
“水和イオン液体”で膜タンパク質の構造と機能を長期安定化
創薬・バイオデバイス開発に新たな道を切り拓く革新技術を発表
研究成果のポイント
概要
大阪大学大学院工学研究科の溝端栄一講師、東京薬科大学薬学部の藤田恭子講師、名古屋工業大学生命・応用化学類の古谷祐詞准教授らの共同研究チームは、膜タンパク質を「水和イオン液体(Hydrated Ionic Liquids)」に直接溶解させ、これまで困難とされてきた構造保持と機能維持を両立させる新技術の開発に成功しました。膜タンパク質は、約6割の医薬品のターゲットとなる重要分子ですが、その不安定性が研究開発の大きな障壁となってきました。本技術は、創薬や次世代バイオセンサー開発を大きく前進させる可能性を秘めています。
本研究成果は、国際学術誌『International Journal of Biological Macromolecules』に掲載されました。
研究の背景
膜タンパク質は細胞膜に存在し、物質輸送や情報伝達など生命活動の要を担うタンパク質で、医学・創薬・バイオテクノロジー分野における、最重要ターゲットのひとつです。しかし、生体外では構造や機能が損なわれやすい「繊細な分子」であるため、安定的な取り扱いが難しく、研究と応用のボトルネックになってきました。緩衝剤や界面活性剤を用いる従来手法にも限界があり、抜本的な安定化を実現する新しい技術が求められていました。
研究の内容
本研究では、液体の塩である“イオン液体”にわずかな水を含ませた「水和イオン液体(Hydrated Ionic Liquids)」を用いることで、膜貫通型タンパク質(TehAおよびバクテリオロドプシン)を直接溶解するだけで、構造と機能を保持した安定化に成功しました。
膜タンパク質はその不安定性から、従来の緩衝液中では取り扱いが困難でしたが、本研究では水和イオン液体の構成イオン(カチオン・アニオン)や含水率が構造保持と安定性に大きく影響することを明らかにしました。特に、コリニウムリン酸二水素を用いた水和イオン液体では、膜タンパク質の高次構造を維持したまま溶解が可能であり、熱変性温度を20℃以上向上させることが確認されました。
一般的に、熱変性温度の向上により、熱的安定性や長期安定性は改善されることが知られています。本技術による構造的安定性の向上は、極めて顕著です。また、含水率の違いによってタンパク質の構造や安定性に大きな変化が生じることから、生体膜内に存在する水分子の数や性質が膜タンパク質の機能維持において重要な役割を果たしていることが示唆されました。
さらに、光駆動型プロトンポンプ能を持つバクテリオロドプシン(bR)に対してレーザー照射を行い、プロトン輸送に関連する中間体形成を観察することで、機能性の維持も実証されました。加えて、レーザー照射による光退色に対して約10倍の耐性を示すなど、機能的安定性の向上も確認されています。
これらの成果は、膜タンパク質の構造解析や機能評価をより簡便かつ高精度に行うための新たな手法として、創薬研究やバイオデバイス開発に大きな可能性をもたらすものです。
研究概略図
今後の展望
本研究で確立した膜タンパク質の安定溶解法は、従来その取り扱いの困難さが障壁となっていた膜タンパク質研究を大きく加速させると期待されます。特に、膜タンパク質を標的とする創薬スクリーニングや、その機能を活かしたバイオセンサー開発、膜タンパク質の構造解析の効率化に資する有力な選択肢として、幅広い応用展開が見込まれます。
本技術は、創薬におけるTPP(Target Product Profile)の観点からも高い実用性を有しています。たとえば、膜タンパク質の長期保存性や熱安定性(20℃以上の向上)は、製剤化や輸送時の品質保持に直結し、経時安定性の向上にも寄与します。また、膜タンパク質の安定な機能保持は、機能性評価やスクリーニングの再現性向上に貢献します。
水和イオン液体は揮発性が低く、調製が容易であるため、製剤の安定化にも応用可能です。これにより、膜タンパク質を標的とする医薬品の設計・評価・製造プロセスにおいて、構造的安定性と機能性の両立を実現する新たな選択肢となります。
本技術は、基礎研究にとどまらず、創薬プロセスの初期段階(ターゲット検証・スクリーニング)から後期開発(製剤化・品質管理)までを見据えた応用展開が可能であり、膜タンパク質を標的とする医薬品開発におけるゲームチェンジャー技術として、生命科学・医療・工学分野における革新的研究の推進に寄与することが期待されます。
特記事項
【論文情報】
掲載誌:International Journal of Biological Macromolecules
論文タイトル:Hydrated ionic liquids enhance stability and preserve functionality in transmembrane proteins
著者:Kyoko Fujita*, Kaho Ishii, Kazune Kobayashi, Yuji Furutani*, Yutaka Takebe, Eiichi Mizohata*(*責任著者)
DOI:10.1016/j.ijbiomac.2025.148096
■参考情報
特許番号:特許第7615425号
発明の名称:膜タンパク質の安定化のための液体組成物および方法
発明者:藤田恭子、溝端栄一、古谷祐詞
特許権者:学校法人東京薬科大学、国立大学法人大阪大学、国立大学法人名古屋工業大学
公開番号:特開2024-122906
■研究支援
本研究は以下の助成により実施されました:
・日本学術振興会 科学研究費補助金(JP22K05221, JP22K06103, JP22H04561, JP19H05784, JP19H05780)
・文部科学省「大学の研究力強化促進事業(CURE)」(JPMXP1323015482)
・山田科学振興財団、泉科学技術振興財団、大幸財団、立松財団
用語説明
- 膜タンパク質
細胞膜に存在し、物質の輸送やシグナル伝達など生命活動に関わる重要なタンパク質。創薬やバイオデバイス開発の主要なターゲット。
- 熱安定性
タンパク質が熱によって変性せずに構造を維持できる性質。熱変性温度(Tm)で評価され、数値が高いほど安定。
- イオン液体
常温で液体の状態にある塩。揮発性が低く、熱的・化学的に安定で、溶媒としての性質をカチオン(陽イオン)とアニオン(陰イオン)の組み合わせで自在に調整できる
- 水和イオン液体
イオン液体に少量の水を加えた混合溶媒。生体分子の構造保持や安定化に有効で、溶媒特性をイオンの種類や含水率で調整可能。
- 膜貫通型タンパク質
膜タンパク質の一種で、細胞膜を貫通する構造を持つ。本研究ではTehAとバクテリオロドプシンが対象。
- TehA
インフルエンザ菌由来の膜貫通型アニオンチャネルタンパク質。10回膜貫通構造を持つ。
- バクテリオロドプシン(bR)
光駆動プロトン輸送タンパク質。7回膜貫通構造を持つ。光照射によりプロトンを輸送する機能を持ち、機能保持性の評価に用いられた。
- コリニウムリン酸二水素
コリニウムカチオンとリン酸二水素の組み合わせからなるイオン液体。構造保持と熱安定性向上に優れた効果を示した。
- プロトン輸送中間体
タンパク質が機能を発揮する過程で一時的に形成される構造状態。bRではプロトン輸送に関わるM状態などが該当。
- 光退色
光照射によってタンパク質の色素部分が劣化し、吸収能が低下する現象。
