
標的α線治療薬アスタチンを用いた 新しいがん治療の安全性・有効性を確認
難治性甲状腺がんへの医師主導治験を実施
研究成果のポイント
- 難治性甲状腺がん患者を対象に、アルファ線を体内から放出する新たながん治療薬「アスタチン」を用いた医師主導治験(ヒト初回試験)を実施し、治療の安全性と、高用量群における高い治療効果(腫瘍マーカーの50%以上の低下や画像診断での病変消失)を確認した。
- 放射性ヨウ素(¹³¹I)を用いた現在の標準治療で効果が得られない場合でも、短い飛程で高いエネルギーを放出するアルファ線によってがん細胞の狙い撃ち治療を実現可能。専用病室への入院も不要となり、患者に優しいがん治療に。
- アスタチンは国内の加速器を用いて製造可能であることから、将来的には様々ながんに対する標的アルファ線治療薬供給の国内ネットワーク構築を目指す。
概要
大阪大学 大学院医学系研究科の渡部直史 講師、富山憲幸 教授(放射線医学)、向井康祐 助教、福原 淳範 寄附講座准教授、下村伊一郎 教授(内分泌・代謝内科学)、理化学研究所 仁科加速器科学研究センター羽場 宏光 室長らの研究チームは、大阪大学医学部附属病院において、難治性甲状腺がん患者に対して、新たな標的アルファ線治療薬「アスタチン」を用いた医師主導治験(First in human)を実施しました。
2022年から2024年までの約3年間の間、標準治療に効果が見られなかった甲状腺がん患者11名にアスタチン化ナトリウム([²¹¹At]NaAt)注射液の単回投与を行い、安全性ならびに有効性を評価しました。その結果、本治療薬が安全に投与できること、さらに中・高用量群(9名)においては3名で腫瘍マーカーの50%以上の低下が見られ、3名では放射性ヨウ素(¹³¹I)の画像診断において肝臓や骨への転移病変の消失(1名は完全消失、2名はほぼ消失)を確認しました。
分化型甲状腺がんの標準治療として、放射性ヨウ素(¹³¹I)を用いた治療が行われていますが、複数回の治療を実施しても、十分な治療効果が得られないことがあります。一方、アスタチンはヨウ素によく似た性質の元素であるとともに、アルファ線と呼ばれる短い飛距離かつエネルギーの高い放射線を放出するため、周囲の正常な細胞に影響を与えずにがん細胞を的確に攻撃する性質を持っています。この特長により、従来の難治性甲状腺がんにおける課題を解決しつつ、より高い治療効果が期待できます(図1)。
今後は医薬品としての承認を目指して、橋渡し先企業のアルファフュージョン株式会社(大阪大学発スタートアップ)が企業治験を実施し、引き続き安全性・有効性の評価を行ってまいります。将来的には、既存の¹³¹I治療と異なり、専用病室への入院を必要とせず、外来で投与可能な、患者に優しいがん治療となることが見込まれます。本研究成果は、科学誌「Journal of Nuclear Medicine」に、9月25日にオンラインで掲載され、10月5日にヨーロッパ核医学会(EANM 2025)において研究代表者の渡部講師がプレナリー講演を行いました。
図1.アルファ線治療薬アスタチン(²¹¹At)を用いた治療
(全身の転移巣に集積させることで、体内からアルファ線を放出)
治験実施の背景
甲状腺がんの多くが分化型甲状腺がんと呼ばれ、ヨウ素を取り込む性質を有しています。現在、分化型甲状腺がんの転移再発に対する治療では、専用の病室に入院した上で、放射性ヨウ素(¹³¹I)を用いた治療が実施されています。しかし、繰り返しの治療を行っても十分な治療効果が得られない場合があり、専用病室が不足しているという問題がありました。また¹³¹I治療抵抗性の患者に用いられる分子標的薬は毎日の継続的な内服が必要であり、副作用で続けることが難しいケースが課題となっています。従来の放射性ヨウ素(¹³¹I)が放出するベータ線に対して、アスタチンから放出されるアルファ線は短い飛程で高いエネルギーを放出することから、周囲の正常組織に影響を与えることなく、がん細胞を狙い撃ちにして治療することが可能です。アスタチンは加速器(サイクロトロン)を用いた製造が可能であることから、世界的に関心が高まっており、大阪大学は世界有数のアスタチンの研究拠点となっています。
今回、大阪大学において難治性甲状腺がんに対する新たな治療薬としてアスタチン化ナトリウム([²¹¹At]NaAt)注射液を開発し、理化学研究所RIビームファクトリーにおいてアスタチン原料を大量製造する技術開発と大阪大学への安定供給を行い、大阪大学医学部附属病院において自動分離精製装置を用いた治験薬GMP製造体制を確立しました。
治験実施の内容
放射性ヨウ素(¹³¹I)等の標準治療にて十分な治療効果が得られない難治性の分化型甲状腺がん患者を対象とした、アルファ線治療薬アスタチン化ナトリウム([²¹¹At]NaAt)の安全性、薬物動態、有効性を確認するための第Ⅰ相医師主導治験(Alpha-T1試験)をヒト初回単回投与試験として実施しました。対象となった患者の多くが、これまで3回以上の¹³¹I治療を実施しても、十分な治療効果が得られず、肺や骨に多発する転移病変を伴っていました。低用量(1.25MBq/kg)から開始して、2.5 MBq/kg、3.5MBq/kgと徐々に用量を増やしていき、合計11名の患者にそれぞれ単回投与を行いました。
投与から半年後までの慎重な経過観察を行った結果、投与直後に一時的な吐き気などはありましたが、重篤な副作用を認めることなく、本治療薬が安全に投与できることを確認しました。また治療効果については、中・高用量群(2.5または3.5MBq/kg、合計9名)のうち、3名で腫瘍マーカー(サイログロブリン)が投与開始前から50%以上の低下、また3名で放射性ヨウ素(¹³¹I)を用いた画像診断において、転移病変への¹³¹I集積の消失(1名は完全消失、2名はほぼ消失)を確認しました(図2)。従来治療で抵抗性を示した患者であっても、アスタチンを用いた標的アルファ線治療の有効性を示すことができました。
特に従来の¹³¹Iの製造には医療用の原子炉が必要であり、100% 海外からの輸入に頼っている形となっています。今回の治験では国内の加速器を用いて、アスタチン(²¹¹At)が製造され、かつ治験薬としての全身投与により、固形がんで治療効果が得られることを世界で初めて実証しました。
図2.アスタチン(²¹¹At)投与後の¹³¹I-SPECT画像:病変がほぼ消失していることがわかる(矢印)
本治験が社会に与える影響(本成果の意義)
今後は医薬品としての承認を目指して、橋渡し先企業のアルファフュージョン株式会社(大阪大学発スタートアップ)が企業治験を実施し、引き続き安全性・有効性の評価を行ってまいります。将来的には、既存の¹³¹I治療と異なり、専用病室への入院が必要のない、外来で投与可能な患者に優しいがん治療法となることが見込まれます。
また大阪大学核物理研究センターに竣工したTATサイクロトロン棟に住友重機械工業社製の新型サイクロトロンが搬入され、まもなくアスタチンの大量製造が開始されます。将来的には、日本全体での供給ネットワークが構築され、日本全国の医療機関でアスタチンを用いた標的アルファ線治療薬の投与が実施可能となることを目指します。
特記事項
本研究成果は、科学誌「Journal of Nuclear Medicine」に、9月25日にオンラインで掲載されました。
DOI: 10.2967/jnumed.125.270810
【タイトル】 First-in-human Study of [²¹¹At]NaAt as Targeted Alpha Therapy in Patients with Radioiodine-Refractory Thyroid Cancer (Alpha-T1 Trial)
【著者名】 渡部直史1,2*, 向井康祐3, 仲定宏4, 佐々木秀隆5, 神谷貴史5, 早川友朗3, 福原淳範3, 高野 徹3, 白神宜史2, 大江一弘2, 滋野聡6, 岡村知美7, 増村一穂7, 飛田英祐8, 羽場宏光9, 豊嶋厚史2, 礒橋佳也子1, 下村伊一郎3, 富山憲幸1,2(*責任著者)
【所属】
1. 大阪大学 大学院医学系研究科 放射線医学
2. 大阪大学 放射線科学基盤機構
3. 大阪大学 大学院医学系研究科 内分泌・代謝内科学
4. 大阪大学 医学部附属病院 薬剤部
5. 大阪大学 医学部附属病院 放射線部
6. 大阪大学 大学院医学系研究科 消化器内科学
7. 大阪大学 医学部附属病院 未来医療開発部
8. 大阪大学 大学院医学系研究科 医療データ科学
9. 理化学研究所 仁科加速器科学研究センター
本治験はAMED橋渡し研究事業(preC・大阪大学拠点)、AMED臨床研究・治験推進研究事業(Step1およびStep2)の研究費を用いて、大阪大学医学部附属病院未来医療開発部・未来医療センター・PMグループ(滋野聡PM、堂山明香SM)、同臨床研究センター・スタディマネジメントグループ(三好朋子CRC)、同臨床研究センター・モニタリンググループ(樽井弥穂主任)、同データセンター(山田知美センター長)、同データセンター・生物統計グループ(飛田英祐特任教授(常勤))の支援の下、糖尿病・内分泌・代謝内科(科長:下村伊一郎)の協力の下で実施しました。さらに、治験薬の製造にあたっては、理化学研究所 仁科加速器科学研究センター(センター長:櫻井博儀) のAVFサイクロトロンを用いて、アスタチン(原料)の製造を行い(担当:羽場宏光、王洋、殷小杰、佐藤望、金山洋介、南部明弘)、核医学診療科(科長:礒橋佳也子)において、院内製造を行いました(担当:仲定宏、栗本健太)。
治験実施に必要な非臨床試験については大阪大学核物理研究センター(センター長:中野貴志)ならびに短寿命RI供給プラットフォームからのアスタチンの提供を受け、同放射線科学基盤機構(機構長:富山憲幸、兼田加珠子教授、豊嶋厚史教授、白神宜史招へい准教授、大江一弘准教授)の協力を得て、実施されました。
用語説明
- アスタチン
アスタチンは元素記号でAtと表記される。²¹¹Atはアルファ線(α線)を放出する放射性同位元素であり、サイクロトロンと呼ばれる加速器を用いて製造される(半減期 7.2時間)。ヨウ素とよく似た性質を示し、分化型甲状腺がんに集積する。
- アスタチン化ナトリウム([²¹¹At]NaAt)注射液
アルファ線を放出するアスタチン(²¹¹At)を安定化させ、治療薬として投与できるようにした静脈用注射剤。
- 腫瘍マーカー
血液中のがんに関連するがん細胞そのもの、またはがんに反応した体内の組織・臓器が産生する物質で、採血で測定可能。分化型甲状腺がんではサイログロブリンが用いられる。
- 放射性ヨウ素(¹³¹I)
ベータ線(β線)と呼ばれる放射線を放出するヨウ素の放射性同位体であり、保険診療で甲状腺がんや甲状腺機能亢進症の治療に用いられている(半減期 8日)。転移に対する治療では専用の病室に入院が必要となるが、全国的に治療病室が不足している。
- 分化型甲状腺がん
甲状腺がん全体の約90%を占める代表的な甲状腺がんであり、正常の甲状腺細胞と同様にヨウ素を取り込む性質を有している。組織型では乳頭がん、濾胞がんの2種類がある。
- 加速器(サイクロトロン)
プラスの電荷を持った粒子を電磁力で秒速4万kmまで加速させ、ターゲットに照射することで、新たな原子を製造する装置。
- 治験薬GMP
Good Manufacturing Practice、治験薬を製造する際に遵守すべき製造・品質管理の方法や構造設備に関する条件について、国が定めた基準。
