
折れ曲がった芳香環を持つ カーボンナノリングの創出に成功
ひずみを利用したマルチスピン分子創出への大きな一歩
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院理学研究科の大学院生の槙原優太さん(博士後期課程2年)、久保孝史教授、西内智彦准教授らの研究グループは、大きく歪んだ芳香環を有した特別なカーボンナノリング [2.2]CAPPの創出に成功しました。このカーボンナノリングは、その環骨格において、通常、ベンゼン環に特徴的な芳香族性が分子ひずみによって失われたことで高い反応性を示す「キノイド構造」を有することを明らかにしました(図1)。
これまでに報告されているカーボンナノリングは、基本的にベンゼン環を多数繋げた分子骨格を有しており、各ベンゼン環が有する芳香族性は保たれたままでした。量子化学計算では、芳香環の数が少ないカーボンナノリングにおいては芳香族性が失われたキノイド構造を示すことが予測されていましたが、これまでにそのようなキノイド構造を有する分子の単離と構造評価については実施されていませんでした。
今回、研究グループは、ベンゼン環を3つ繋げた「アントラセン」と呼ばれる芳香環をベンゼン環と交互に配置した合計4つの芳香環から構成される非常に小さなカーボンナノリング[2.2]CAPPを設計・合成しました。この小さなカーボンナノリングが有する大きな分子のひずみは、アントラセンに集中することで[2.2]CAPPは折れ曲がったアントラセンを有する特殊な構造を示しました。それにより、リング内に生じる大きな分子のひずみがアントラセンに集中し、その結果、導入したベンゼン環は芳香族性を失い、キノイド構造を有するカーボンナノリングの創出に成功しました。
さらに研究グループは、分子構造により生じる光学的特性を解明し、高いひずみエネルギーにより[2.2]CAPPが空気中で分解することも確認しました。
本研究成果は、ジラジカル状態を経てキノイド構造を持つ分子を合成し、物性を解明した初めての事例です。また、今後は非線形光学特性を活用した新規材料の開発や超高感度な量子センサーとしての応用が期待でき、不対電子が多数存在したマルチスピンカーボンナノリングの創出への展開が可能となります。
本研究成果は、米国化学誌「Journal of the American Chemical Society」に、10月7日(火)に公開されました。
図1. [2.2]CAPPの分子構造(左)とそのX線結晶構造解析(右).
研究の背景
通常は平面構造を有するベンゼン環などの芳香環を大きく折り曲げるとその物性はどうなるか、という非常に単純なこの疑問については、計算化学的には芳香環の芳香族性が消失して2つの不対電子が生じるジラジカル状態を経てキノイド構造を示すことが予測されていました(図2)。しかし実験的にはターゲットとする分子の合成が非常に難しいため、実際に芳香環を折り曲げた分子を合成してその分子構造を確認、反応性を評価した研究例は存在しませんでした。
図2. 大きく折れ曲がったベンゼン環を有する分子の計算化学による分子構造.
研究の内容
研究グループでは、ベンゼン環からなる代表的なカーボンナノリングのひとつであるCPPに注目し、そのCPP骨格にアントラセンと呼ばれる芳香環を導入した非常に小さなカーボンナノリング[2.2]CAPPを設計しました。既存のカーボンナノリングの合成法とは異なる手法を用いることで初めて[2.2]CAPPの合成を達成することに成功しました(図3)。
小さな環構造を有することで、通常は平面構造を取る芳香環にひずみをかけることが可能となります。[2.2]CAPPの場合は、アントラセン骨格に大きくひずみを集中させることができ、その結果、大きく折れ曲がったアントラセン骨格を示すことがX線結晶構造解析により確認することができました。
大きな折れ曲がり構造をアントラセンに持たせることで、アントラセンの持つ芳香族性を消失させ二つの不対電子が生じ、それがベンゼン環を介して相互作用してキノイド構造を有することを実験的に明らかにできました(図4)。
分子構造に由来した光学特性の解明にも成功し、さらに大きなひずみエネルギーにより、[2.2]CAPPは空気下では速やかに分解していくこともわかりました(図5)。
図3. アントラセンの構造(上)と今回新たに開発した手法による[2.2]CAPPの合成(下).
図4. ①アントラセンが大きく折れ曲がることによる不対電子の出現. ②不対電子間の相互作用によるキノイド構造の発現
図5. ①分解の第一段階の様子. ②分解の第二段階の様子. ③考えられる二段階の分解過程
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、これまでに合成が困難であったひずみを有することで高い反応性を示す分子やマルチスピン状態を有する様々なカーボンナノリングの創出が期待されます。具体的には高い反応性を有することで新規反応開発・新規π骨格構築への足掛かりになることが期待されます。また多数の不対電子が存在するマルチスピン状態を有する場合は、超高感度なセンサーといった有機量子材料としての応用が期待されます。
特記事項
本研究成果は、2025年10月7日(火)に米国化学誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Strain-Induced Quinoidal Character in a Carbon Nanoring Embedding Anthracene Units”
著者名:Tomohiko Nishiuchi, Yuta Makihara, and Takashi Kubo
DOI:https://doi.org/10.1021/jacs.5c11812
なお本研究は、JSPS科研費(24K01454, 24H00459)の支援により実施されました。
参考URL
SDGsの目標
用語説明
- カーボンナノリング
ベンゼン環などの芳香環をリング状に連結させたナノサイズの直径を有する分子の総称。芳香環上のπ電子がリング構造で繋がるため、一般的な平面構造を有する芳香族化合物とは異なる物性を示す。
- 芳香族性
ベンゼン環に代表される環状構造を有する芳香族化合物は、(4n+2)のπ電子を有しており、それにより高い安定性と不飽和炭化水素とは異なる反応性を示す。この性質を芳香族性と呼ぶ。
- キノイド構造
ベンゼン環などの芳香環が共鳴構造の一方として「二重結合が局在化した形」をとる構造で、芳香族性が低下し、二重結合と単結合が交互に現れる共役系を示す。通常のベンゼノイド構造に比べて電子が偏り、高い反応性や開殻性を示すことがある。
- 量子化学計算
分子や原子の電子状態を量子力学の原理に基づいて数値的に解析する手法で、電子密度や分子軌道、エネルギー準位、反応経路などを理論的に予測でき、実験で得られない情報を補うことができる。
- 非線形光学特性
非線形光学特性とは、強いレーザー光などの高強度光が物質に当たった際に光の強さに比例しない形で物質が応答する光学現象で、レーザー顕微鏡、光通信システム、波長変換デバイスなど、幅広い先進光学技術の基礎となっています。
- 量子センサー
原子や電子の量子状態を利用して、磁場・電場・温度・時間などを極めて高い精度で測定する装置で、ナノメートルスケールで磁場を検出できる超高感度センサーとして注目されています。
- 不対電子
不対電子とは、電子対を作らずに一つだけで軌道を占める電子のことで、物質の磁性(強磁性や常磁性)の要因となります。不対電子が存在すると、別の不対電子と共有結合を形成したり、他の原子から電子を奪い取ることで安定化しようとします。




