酸素の吸着で磁石の変遷を観る

酸素の吸着で磁石の変遷を観る

酸素の電子スピンを利用した分子デバイスへの応用に筋道

2025-10-2工学系
基礎工学研究科教授北河 康隆

研究成果のポイント

  • 酸素の電子スピンが磁石の性質に直接相互作用することで、磁石の酸素吸着量に応じ、強磁性(ON)と反強磁性(OFF)を連続的(アナログ的)に変調できる新材料を開発しました。
  • この材料において、磁石がON状態から酸素吸着量の増加に伴い非磁性体に近いOFF状態へと滑らかに変化する様子を、世界で初めて連続的に観測しました。
  • 本成果は吸着酸素量にきめ細かく反応する「アナログ磁石」として、次世代の酸素センサーや高性能分子デバイス開発への貢献が期待されます。

概要

酸素は、磁石の起源となる電子スピンを持つ最小の分子単位の一つです。もし酸素のスピンを磁石のON/OFFスイッチとして自在に利用できれば、酸素を選択的に検知・制御する新たな分子デバイスの開発につながります。

東北大学金属材料研究所の高坂亘 准教授と宮坂等 教授の研究グループは、酸素の吸脱着によって磁気相を切り替えられる磁石を報告してきました(参考文献1)。しかし、酸素の吸着が進む過程で磁気相がどのように変化していくのかは未解明でした。

今回、本研究グループと大阪大学大学院基礎工学研究科 北河康隆 教授および武漢大学 張俊 教授らとの共同研究グループは、酸素ガスの吸脱着で磁石のON/OFFを制御できる二例目となる多孔性磁石を開発しました。本材料では、わずかな酸素吸着量で磁石の状態を連続的に制御できることが特長です。酸素の吸着量変化に応じて、磁石がON状態からOFF状態へと滑らかに移行する磁気相変化を時間経過とともに世界で初めて追跡することに成功しました。この成果は、単なる二元的ON/OFFスイッチを超え、アナログ的に調整可能な分子デバイス実現への道を拓くものです。

本研究成果は、2025年9月17日(現地時間)付で、アメリカ化学会誌Journal of the American Chemical Societyにオンライン掲載されました。

研究の背景

空気を構成する主な成分は窒素・酸素・アルゴン・二酸化炭素で、このうち窒素が約78%、酸素が約21%を占め、大部分を占めています。酸素は生命維持に不可欠な分子ですが、窒素と比較すると分子サイズや沸点などの性質がよく似ています。一方で、この二つの分子の間には決定的に異なる性質があります。それが「磁性」です。酸素分子は電子スピンを持ち、磁石に引き寄せられる常磁性を示します。これは、非磁性を示す窒素や二酸化炭素など他の主要ガスとは全く異なる特徴です。

東北大学の研究グループはこの酸素の電子スピンに着目し、酸素の持つ磁気的特性を直接活用できる新しい磁性材料の開発を進めてきました。従来の磁性体では難しい機能を実現する鍵となるのが、分子自身が持つ柔軟な構造です。本研究グループは、金属イオンと有機配位子からなる分子性多孔体「金属―有機構造体(Metal-Organic Framework, MOF)」に着目しました。MOFは高い構造規則性に加え、構成金属や有機分子を自在に設計できる拡張性を備え、格子と空間の両方の特性を活かせることから、「ガスを吸う磁石」開発に理想的な材料です。本研究グループは、このMOFの特性である「空間」を磁石に組み込んだ多孔性分子磁石(MOF磁石)を用い、さまざまなガスの吸脱着によって性質が変わる磁性材料をこれまで多数開発してきました(参考文献1−5)。その中には、酸素の電子スピンを直接利用した材料も含まれます(参考文献1)。しかし、「吸着した酸素が磁石とどのように相互作用し、吸着量が増える過程で磁気相がどのように変化するのか」、その詳細は未解明であり、さらなる解明が求められていました。

研究の内容

今回、共同研究により、この点を調べる中で、酸素吸着量と相関する磁気ドメインの成長とともに協同現象による連続的な磁気相変換を発見するに至りました。

本研究の成果のポイントは以下の3点に集約されます。第一に、強磁性から反強磁性への選択的変換を実現しました。今回作製したMOF磁石は、ガス吸着前には強磁性体(相転移温度 TC = 30 K)です。二酸化炭素を吸着しても強磁性体のまま(TC = 24 K)ですが、酸素を吸着すると反強磁性体へと変化し、磁石がOFF状態となります(相転移温度 TN = 28 K)。第二に、酸素吸着量に応じた連続的な磁気相変化を観測しました。酸素吸着量の増加に伴い、反強磁性体ドメインが緩やかに成長し、強磁性体から反強磁性体へと連続的に移行します。これにより、相転移温度 TN が17 Kから28 Kへ滑らかにシフトする様子を観測しました。第三に、酸素スピンを介した新たな磁気相互作用のメカニズムを解明しました。結晶構造に基づく電子状態を扱う理論計算(DFT計算)の結果、層間に吸着された酸素二分子が電子スピンを介して新たな磁気相互作用の経路を構築し、反強磁性化を引き起こしていることが判明しました。

以下、成果の詳細です。

本共同研究グループは、電子供与性分子であるカルボン酸架橋水車型ルテニウム二核(II,II)金属錯体と、電子受容性分子である TCNQ(7,7,8,8-tetracyano-p-quinodimethane)誘導体から成る層状分子磁石をこれまでに開発してきました(図1)。今回得られた化合物のガス吸着能を調べたところ、窒素は吸着せず、二酸化炭素と酸素のみを吸着することが判明しました。磁気測定では、ガス未吸着のドライ状態でTC = 30 Kの強磁性体を示し、二酸化炭素吸着時も強磁性のまま(TC = 24 K)でした(図2)。一方、酸素吸着時には反強磁性体(TN = 28 K)へ変化しました(図3)。さらに、吸着速度を制御することで酸素吸着量を段階的に変化させた結果、吸着量が増えるにつれて強磁性体から反強磁性体へ、TN が17 Kから28 Kへと連続的に移行する磁気相変化を初めて観測しました(図3)。これは、酸素吸着に伴って生成する反強磁性ドメインが化合物全体の磁気秩序を協同的に支配するためであり、ガス吸着に起因する連続的な磁気協同現象を捉えた世界初の成果です。

単結晶X線回折による構造解析では、ガス吸着の前後で骨格自体には大きな変化はなく、吸着ガスは層間のTCNQに挟まれた孤立空間に二分子ずつ取り込まれていました(図4)。二酸化炭素と酸素で吸着環境がほぼ同じにもかかわらず、酸素の場合のみ磁気相変換が起きたことから、酸素の電子スピンが決定的な役割を果たしていることが強く示唆されました。DFT計算の結果、層間に吸着された酸素二分子が酸素スピンを介して層間に新たな磁気相互作用経路を形成し、その結果反強磁性化が進行することが明らかになりました。本化合物は、酸素吸着による磁気相変換を示した物質としては世界で二例目ですが、ガス吸着前後で分子格子がほとんど変形しない点や、吸着サイトが磁気相互作用の媒介に直接関わる位置に限定される点など、機構解明に理想的な特徴を持っています。本研究の知見は、MOF磁石において酸素吸着が磁気相制御に直接関与することを、より明確に示す成果となりました。

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図1. 電子供与性分子(水車型ルテニウム錯体)と電子受容性分子(TCNQ誘導体)から合成される層状MOF磁石の模式図。

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図2. 二酸化炭素吸着前後における磁化の温度依存性(外部磁場100 Oe)。二酸化炭素導入前(ドライ状態)では、磁気相転移温度(TC)は30 Kの強磁性体です。二酸化炭素吸着後、TCは24 Kに変化しますが、磁気秩序は依然として強磁性を保っています。(挿入図)二酸化炭素の吸着・脱着の繰り返しにより、TCの変化も繰り返し生じます。

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図3. 酸素吸着状態における磁化の温度依存性(外部磁場100 Oe)。挿入図では反強磁性相転移を見やすくするために、2 Kでの磁化の値を1として縦軸を規格化しています。酸素導入前(ドライ状態)は、磁気相転移温度(TC)30 Kの強磁性体です。酸素吸着状態(160 Kで12時間(12 h)酸素を吸着させた試料)では、28 Kにピークが現れており、磁気相転移温度(TN)が28 Kの反強磁性体となっていることを示しています。その間の酸素吸着量に対応する状態では、0.5 hの試料で17 KにTNを示すピークが観測されており(挿入図矢印)、酸素吸着量が増えるにつれて(1h, 2h, 6h)TNが高温側へとシフトしていく様子が観測されました。

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図4. 二酸化炭素吸着状態、酸素吸着状態の結晶構造。層間に吸着されたガス分子とその周辺骨格のみを示しています。両者における吸着ガス分子周辺の環境はほぼ同じであるにもかかわらず、酸素吸着時のみ磁気相の変化が起こることから、吸着酸素の重要性が示唆されます。

今後の展開

酸素は、磁石の起源となる電子スピンを持つ最小の分子単位の一つです。本研究は、その電子スピンを活用した材料設計が可能であることを実証し、酸素を選択的に制御する新しい分子デバイスの実現に道を拓きました。さらに本研究で示したMOF磁石は、二元的なON/OFFスイッチにとどまらず、吸着ガス量に応じて連続的なアナログ信号を出力する材料としても大きな可能性を秘めています。これらの成果は、基礎科学のみならず高機能分子デバイス開発に向けた応用研究の両面で、次世代のスマート多孔性磁石の設計指針となるものです。

特記事項

【論文情報】
タイトル:Cooperative Magnetic Phase Evolution via Oxygen Spin Coupling in a Layered Metal−Organic Framework
著者:Jun ZHANG, Yang CAO, Wataru KOSAKA, Masaki MIMURA, Yasutaka KITAGAWA, Hitoshi MIYASAKA*
*責任著者:東北大学金属材料研究所 教授 宮坂等
掲載誌:Journal of the American Chemical Society
DOI:10.1021/jacs.5c120385
URL:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.5c12038

本成果は、科学研究費基盤研究(A)(宮坂等(代表):JP20H00381、北河康隆(分担):JP24H00459)、基盤研究(B)(高坂亘(代表):JP23K21104、北河康隆(代表):JP23K23318)、挑戦的萌芽(宮坂等(代表):JP23K17899、JP25K22264)、中国国家自然科学基金青年科学基金(張俊(代表):22305180、22471202)、武漢自然科学基金(張俊(代表):2024040701010049)、東北大学金属材料研究所国際共同利用・共同研究拠点(GIMRT、202405-RDKGE-0519、202412-RDKGE-0026)、同研究所先端エネルギー材料理工共創研究センター(E-IMR)からの助成を受けて実施されました。

参考文献

1. 2019年1月16日 東北大学プレスリリース「酸素分子の電子スピンを見分 ける多孔性磁石 酸素ガスの吸脱着により磁石のON-OFF制御に初成功」
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2019/01/press20190116-01-NatComm.html

2. 2020 年12 月1日 東北大学プレスリリース「二酸化炭素の吸脱着による磁 石のON-OFF制御に成功 "二酸化炭素磁気センサー"へ道筋」
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2020/12/press20201201-01-mof.html

3. 2023 年1 月27日 東北大学プレスリリース「二酸化炭素の吸着で磁石にな る多孔質材料を開発 ~ガス吸着に伴う構造変化に起因する磁気相変換は世界初~」
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/01/press20230127-02-magnet.html

4. 2023年11月20日 東北大学プレスリリース「二酸化炭素の吸着により多孔性磁石の性能向上に成功 ―局所的な構造ゆらぎと電荷ゆらぎの抑制に起因―」
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/11/press20231120-02-co2.html

5. 2023年12月5日 東北大学プレスリリース「二酸化炭素の吸着で非磁石を磁石に変えることに成功 ガス吸着による磁気スイッチ開発に進展」
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/12/press20231205-02-co2.html

用語説明

電子スピン

電子はマイナスの電荷を持ち、自転(スピン)していると考えることができます。そのため、一つ一つの電子はS極、N極を持つ棒磁石のようにみなすことができます(コイルを巻いた電磁石をイメージして下さい)。スピンはしばしば、矢印によって表されます。

磁気相

常磁性、強磁性、反強磁性をはじめとする様々な電子スピンの配列の様式(磁気秩序状態)を総称して磁気相と言います。常磁性は秩序を持たない状態であり、強磁性、反強磁性、フェリ磁性は磁気秩序を持つ状態です。磁石として機能するのは、強磁性、フェリ磁性の磁気秩序状態であり、反強磁性は、通常の意味での磁石としての機能は持たない磁気秩序状態になります。

多孔性磁石

これまでの研究において、酸素や二酸化炭素の吸脱着を利用した磁石のON-OFF(磁気相変換)が可能な材料が見出されていました(参考文献1−5)。

常磁性

物質の電子スピンがバラバラの方向を向いているために非磁性であるが、磁場を印加すると、その方向に弱く配列する性質を常磁性と言います。常磁性を示す物質を常磁性体といい、常磁性体は、強力な磁石を近づけるとそちらに引き寄せられます。しかし、磁場を取り除くとスピンはまたバラバラの方向を向いてしまうため、常磁性体は、いわゆる磁石としての性質は持ちません。

非磁性物質

窒素や二酸化炭素は不対電子を持たない物質であり、常磁性体ではありません。むしろ、磁石を近づけると反発する性質をもっていることから、反磁性体とも呼ばれます。

分子の持つ柔軟性

日常で用いている磁石に代表されるように、多くの磁性体は合金や酸化物などの無機物で構成されています。これに対し、分子を用いて作成した磁性体を総称して分子磁性体(分子磁石)と呼んでいます。分子磁性体は無機物の磁石にはない「やわらかさ」や「設計性や機能付加の多様性」を有しており、盛んに研究が進められています。

分子性多孔性材料

ゼオライトや活性炭、シリカゲルのような無機物のみから構成される従来の多孔性材料に対して、金属イオンと有機配位子から構成される多孔性材料の総称です。金属―有機複合骨格(Metal-Organic Framework; MOF)や多孔性配位高分子(Porous Coordination Polymer; PCP)などと呼称されます。金属イオンの配位環境と有機物の持つ高い分子設計性に特徴があり、ナノサイズの細孔を利用した気体吸蔵・分離・触媒・センサーなどの分野での応用が期待されています。

磁気ドメイン

強磁性体や反強磁性体の内部で原子の磁気モーメント(スピン)が同じ方向に揃って秩序化した領域を指します。外見上は一つの固体に見えても、内部は多数の磁気ドメインで構成されており、その集合状態によって物質全体の磁化の強さや方向が決まります。本研究では、酸素が入って二分子ずつ並ぶと反強磁性のドメインが形成され、酸素の吸着量が増すにつれ反強磁性ドメインが成長していくことになります。そのドメインの影響で、化合物全体の磁気的性質が協同的に決まることになります。

強磁性体

物質中の電子スピン間に磁気的な相互作用が働き、それが三次元的に長距離に及ぶことにより磁石となります。一般的な磁石は通常、強磁性体、あるいはフェリ磁性体のどちらかですが、隣接スピン同士が平行になる相互作用が働いている場合は強磁性体となります。磁石には磁気相転移温度が存在し、それより高い温度領域では常磁性体となります。

反強磁性体

隣接する電子スピン同士が逆方向を向く相互作用(反強磁性的相互作用)が働き、互いに打ち消しあう場合には、物質全体としては磁化を持たず、磁石とはなりません。反強磁性体には磁気相転移温度が存在し、それより高い温度領域では常磁性体となります。

電子供与性分子

ある種の分子は、自身の持つ電子を他の分子に与えることが可能です。このような性質を持つ分子を電子供与分子といいます。

電子受容性分子

電子供与分子とは逆に、電子を受け取ることが可能な分子も存在します。このような性質を持つ分子を電子受容分子といいます。電子供与分子と電子受容分子を組み合わせることで、分子間での電荷移動等を実現することができます。

吸着速度を活用した吸着量制御

一般に多孔性材料は、吸着温度が低くなるほど多量のガスを吸着できる一方で、吸着速度が遅くなります。そのため、吸着速度が遅い材料では、低温ではガス吸着が実質的に起こらないとみなせる状況になり、高温において見かけ上、より多くのガスを吸着します。本材料は吸着速度が遅いことを利用し、高温(例えば160 K)で酸素雰囲気下に試料を一定時間保持した後、低温(< 120 K)で磁気測定を行うことで、酸素吸着量の制御を行っています。