
左右の手のように異なる“キラル”分子構造が、太陽電池の性能を高める鍵に!
CISS効果によるスピン選択的電荷輸送を活用した新たな戦略を提案
研究成果のポイント
- 分子構造に面外方向の非対称性とキラリティー(右手・左手のような構造)を導入した「キラル二面性NFA」を開発し、次世代エネルギーデバイスとして注目される有機太陽電池の発電効率を高める新しい分子設計戦略を提案
- 有機太陽電池にキラル二面性NFAを用いることで、電子のスピンを選択的に通す「CISS効果」により、光電変換過程において電荷再結合が抑制され、性能が向上することを実証
- キラリティーによるスピン制御を太陽電池に応用する新戦略を示し、「スピン太陽電池」などのスピントロニクスデバイスの開発につながる新たな可能性を示した
概要
大阪大学大学院工学研究科の大学院生のLi Shuangさん(博士後期課程)、石割文崇招へい准教授(現 東京都立大学 准教授)、佐伯昭紀教授らの研究グループは、キラル物質に特有の電子のスピンを選択的に通す「CISS効果(Chirality-Induced Spin Selectivity)」を活用することで、有機太陽電池の発電効率を高める新しい分子設計指針を提案しました。
有機太陽電池は、軽量・柔軟で印刷プロセスにも適した次世代エネルギーデバイスとして注目されていますが、そのさらなる高効率化と新しい設計指針の確立が求められています。研究グループは、分子構造に面外方向の非対称性とキラリティーを導入した新しい非フラーレンアクセプター(NFA)分子「キラル二面性NFA」を開発しました。そして、このキラル二面性NFAを用いた太陽電池デバイスを作製し、光電変換過程においてバルクヘテロジャンクション(BHJ) 内での電荷再結合が抑制され、性能が向上することを実証しました。
さらに、キラルではないドナー性ポリマーと混合したバルクヘテロジャンクションの状態でもCISS効果が発現し、ホモキラルな二面性NFAを用いた際にも高い光電変換効率が得られました。
本成果は、有機半導体におけるスピン選択的電荷輸送を実際のデバイス性能に結びつけた初の例であり、「キラリティーに基づく有機太陽電池性能向上の新戦略」を示すとともに、今後の「スピン太陽電池」などのスピントロニクスデバイスの開発への展開も期待されます。
本研究成果は、ドイツ科学誌「Angewandte Chemie International Edition」に、11月11日に公開されました。
図1. 本研究の概要:CISSを示すキラル二面性非フラーレンアクセプターの合成と太陽電池への応用
研究の背景
電子供与性(ドナー性)有機半導体材料と電子受容性(アクセプター性)有機半導体材料とを混合したバルクヘテロジャンクション(BHJ)層を活性層として用いた有機太陽電池は、軽量・柔軟で印刷プロセスにも適した次世代エネルギーデバイスとして注目されていますが、そのさらなる高効率化と新しい設計指針の確立が求められています。
BHJ層のアクセプター材料としてはドナー性部位の両端にアクセプター性部位を結合させた化学構造の、非フラーレンアクセプター(NFA)と呼ばれる分子を用いることで高性能化が実現でき、現在ではNFA材料の開発競争が世界中で行われています。高性能なNFA材料の設計指針として、NFAの化学構造を左右非対称にした「非対称NFA」という分子デザインが有用であると言われており、その開発も注目が集まっています。従来の非対称NFAは、もっぱら左右の構造が異なる、左右非対称型のNFAが開発されていました。
キラルな電導性材料には「不斉誘起スピン偏極効果 {CISS効果: Chiral(ity)-Induced Spin Selectivity効果}」により、その材料内では電流の電子スピンの向きが揃ったスピン偏極電流が発生する現象が発見され、こちらもその効果の応用の観点からも非常に注目されている分野です。これまでに研究グループでは、高性能なNFAの基本骨格として広く用いられてきた、インダセノジチオフェン(IDT)の骨格に不斉を持たせた「キラル二面性IDT」骨格(図2a)の開発を行っており、それを主鎖に持つキラル半導体性ポリマー(poly-(S,S)-ITD, poly-(R,R)-IDT)がCISS効果を示し、約70%という高い偏極率のスピン偏極電流を示すことを報告してきました(図2b、2024年9月13日プレスリリース・https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2024/20240913_1)。
研究グループは、この「キラル二面性IDT」を中央の電子ドナー性部位に用いることで、キラルで二面性構造(= 面外異方性)を有する新しい非対称NFA類(図2c)の開発を目指していました。
図2. (a) 従来のキラルではないIDTと本研究グループで開発したキラルな二面性IDT骨格。 (b) キラル二面性IDT骨格を用いてこれまでに開発してきたpoly-(S,S)-ITD, poly-(R,R)-IDTの化学構造とCISS特性。 (c) 本研究でキラル二面性IDT骨格を用いて開発したNFAの構造と、単一膜、BHJ膜におけるCISS特性。 EHは2-エチルヘキシル基を表す。
研究の内容
今回、研究グループは、新しい設計戦略の左右非対称NFAとして、面外の非対称性と不斉(キラリティー)を併せ持つ、「キラル二面性NFA」の開発に成功しました(図2c)。キラル二面性IDTの両端にアクセプター部位を結合させ、キラルかつ二面性構造を有するNFA類、(S,S)-IE4F、(R,R)-IE4Fを合成することで、これを実現しました(図2c)。
この(S,S)-IE4F、(R,R)-IE4Fのスピンコート薄膜は、poly-(S,S)-ITD、poly-(R,R)-IDTと同様に、70%程度の高いスピン偏極率を示すことがわかりました(図2c)。さらに、ホモキラルではないドナー性の有機材料であるPBDB-T(図2c)と混合してスピンコートすることにより得られるBHJ薄膜では、50%程度のスピン偏極率のCISS効果を示し、BHJ中でも片方のスピン偏極電流を流しやすいことがわかりました(図2c)。このように片方のスピン偏極電流を流しやすい状態では、BHJ層内で光照射により発生した電子と正孔が再結合して電荷が消失し、太陽電池の変換効率を下げてしまう電荷再結合の過程がスピン禁制となるため、電荷再結合を抑制できる可能性がありました。
そこで本研究では、NFA類において、二面性構造とキラリティーが太陽電池特性に与える影響を調査するために、(S,S)-IE4Fと(R,R)-IE4Fの等量混合物であり、CISS効果を示さない二面性構造を持つラセミ体のrac-IE4Fおよび、二面性構造と不斉を持たない構造異性体であるmeso-IE4Fを用意し、PBDB-TとのBHJを用いた太陽電池デバイスを作成してその性能を評価しました(図3a)。すると、二面性構造を持たないmeso-IE4Fは2.4%程度の光電変換効率でしたが、二面性構造を持つrac-IE4Fを用いると6.9%程度まで向上し、面外非対称性構造の導入も性能向上に有効であることがわかりました。さらに、ホモキラルな(S,S)-IE4Fと(R,R)-IE4Fを用いたデバイスでは8.2%程度の光電変換効率となり、さらなる性能向上が実現できました。
その理由について調べるため、この太陽電池デバイスの、短絡状態における光電流量(Jsc)の照射光量(Plight)の依存性を調査しました。これらの間には、PlightSはJscに比例する(Jsc∝PlightS)という関係が成り立ち、S = 1の時、電荷再結合は起きておらず、Sが小さい場合は電荷再結合により電荷が失われてしまっていることを意味しています。このSの値はrac-IE4Fを用いた場合には0.966であり、比較的高い値でしたが、(S,S)-IE4Fと(R,R)-IE4Fでは0.982、0.985と、さらに1に近づきました。また、CISSを示すホモキラルなNFA中ではさらに電荷再結合が抑制されていることがわかり、この再結合抑制効果により太陽電池性能が向上したと考えられます。
図3. (a) 本研究で用いたキラル二面性NFA (S,S)-IE4F, (R,R)-IE4Fの化学構造と、参照化合物としてのmeso-IE4Fの化学構造。rac-IE4Fは (S,S)-IE4Fと(R,R)-IE4Fの1:1の混合物。 (b) PBDB-TとIE4FとのBHJを発電層として用いた有機太陽電池の素子性能 (光電変換効率)。 (c) 太陽電池素子の構造とPBDB-Tの化学構造。 (d) 太陽電池素子の短絡状態での光電流 (Jsc) の照射光量(Plight)依存性。 図内の表はJsc∝PlightSにおけるSの値を表す。 (e) CISS特性を示すNFA内での、想定される電荷再結合抑制のメカニズム。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究により、分子の「右手・左手」のようなキラリティー構造を積極的に利用することで、スピン物性を制御して太陽電池の光電変換効率を高めるという、新しい分子設計戦略が示されました。これにより、有機半導体分子の電子的・光学的機能に加え、スピン依存輸送という新たな自由度を組み合わせたデバイス設計が可能となります。
キラルな有機材料は、軽量で柔軟、かつレアメタルを用いずに作製できるという特長を持つことから、環境負荷の少ない次世代エネルギー変換デバイスへの応用が期待されます。特に、CISS効果を活用したスピン選択的な光電変換や電荷分離制御の概念は、将来的に高効率なスピン太陽電池(spin photovoltaic devices)やスピン光電子デバイスの開発へとつながる可能性があります。
さらに、本研究は、これまで主に基礎物理や電極反応などの領域で議論・応用されてきたCISS効果を、太陽電池という光電変換デバイスの動作原理に直接結びつけた初めての実証例の一つであり、スピン化学・有機電子材料・太陽電池研究の融合領域を切り拓く重要な成果です。
特記事項
本研究成果は、ドイツ科学誌「Angewandte Chemie International Edition」に、11月11日に公開されました。
タイトル:Chiral Bifacial Non-Fullerene Acceptors with Chirality-Induced Spin Selectivity: A Homochiral Strategy to Improve Organic Solar Cell Performance
著者名: Shuang Li, Fumitaka Ishiwari, Shaoxian Li, Yumi Yakiyama, Akinori Saeki
DOI:https://doi.org/10.1002/anie.202518505
本研究はJST 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR23O2)、同 さきがけ(JPMJPR21A2)、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究 A(JP24H00484)、学術変革領域研究(A)(超セラミックス, JP23H04626)、学術変革領域研究(B)(ラダーポリマー, 25H01406, JP25H01409)の支援を受けて行われました。
参考URL
佐伯 昭紀 教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/9edffb14f50a9e1f.html
SDGsの目標
用語説明
- キラル
鏡に映した像が元の像と重なり合わない(右手と左手のような関係)性質。右手系の分子と左手系の分子の関係のことを鏡像異性体(エナンチオマー)という。
特に、異なる置換基が4つ結合した炭素原子はキラルになり、化学式などではアスタリスクをつけて表され、国際純正・応用化学連合(IUPAC)の右回転の置換基の配列の分子をR体、左回転のものをS体と呼ぶ。鏡像関係の異性体が存在する性質のことをキラルというため、キラルという形容詞だけでは鏡像異性体の片方のことだけ(「ホモキラル体」)を指しているのか、鏡像異性体の等量混合物である「ラセミ体」を指しているのかの判別ができないが、この記事内ではキラルという形容詞でホモキラル体を指していることとする。歴史的に、旋光性を示すかどうかがホモキラルかどうかを示す指標であったため、ホモキラル体が偏って存在している場合、光学活性と呼ばれ、ラセミ体のような鏡像異性体の等量混合物は光学不活性と呼ばれる。
本研究で用いたPBDB-Tは側鎖に2-エチルヘキシル基(EH基)を有し、これは不斉炭素原子を含むため、PBDB-Tはキラルな物質であるが、EH基は全体でラセミ体であり、光学不活性となっている。その観点では、今回合成したIE4FにもEH基が含まれるため、meso-IE4Fも実際はキラルな異性体を含むが、(R,R)-IE4FはEH基は全体でラセミ体であるものを用いているので、光学不活性である。
- CISS効果
Chirality-Induced Spin Selectivity。キラルな分子や物質に、電子スピンの向きがランダムな電流を通過させると、キラルな分子や物質のスピンフィルター効果により、通過後にスピン偏極電流が得られる効果。この効果の応用先として、スピントロニクス素子への応用の他に、酸素発生や酸素還元など、様々検討されている。今回の成果では、太陽電池の高性能化という新しい応用先が見つかったと言える。
- 有機太陽電池
炭素を主成分とする有機化合物(分子や高分子)を用いて光を電気に変える太陽電池のこと。軽量で柔軟性があり、印刷のような簡便なプロセスで作製できるため、次世代のクリーンエネルギーデバイスとして注目されている。
太陽光を受けて発電する「発電層」には、電子を与えるドナー材料と電子を受け取るアクセプター材料を微細に混合した「バルクヘテロジャンクション(BHJ)」構造が用いられる。このBHJ層内で光によって生じた電子と正孔が効率よく分離・移動することが、高い光電変換効率に向けた鍵となる。
- 非フラーレンアクセプター(NFA)
有機太陽電池のBHJ発電層において、電子を輸送する役割(アクセプター)を担う有機分子。従来は球状の炭素分子「フラーレン(C₆₀)」誘導体が主に用いられていたが、NFAは平面性を持つ[アクセプター]–[ドナー]–[アクセプター](A–D–A)型構造を基本とし、分子設計の自由度が高い点が特徴である。この構造により、光吸収範囲の拡大、分子配列の制御、そしてドナー材料とのエネルギー準位整合の最適化が容易になり、有機太陽電池の高効率化を実現してきた。近年では、分子を左右非対称に設計して分子内に電気双極子(ダイポール)を導入することで、電荷の分離や輸送をより効率的にする「非対称NFA」の研究も進んでいる。
- 電荷再結合
有機太陽電池の発電層では、光を吸収すると電子と正孔(正の電荷)が対になって生成される。これらが電極まで移動して分離されることで電流が生じるが、途中で電子と正孔が再び結合してしまう現象を「電荷再結合」と呼ぶ。電荷再結合が起こると、発電に寄与しない電荷が失われるため、光電変換効率の低下につながる。特に有機太陽電池では、分子構造や薄膜の分子配列に依存して再結合が起こりやすくなるため、これを抑制することが高効率化の鍵となる。
- 光電変換効率
太陽電池が受け取った光エネルギーをどれだけ効率よく電気エネルギーに変換できるかを示す指標。 入射した光のエネルギーに対して取り出せる電力の割合を百分率(%)で表し、太陽電池の性能を評価する最も基本的な指標の一つである。
- スピントロニクスデバイス
電子の電荷としての性質だけでなく、スピン(電子がもつ磁石のような性質)も利用する新しい電子デバイスのこと。スピン太陽電池はその応用の一つで、光照射による発電過程でスピンの向きがそろったスピン偏極電流を発生させることを目指す太陽電池である。これまでのスピン太陽電池では、発電層に磁性体を用いてスピンの向きを制御していたが、キラル分子を用いることで磁性体を使わずにスピン選択性を実現する新しいアプローチが可能になると考えられる。
- スピン偏極電流
電子スピンの向きが一方向にそろった電流のこと。電子スピン自体はキラルではないが、それに電流の方向という要素が加わったスピン偏極電流においては、電子スピンが逆方向を向いたスピン偏極電流同士はキラルであるとみなすことができる。キラルな物質に対しては、スピンの向きが反対のスピン偏極電流は異なる挙動(伝導度など)を原理的には示し得る、というのがCISS効果。
スピン偏極電流の偏りの度合いはスピン偏極率で表され、スピン偏極率 = (上向スピン偏極電流値 ― 下向きスピン偏極電流値)÷(上向スピン偏極電流値+下向きスピン偏極電流値) で表される。
- スピンコート
物質を水や有機溶媒に溶解させ、その溶液を回転する基板の上に垂らすことで均一な膜を成膜する手法。高真空が必要な蒸着などとは異なり、大気圧下で簡便に一定内の面積に成膜できる。
- スピン禁制
電子と正孔は「スピン」と呼ばれる磁気的な性質(上向き↑・下向き↓)を持っている。電子と正孔のスピンの向きが同じ平行スピン(↑↑または↓↓)の場合、スピン保存則により“スピン禁制”となり、再結合が起こりにくくなる。一方、スピンの向きが反対の反平行スピン(↑↓)の場合は、 “スピン許容”となり、容易に再結合が起こる。
CISS効果により特定のスピン向きを持つ電荷が優先的に輸送されると、電子と正孔のスピンが一致しやすくなり、結果としてスピン禁制状態が増えて再結合が抑制されると考えられる。
- 光電流量(Jsc)の照射光量(Plight)の依存性
短絡状態における光電流と照射光の強さの関係(Jsc–Plight特性)を調べることで、生成した電荷がどの程度再結合して失われているかを評価できる。光強度に比例して電流が増えるほど(Sの値が1に近いほど)、再結合が少なく効率的に電荷が取り出されていることを意味する。


