下していることを見出しました。すなわち、目に見える軟骨変性を生ずる前に、9型コラーゲンの発現低下・機能不全を起点として、コラーゲンネットワークの秩序が崩れ、軟骨の力学的性質が変化していくことが示唆されました。
そこで研究グループは、この9型コラーゲンを補うことができれば、コラーゲンネットワークの崩れを食い止め、その後に続く軟骨変性を抑えられるのではないかと考えました。しかし、9型コラーゲンのような細胞外マトリックス分子を完成したタンパク質として軟骨の適切な場所に届け、周囲のコラーゲンネットワークに組み込ませることは容易ではありません。そこで、9型コラーゲンをコードするmRNA(col9 mRNA)を軟骨細胞に届け、軟骨細胞自身に必要なタンパク質を作らせる方法を考えました。
上記のOAモデル動物の関節内にナノミセル型キャリアを用いてcol9 mRNAを投与したところ、その後の軟骨変性が明らかに抑えられました(右図)。またナノ力学解析では軟骨の力学特性が維持され、コラーゲン分子配向イメージングでも、コラーゲン配向構造が良好に保たれていることが確認されました。
これらの結果は、軟骨が壊れ始めるきっかけとなるコラーゲン配向構造の乱れを、9型コラーゲンという「分子のかすがい(ステープル)」を補うことによって防ぐという、新しい治療メカニズムに基づくOA治療の可能性を示すものです。
図2. ラットOA膝へのcol9 mRNA関節内投与後の組織像(投与後3週)
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
mRNAは新型コロナウイルスワクチンとして初めて実用化された新しいクスリの形ですが、どのようなタンパク質をどのような細胞に対しても発現させることができるので、疾患治療薬としても広く期待されています。研究グループは既に関節疾患治療用mRNA医薬として、軟骨誘導性転写因子RUNX1 mRNAを用いたナノミセル型キャリア製剤を開発し、現在PrimRNA社により豪州で臨床試験中です。RUNX1は軟骨細胞内で転写因子として働き、軟骨基質の産生や組織の恒常性維持に関わる細胞機能を広く活性化します。
一方本成果のCol9 mRNAは、軟骨変性のごく初期に失われる「分子ステープル」を補い、コラーゲンネットワークの高次構造を直接維持することを狙った治療です。すなわち、両者は全く異なる仕組みから軟骨を守る治療であり、将来はこの2つのmRNAを組み合わせることで、「壊れ始めた軟骨構造を支える」作用と、「軟骨細胞自身の維持・修復能力を高める」作用を同時に引き出すことも可能です。mRNAは塩基配列を変えることで異なる治療因子を柔軟に組み合わせられることから、このような複数のメカニズムを同時に標的とする治療は、mRNA医薬の大きな利点の1つです。
さらに本研究は既に進行した軟骨変性を治療するだけでなく、臨床的・組織学的に明らかな疾患が成立する前に生じる分子・微細構造レベルの変化を捉え、その段階で介入することによって疾患そのものの成立や進展を食い止める「疾患インターセプション」という新たな治療概念につながる成果です。疾患ごとに異なる「病態の初動」を捉え、それに応じた分子を迅速かつ柔軟に設計できるmRNA医薬の特性を活かすことで、関節疾患のみならず、感染症を含むさまざまな難治性疾患に対する新しい予防・治療法の創出に繋がることが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2026年9月3日(木)3時(日本時間)に国際科学誌「Science Advances」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Restoring pre-osteoarthritis cartilage matrix integrity via Col9 mRNA halts osteoarthritis progression”
著者名:Jun Zhou, Jingrui Hu, Erica Yada, Jingxiao Zhong, Yuki Terai, C. Peter Winlove,Junning Chen, Yo Shibata, Keiji Itaka
DOI:10.1126/sciadv.aef9739
なお、本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金、日本医療研究開発機構(AMED)、科学技術振興機構(JST)COI-NEXTなどの支援のもとで行われました。
また、本研究は「日本財団・大阪大学 感染症対策プロジェクト」の一環として実施されました。
参考URL
SDGsの目標
用語説明
- mRNA
メッセンジャーRNA。細胞の中で、タンパク質をつくるための設計図として働く物質。必要なmRNAを体内に届けることで、目的のタンパク質を一時的につくらせることができる。新型コロナウイルスワクチンにも使われたことで広く知られるようになった。
- ナノ力学解析
nanoindentation。原子間力顕微鏡などを用いて、組織のごく微小な領域を押し込み、その硬さや弾性などの力学的性質を評価する解析手法。通常の組織観察では捉えにくい、組織構造の微細な変化に伴う力学特性の異常を高い空間分解能で検出できる。
- コラーゲン分子配向イメージング
偏光第二高調波(pSHG)イメージング。レーザー光をコラーゲンのような規則正しい分子構造に照射した際に、入射した光の2倍の周波数(半分の波長)をもつ光が発生する現象を利用したイメージング法。コラーゲンではその強度が分子の配向方向などに依存するため、組織内のコラーゲン構造を非染色で観察・解析することができる。
- ナノミセル型キャリア
mRNAと合成高分子で形成されるナノサイズのキャリア。mRNAを安定に保持しながら、投与部位に炎症を起こさずにmRNAを働かせることができる。mRNAワクチンで広く用いられる脂質ナノ粒子(LNP)とは全く異なるキャリアである。

