
量子物質に新たな境界線
磁性を生み出す近藤効果を実証
研究成果のポイント
概要
大阪公立大学大学院理学研究科の山口 博則准教授、冨永 悠大学院生(研究当時)、埼玉医科大学の古谷 峻介講師、大阪大学大学院理学研究科の木田 孝則助教、萩原 政幸教授、防衛大学校の荒木 幸治講師らの研究グループは、有機ラジカルとニッケルを組み合わせた有機無機ハイブリッド磁性体を用いて、量子スピンがネックレス状に連なる新しいタイプの近藤ネックレスの実現に成功しました。
本研究では、量子物質において知られている、スピンの大きさが量子状態を決めるという原理が、物性物理の基本現象である近藤効果にも当てはまることを世界で初めて実証しました。通常、近藤効果は、スピンが最も小さい場合には磁性を弱めることが知られています。しかし本研究において、スピンが1/2より大きい場合に、近藤効果が磁性を生み出す力として働くことを、実験と量子解析の両面から明らかにしました。つまり、スピンが最小の場合と、それより大きい場合で近藤効果の役割が根本的に入れ替わるという、量子物質に新しい境界線を示したことになります。本成果は、スピンの大きさによって量子状態を切り替えるという新しい制御原理を提示し、将来的には量子情報デバイスの実現に向けた革新的な基盤技術となる可能性が期待されます。
本研究成果は、2026年1月20日に国際学術誌「Communications Materials」にオンライン掲載されました。
研究の背景
現代の固体物性研究では、電子に備わるスピンの相関が生み出す多様な量子状態を理解することが大きな課題となっています。近藤効果はその代表例で、伝導電子と局在スピンの量子相関により重い電子系や量子臨界現象が現れる複雑なメカニズムです。この複雑な現象を純粋なスピン自由度だけで捉えるために提案されたのが「近藤ネックレス」です。近藤格子系を本質的なスピン相関にまでそぎ落としたこのモデルは、量子相の起源を明らかにする理想的な理論枠組みですが、実験的な実現は困難でした。
一方、量子物質の世界では、スピンの大きさが変わるだけで基底状態が質的に変化するという特徴があり、ハルデン状態に象徴されるように、この性質は新しい量子相の発見につながってきました。
本研究は、スピンの大きさが量子状態を決めるという普遍的原理を、近藤効果という基本現象にまで拡張し、実験的に検証するという挑戦のもとに行いました。
研究の内容
本研究グループは、有機ラジカル分子の空間配置と相互作用を精密に制御する独自手法 RaX-D(Radical-based crystal eXpansion-Design)を用いて、量子物質の新しい構造設計に取り組んできました。RaX-D により構築された分子性磁性体は、無機物では実現が難しい多様な量子モデルを自在に組み上げられる点が大きな特徴です。その成果の一つとして、先行研究において、鎖状に並んだスピン1/2 に、“飾り” として別のスピン1/2 を結合させた近藤ネックレスの実現に成功し、近藤カップリングによってスピンが非磁性化されることを明らかにしました。
本研究では、さらに発展させ、飾り部分のスピンを1/2から1へと拡張した近藤ネックレスを新たに合成することに成功しました。分子内のニッケル元素がスピン1を担い、主鎖の有機ラジカルと近藤カップリングを形成する構造です。熱力学特性により、この系が低温で磁気秩序を示し、磁場で秩序が崩壊する量子相転移を起こすことが明らかになりました。また量子的解析により、飾り部分のスピンが1/2の場合とは全く異なり、本系を含むスピン1以上の場合では、近藤効果が磁性を抑えるのではなく、磁性を生成する方向に働くことを実証しました。これは、スピンの大きさによって近藤効果の役割が質的に変化する量子物質の新たな境界線を示す成果であり、近藤格子系の理解を広げる重要な一歩となります。
図1. 本研究で合成した有機無機ハイブリッド磁性体[Ni(p-Py-V-p-F)(H₂O)₅]・2NO₃の結晶構造とスピンの相関が創り出す近藤ネックレス。
図2. 近藤ネックレスにおける非磁性状態(飾りスピン1/2)と磁気秩序状態(飾りスピン1)の概略図。
期待される効果・今後の展開
本研究で示した、スピンの大きさによって近藤効果の働き方が根本的に変わるという新しい量子原理は、近藤格子系をはじめとする広範な固体物性の理解を大きく広げる成果です。量子物質では、スピンの大きさが物質の量子状態を決めることが知られていますが、この原理が物性物理の基本現象である近藤効果にも当てはまることを世界で初めて示しました。
この成果により、スピンサイズを制御することで量子状態の安定性や結合の強弱を設計できることが明確となり、量子ビット設計など量子コンピューティングとの親和性が極めて高い点でも注目されます。今回得られた知見は、量子物質科学に新たな境界線を引くとともに、量子状態を思い通りに切り替えるという新しい材料設計指針を与えるものであり、次世代の量子材料探索や量子技術への応用に向けた大きな前進となります。
特記事項
【論文情報】
【発表雑誌】Communications Materials
【論 文 名】Emergence of Kondo-assisted Néel order in a Kondo necklace model
【著 者】Hironori Yamaguchi, Shunsuke C. Furuya, Yu Tominaga, Takanori Kida, Koji Araki, and Masayuki Hagiwara
【DOI URL】https://doi.org/10.1038/s43246-025-01027-3
【掲載URL】https://www.nature.com/articles/s43246-025-01027-3
本研究の一部は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 さきがけ(JPMJPR2599)及び東京大学物性研究所共同利用プログラム(大阪大学大学院理学研究科附属先端強磁場科学研究センターにて実施)の支援を受けて行われました。
用語説明
- 近藤ネックレス
1977年にセバスチャン・ドニアック博士が提唱した、電子の「スピン」に自由度を絞って近藤格子を簡略化した量子モデル。新しい量子相の発現を予測する重要なモデルとして注目されてきたが、その実験的実現は長く達成されていなかった。2025年に山口准教授らの研究により世界で初めて実現され、量子物質研究に新たな展開をもたらしている。
- 近藤効果
金属中の伝導電子が局在スピンと相互作用することで現れる特有の量子現象。金属中の磁性や電子状態に大きな変化をもたらす。初めて理論的に説明した近藤 淳博士の名を冠して近藤効果と呼ばれている。
- 有機ラジカル
不対電子を持つ有機分子の総称。通常は反応性が高いが、分子設計によって安定化させることで有機磁性体として利用できる。
- 近藤格子
局在スピンと伝導電子が相互作用して生じる量子現象を記述する模型。伝導電子は局在スピンと結びつくだけでなく、離れたスピン同士の相互作用も媒介するため、磁性や電子状態の形成に重要な役割を果たす。重い電子系や量子臨界現象など、多様な量子物質の理解に欠かせない基盤モデルとなっている。
- ハルデン状態
局在スピンが直線状に並ぶ量子物質で、スピンの大きさによって基底状態が質的に変化する。量子物質の新しい分類原理として評価され、2016年のノーベル物理学賞にもつながった。本研究とも共通し、スピンの大きさが量子現象の“境界線”をつくる代表例となっている。
- 量子コンピューティング
量子力学の原理を利用して計算を行う次世代の情報処理技術。従来のコンピューターでは難しい計算を高速に処理できると期待されている。新材料設計、創薬、機械学習など幅広い分野で応用が見込まれ、量子物質の性質を精密に制御する技術とも深く結びつくことで大きな進展が期待されている。
