膨張宇宙を表すミクロな模型の発見

膨張宇宙を表すミクロな模型の発見

3次元ドジッター宇宙のホログラフィー原理

2022-7-22自然科学系
理学研究科教授西岡辰磨

概要

京都大学基礎物理学研究所 瀧祐介 博士課程学生、疋田泰章 同特定准教授、西岡辰磨 同特定准教授(研究当時、現:大阪大学大学院理学研究科教授)、高柳匡 同教授の研究グループは、3次元ドジッター宇宙に対するホログラフィー原理の具体例の構成に成功し、膨張する宇宙を表すミクロな模型を発見しました。宇宙がどのように無から生まれたのか?という宇宙創成のメカニズムを解明するには、ミクロな重力理論、すなわち量子重力理論の理解が不可欠です。これは現在でも未解明の難問ですが、ホログラフィー原理は重力理論を物質の理論に帰着させる原理として知られ、この難問解決の鍵と期待されています。しかし、従来のホログラフィー原理は宇宙定数が負の宇宙を対象としており、現実の膨張宇宙に相当する宇宙定数が正のドジッター宇宙を扱うことは困難です。本研究では、共形場理論と呼ばれる量子的な物質の一種に対して、新しい極限をとることで、3次元ドジッター宇宙の重力と理論として同一になる2次元共形場理論を見出しました。本成果は、宇宙創成の解明という難問の突破口になると期待されます。

本成果は、2022 年7月18 日(現地時刻)に米国の国際学術誌「Physical Review Letters」にオンライン掲載されました。また、特に重要な成果として「Editors’ Suggestion」に選ばれ、アメリカ物理学会のオンライン雑誌「Physics」のViewpointにも取り上げられました。

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図. ドジッター宇宙のホログラフィーの概念図:指数関数的に膨張する宇宙であるドジッター宇宙は、ホログラフィー原理の考え方を用いると、無限の未来に存在する物質の理論とみなすことができる。例えば、その物質の二点間の相関は、赤い線として図示されているドジッター宇宙内の曲線の長さから計算される。

研究の背景

我々の住んでいる宇宙はビックバンによって無から創成されたと考えられています。しかし、その宇宙創成のメカニズムを解明するにはミクロな重力理論、すなわち量子重力理論を理解する必要がありますが、これは理論物理学の最大の難問の一つとして知られています。量子重力理論を解明する鍵として期待されているアイデアがホログラフィー原理です。これは、「ある宇宙における重力理論は、実は、その宇宙の端に置かれている量子的な物質(量子物質)の理論と同じになってしまう」という、初めて聞くとびっくりするような対応関係を意味します。あたかも後者が前者のホログラムのように見えるので、ホログラフィーという名前が付けられておりますが、光学のホログラムとは全く異なる原理です。これを用いると、重力が作用する宇宙を、重力が全く働かない物質の物理学に置き換えることができるので、難しい「量子重力理論の問題」を、より馴染みの深い「物質の問題」に置き換えることができるのです。これまで、ホログラフィー原理が適用できる重力理論としては、宇宙定数が負の宇宙である「反ドジッター宇宙」が主な対象として考えられてきました。この場合のホログラフィー原理はAdS/CFT対応と呼ばれ、この対応が正しいという膨大な証拠が得られてきました。また、この対応を量子情報理論の視点から解釈すると、反ドジッター宇宙が、ミクロな情報、すなわち量子情報の相関である「量子もつれ」の集合体として解釈できることも分かってきました。しかしながら、宇宙創成や現在の宇宙では宇宙定数が正であると考えられており、宇宙定数が負の反ドジッター宇宙ではなく、膨張する宇宙を表し宇宙定数が正となる「ドジッター宇宙」の量子重力理論を解明する必要があります。またドジッター宇宙のホログラフィー原理では、宇宙の端が無限の未来にあり、そこに対応する量子物質が局在することになります。従って、ホログラフィー原理によって、「宇宙の時間軸自体が量子情報から創発する」という驚くべき現象を予言することになり、物理学における時空の捉え方自体を変革する可能性さえあります。そこで、本研究グループは、この現在でも未解明の「ドジッター宇宙のホログラフィー原理」の開拓を目指し、量子情報理論の視点も活用しながら、ドジッター宇宙の重力理論がどのような量子物質の理論に対応するのか研究を行いました。

研究手法・成果

反ドジッター宇宙のホログラフィー原理(AdS/CFT対応)では、反ドジッター宇宙の重力理論が、共形場理論と呼ばれる量子臨界点に相当する量子物質の理論と等価になります。この対応の基礎として、反ドジッター宇宙の持つ対称性が共形場理論の対称性と一致するという事実があります。一方、ドジッター宇宙の対称性は、時間を虚数にとることで定義される共形場理論(ユークリッド化された共形場理論と呼ばれます)の対称性と同じになります。しかし、理論物理学で通常考えるユークリッド化された共形場理論は、ドジッター宇宙ではなく、ユークリッド化された反ドジッター宇宙に対応することが従来のホログラフィー原理から知られており、ドジッター宇宙のホログラフィー原理(dS/CFT対応と呼ばれます)を得るにはこれまで考えられてない共形場理論まで範囲を広げる必要があります。そこで、本研究グループは解析が比較的容易な3次元ドジッター宇宙を具体例にとって、ホログラフィー原理によってどのような2次元共形場理論と対応するのか研究を行いました。その結果、Wess-Zumino-Witten模型と呼ばれる2次元共形場理論に対してこれまで物理学では馴染みがなかった特殊な極限をとると、実は3次元ドジッター宇宙の重力理論と等価になることを発見しました。ドジッター宇宙のホログラフィー原理(dS/CFT)では、宇宙の波動関数が、対応する量子物質の分配関数に一致することが期待されますが、我々が見出した上記の対応を用いると確かに両者が一致することが示されました。また、ドジッター宇宙はエントロピーを持つことが知られていますが、今回の成果を応用することで、それが量子もつれの大きさを測るエンタングルメント・エントロピーと解釈できることも分かりました。本研究によって、ドジッター宇宙を記述する最も基本的な重力理論である一般相対性理論に対するホログラフィー原理の具体例が初めて見出されたことになります。また、量子情報からの重力理論の宇宙の創発という考え方がドジッター宇宙に対しても適用できる可能性も高まりました。本研究で見出された新しいアプローチによって、宇宙創成の解明に向けた量子重力理論に大きな進展をもたらすことが期待されます。

波及効果、今後の予定

本研究では、3次元ドジッター宇宙にたいしてホログラフィー原理の具体例を構築しました。これによって、従来の反ドジッター宇宙を超えて、低い次元ではあるもののドジッター宇宙に対してもホログラフィー原理が成立する証拠が得られました。宇宙創成のメカニズムを解明するためにホログラフィー原理を用いるという有力なアプローチが見出されたことになります。今後は、この3次元ドジッター宇宙のホログラフィー原理の具体例を広げていくと同時に、現実の宇宙に直接関係する4次元のドジッター宇宙のホログラフィー原理を解明していくことが重要と思われます。これは同時に、従来の枠を超えた共形場理論の研究にもつながり、新しい種類の量子物質の探索にもつながると期待されます。また、本研究の成果によって、量子もつれがドジッター宇宙の構造と深く関わることが分かりましたが、より系統的に量子もつれの集合体からどのような規則で宇宙が創発するのか理解を深めていく必要があります。特に、時間軸が量子もつれによってどのように自発的に生まれるのか解明することは重要であり、「量子重力理論における時間とは何か?」さらに「宇宙が生まれるということはどういうことか?」という根源的な疑問と直結します。

特記事項

【論文情報】
タイトル:Holography in de Sitter space via Chern-Simons gauge theory
     (チャーンサイモンズゲージ理論によるドジッター空間のホログラフィー)
著  者:Yasuaki Hikida, Tatsuma Nishioka, Tadashi Takayanagi, and Yusuke Taki
掲 載 誌:Physical Review Letters DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.129.041601
アメリカ物理学会のオンライン雑誌「Physics」での記事
https://physics.aps.org/articles/v15/107

本研究は、文部科学省・日本学術振興会 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「極限宇宙の物理法則を創る-量子情報で拓く時空と物質の新しいパラダイム」(領域代表者:高柳匡、課題番号:21H05182、21H05187、21H05190)、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A)「量子情報理論を用いた超弦理論の研究」(研究代表者:高柳匡、課題番号:21H04469)、基盤研究(B)「高階スピン重力とゲージ/重力対応による超弦理論の研究」(研究代表者:疋田泰章、課題番号:19H01896)、基盤研究(C)「量子物質とエンタングルメント構造」(研究代表者:西岡辰磨、課題番号:19K03863)の支援を受けて行われました。

用語説明

ドジッター宇宙

マクロな宇宙における重力のダイナミクスは、一般相対性理論のアインシュタイン方程式によって決まります。アインシュタイン方程式における項の一つが宇宙項と呼ばれ、その係数を宇宙定数と呼びます。物理的には宇宙項は真空のエネルギー(ダークエネルギー)を意味します。特に宇宙定数が正の場合にアインシュタイン方程式の代表的な解がドジッター宇宙です。ドジッター宇宙は時間が経過するにつれて空間が指数関数的に膨張する宇宙を表します。英語でde Sitter Space、略してdS。

ホログラフィー原理

ある宇宙の重力理論は、その宇宙の端に仮想的に存在すると考えられる量子的な物質の理論と、理論として同一であるという原理。前者は後者より1次元高い時空となっており、平面から立体像が浮かび上がる光学のホログラムに見かけが類似しているためにホログラフィーと呼ばれます。反ドジッター宇宙のホログラフィー原理(AdS/CFT対応)に対しては膨大な検証に成功してきています。より一般の宇宙に対するホログラフィー原理は現在でもほとんどが未解明です。

量子重力理論

ミクロな物理法則である量子論とマクロな宇宙の物理法則である一般相対性理論を融合させて得られる、ミクロな宇宙の物理法則の理論。

共形場理論

空間の角度を変えない変換を共形変換と呼び、共形変換で不変となる量子物質の理論を共形場理論と呼びます。英語でConformal Field Theory、略してCFT。共形場理論は特に、拡大縮小しても変わらないというスケール対称性を有しており、量子物質の量子臨界点において実現される理論です。本研究で利用されるWess-Zumino-Witten模型は、二次元共形場理論の特殊な例であり、さらに大きな対称性を持っています。

反ドジッター宇宙

宇宙定数が負のアインシュタイン方程式に対する代表的な解。円板のような空間構造をしており、境界で囲まれ、時間が経過しても大きさが変化しない宇宙です。英語でAnti de Sitter Space、略してAdS。

AdS/CFT対応

反ドジッター宇宙に対するホログラフィー原理。反ドジッター宇宙(AdS)の重力理論は、その端に存在する共形場理論(CFT)と同一の理論となるという対応関係。反ドジッター宇宙を円板と思うと、円板の外周に共形場理論が位置します。

量子もつれ(量子エンタングルメント)

ミクロな世界の物理法則が量子論で、ミクロな世界の情報を量子情報とよびます。その量子論に特有の二つの物体間の相関が量子もつれです。二体合わせると、一意的に状態を指定できるが、片方のみに着目すると状態が曖昧になってしまうという性質を持っています。量子もつれの度合いを測る量はエンタングルメント・エントロピーと呼ばれます。

dS/CFT対応

ドジッター宇宙に対するホログラフィー原理。ドジッター宇宙(dS)の重力理論は、無限の未来に位置すると考えられる共形場理論(CFT)と同一の理論となるという対応関係です。後者には時間座標は含まれず、時間は虚数時間と解釈され、ユークリッド空間における共形場理論になります。

宇宙の波動関数 

量子論において、粒子のミクロな状態は波動関数と呼ばれる座標の関数で与えられ、その二乗をとると粒子がその値の座標に存在する確率を表します。これを重力理論に応用すると、宇宙のミクロな状態は宇宙の波動関数で与えられます。これは、宇宙のサイズや形状に依存して値が決まる関数です。

量子物質の分配関数 

統計力学において、ある系の物理量の平均を計算する際の母関数を分配関数と呼びます。この関数は系の全ての自由度の和から計算され、そこから熱力学的な量は全て計算することができます。特に、量子的な物質に対して、そのすべての自由度について和をとることで、量子物質の分配関数が計算されます。