
細胞が倍速で増えるCHL-YN細胞の特徴に迫る網羅的解析
バイオ医薬品開発を加速させる高増殖能の裏にあるメカニズムの解明に期待
研究成果のポイント
- 組換えタンパク質等を生産するための従来の生産宿主細胞(CHO細胞)よりも2倍速く増殖するCHL-YN細胞について、mRNAとタンパク質の網羅的解析を行うことで、細胞内のエネルギーやバイオマスの生産、細胞周期に関する経路が活性化しているなどの特徴が明らかに。
- 生産宿主の増殖速度はバイオ医薬品の生産や研究開発のスピードに影響を与えることから、細胞の増殖能に関わる因子の探索は重要な課題であったが、CHL-YN細胞の高い増殖能のメカニズムはこれまで限定的にしか調査されていなかった。
- CHL-YN細胞の特徴を活かすことで、バイオ医薬品の生産系構築にかかる時間が短縮されるだけでなく、より幅広いバイオ医薬品や生産方法へ対応できる可能性に期待。
概要
大阪大学大学院工学研究科の山野-足立範子准教授、角田悠さん(博士後期課程)、大政健史教授らの研究グループは、米国Johns Hopkins大学のMichael Betenbaugh教授らと共同で、従来の生産宿主細胞の倍速で増殖するCHL-YN細胞を網羅的に解析し、細胞内のエネルギーやバイオマスの生産、細胞周期に関する経路が活性化していることを明らかにしました。
抗体医薬品の大半を生産するチャイニーズハムスター(Cricetulus griseus)の卵巣由来細胞(Chinese hamster ovary:CHO細胞)は、倍加時間が約20時間であり、生産系の構築に多くの時間を要すという課題があります。近年、研究グループによって新しく樹立されたChinese hamster lung (CHL)-YN細胞は、倍加時間が約10時間と従来のCHO細胞の半分の時間で増殖するという特徴を有しています。しかし、CHL-YN細胞がなぜ高い増殖能を示すのか、またCHO細胞と生産宿主としてどのように異なるのかといった全体像については、これまで十分に解明されていませんでした。
今回の研究では、CHL-YN細胞の特徴を詳細に調査するため、CHO細胞と比較して、細胞自体の主要な構成要素であり、細胞活動の中心でもあるmRNAおよびタンパク質レベルでの網羅的解析を行いました。その結果、CHL-YN細胞では、細胞増殖に必須のエネルギーやバイオマスを生産する細胞内経路や細胞の成長・分裂を支える細胞周期に関わる経路が活性化していることを明らかにしました。さらに、タンパク質の翻訳に関する経路がCHO細胞より特徴的に活性化していることが示されました。これらの特徴を活かすことで、新たな生産方法の開発や、多様なバイオ医薬品への応用が期待されます。
本研究成果は、英国科学誌「Scientific Reports」(オンライン)に、11月13日に公開されました。
図1. CHL-YN細胞で活性化していた経路 (赤は翻訳に関わる経路)
研究の背景
研究グループによって2015年に新規樹立されたCHL-YN細胞は、従来のCHO細胞の約2倍の増殖能を有していますが、細胞内のどのような経路の活性の違いが高い増殖能を支えているのか、また、生産宿主細胞として何が異なっているのかは、これまで限定的にしか調査されていませんでした。生産宿主の増殖速度はバイオ医薬品の生産や研究開発のスピードに直接的に影響を与えるため、細胞の増殖能に関わる因子の探索は重要な課題でした。
研究の内容
研究グループでは、CHL-YN細胞の全体像への理解を加速させるため、バイオインフォマティクスによる統計的解析手法により、mRNAとタンパク質のレベルで網羅的に解析し、CHO細胞との比較を行いました。CHL-YN細胞では、細胞増殖に必須であるエネルギーやバイオマスの生産に関わる経路や細胞周期に関わる経路が活性していることが明らかとなりました。さらに、タンパク質の翻訳に関わる経路が特に活性化していることが明らかとなりました。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、バイオ医薬品の研究開発を加速するために必要な細胞の増殖能を左右する細胞内経路の解明に貢献し、また、CHO細胞では難しかった新しい生産方法や幅広いバイオ医薬品への応用が期待されます。
特記事項
本研究成果は、2025年11月13日に米国科学誌「Scientific Reports」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Comparative omics profiling reveals differences in biomass, energy production, and vesicle transport between CHO and fast-growing CHL-YN cells”
著者名:Yu Tsunoda, Rintaro Arishima, Tatiana Boronina, Robert Cole, Noriko Yamano-Adachi*, Michael Betenbaugh, Takeshi Omasa
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-025-23503-z
なお、本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「次世代治療・診断実現のための創薬基盤技術開発事業(国際競争力のある次世代抗体医薬品製造技術開発)」の研究の一環として行われました。
また、本研究はU.S. National Science Foundation (NSF) によるバイオ医薬品製造に関する研究を行う博士課程学生の米国及び欧州・アジア各国間での交換留学・共同研究を支援するプログラム「International Biomanufacturing Network (iBioNe)」、および、大阪大学の「次世代挑戦的研究者育成プロジェクト」の海外短期研修支援事業に、角田悠さんが採択されることで実現しました。これを皮切りに、上記のプログラム等を通じたバイオ医薬品製造産業分野における日米等の研究協力・人材交流が加速していくことが期待されます。
参考URL
山野-足立範子准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/9b0c9c8eaf6f7227.html
大政健史教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/367d56926416ca3a.html
SDGsの目標
用語説明
- 生産宿主
組換えタンパク質等を生産するための細胞。外来遺伝子を宿主となる生産宿主に導入し、生産宿主細胞内で外来遺伝子を発現させることで、組換えタンパク質が生産される。
- 倍加時間
細胞の数が2倍になるまでにかかる時間のことである。
- 細胞周期
1つの細胞が分裂して2つの細胞になるまでの過程。この過程はDNA合成準備、DNA合成、分裂準備、分裂の4段階で構成され、細胞が増殖するために必要な過程である。
- 翻訳
細胞が遺伝情報を読み取り、タンパク質を作るしくみのことである。リボソームと呼ばれる細胞内の小器官が、RNAに書かれた遺伝情報をもとに、アミノ酸を一つずつ正しい順番でつなげ、タンパク質を組み立てていく。

