光で記憶を消去する
よい記憶に睡眠が必要な理由を解明
概要
アメリカ映画、『Men in Black』では、Will Smith扮するエージェントJが、秘密の道具「ニューラライザー」から光を照射して、エイリアンを目撃した人々の記憶を消去していきます。京都大学大学院医学研究科 後藤明弘 助教、林康紀 同教授、理化学研究所脳神経科学研究センター 村山正宜チームリーダー、Thomas McHughチームリーダー、大阪大学産業科学研究所 永井健治栄誉教授らのグループの研究により、そんなSFのようなことができるようになりました。
後藤助教らは、まずイソギンチャク由来の光増感蛍光タンパク質を使って、シナプスのタンパク質を光照射により不活化することを試みました。このタンパク質は光を照射すると、活性酸素を放出し周囲のタンパク質を不活化します。この性質を利用すると、記憶を起こしたシナプスのみを消すことができました。
次に、このタンパク質を脳の様々な部位に導入すると、光を使って記憶を消すことができるようになりました。面白いことに、学習の直後に記憶ができるシナプスや、その後の睡眠中に記憶ができるシナプス、次の日の睡眠中に記憶ができるシナプスが、脳の異なった部位にそれぞれ存在することがわかりました。本研究により、記憶を長期間保つ、睡眠の機能の新しい細胞モデルを提唱し、記憶・睡眠研究の前進に貢献しました。本研究成果は2021年11月12日に、国際学術誌「Science」のオンライン版に掲載されました。
背景
記憶は海馬で短期的に保存された後、皮質で長期的に保存されます。この現象は「記憶の固定化」と呼ばれますが、それを担う細胞活動は完全には解明されていませんでした。記憶の細胞単位の現象として、細胞間の神経活動の伝達効率が上昇するシナプス長期増強(LTP)が知られており、LTPが誘導された細胞で記憶が形成されていると考えられています。したがって、記憶の固定化の過程でLTPが誘導される細胞と時間を調べることで、記憶がいつ、どの細胞に保持されているかが分かります。しかしこれまでにそれを調べる技術がありませんでした。したがって本研究は、LTPがいつどこで起きているかを検出する技術を開発し、それを用いて記憶の固定化中にLTPが誘導される細胞とその時間枠を明らかにすることを目的として始まりました。
研究手法・成果
LTPが起きる時間枠を検出するために、光によってLTPを消去する手法を開発しました。LTPに伴って、シナプス後部のスパインという構造が拡大するsLTP (structural LTP)が知られています。このスパインの拡大にはアクチン関連分子であるcofilinという分子が重要であるため、cofilinをCALIという手法で不活化することで、光によってsLTPとLTPを消去する技術を開発しました(図1)。このため、イソギンチャク由来の光増感蛍光タンパク質である、SuperNovaを使いました。SuperNovaは光を照射すると、活性酸素を放出し周囲のタンパク質を不活化します。この性質を利用してcofilinを不活化すると、LTPが消去されました。これまでにも薬剤を使ってLTPを消去する手法はありましたが、光を使う本技術により、狙った場所・時間でだけLTPを消去することが初めて可能となりました。
この技術を使って、学習の直後、あるいは学習後の睡眠中の海馬に光を照射したところ、それぞれで記憶が消去されました(図2)。これは学習直後とその後の睡眠において2段階のLTPが海馬で起きていたことを示しており、その段階的なLTPによって海馬で短期的な記憶が形成されることを明らかにしました。
次に、カルシウムイメージングによって細胞の活性を観察したところ、学習直後のLTPにより細胞は学習空間特異的に発火するようになり、さらにその後の睡眠中のLTPによって細胞同士が同期して発火するようになることを見出しました。これまでにも、記憶を担う細胞群(セルアセンブリ)は同期あるいは相関した発火を示すことが知られており、この発見により、記憶を担う細胞が形成される過程をより詳細に見ることができました。
さらに記憶が皮質に移る時間枠を知るために、前帯状皮質でのLTP時間枠を調べたところ、学習の翌日の睡眠中に前帯状皮質でLTPが誘導されていることが分かりました。つまり、長期的に保存されるための記憶は学習の翌日には既に皮質に移行し始めていることが分かりました。
図1. SuperNovaを用いた光によるcofilinの不活化(左)。スパイン形態(RFP)とcofilin(右)。LTP誘導によりスパイン拡大とcofilin集積が見られます。光によりスパインが縮小しLTPが解除されます。バー1μm
図2. 光照射による学習直後のLTPの消去。SuperNova融合cofilinを発現したマウスの海馬に、記憶タスク1分前、2-120分後でそれぞれ光を照射すると、タスク後2-20の時間枠で短期記憶が消去されました。
波及効果・今後の予定
本研究ではLTPが誘導される時間枠を解析する技術を開発しました。LTPは海馬と皮質だけではなく、記憶に関与した多くの脳領域で共通した記憶形成のメカニズムです。したがって本技術は記憶に関与する多くの脳機能を細胞レベルで解明することができる可能性を持っています。また記憶を長期的に保持するという我々の生活に重要な脳機能を理解することは、社会における記憶へのより良い理解につながることだと思います。またLTPに関わるシナプスの異常は発達障害、外傷後ストレス障害 (PTSD)、認知症、アルツハイマー病といった記憶・学習障害だけではなく、統合失調症やうつ病の発症にも関与することが示唆されているため、本研究で得られた知見がそれらの治療法に広くつながることも期待されます。
研究プロジェクトについて
本研究は、理化学研究所脳神経科学研究センター(村山正宜チームリーダーのグループとThomas McHughチームリーダーのグループ)、大阪大学産業科学研究所(永井健治栄誉教授のグループ)との共同研究として行われました。
また以下の支援を受けて行われました。文部科学省科学研究費補助金( 21650080, 16H01292, 16H01438, 16H02455, 17K19631, 18H05434, 19H01010, 15K06728, 17H05949, 18K14818, 20K15901, 18H05410)、 日本学術振興会、上原記念生命科学財団、内藤記念科学振興財団、光科学技術研究振興財団、ノバルティス科学振興財団、武田科学振興財団、HFSP Research Grant (RGP0022/2013), JST CREST (JPMJCR20E4), JST PRESTO (JPMJPR0165)、稲盛財団。
論文タイトルと著者
タイトル:Stepwise synaptic plasticity events drive early phase of memory consolidation (段階的なシナプス可塑性が固定化の初期段階を制御する)
著 者:後藤明弘、棒田亜耶花、宮顕、Jingbo Wang, 塚元鈴音、Xinzhi Jiang, 平井大地、村山正宜、松田知己, Thomas J. McHugh, 永井健治、林康紀
掲 載 誌:Science DOI:10.1126/science.abj9195
研究者のコメント
膨大な数の細胞の緻密な構造が高度に制御されることで、我々は子供の頃のことまで鮮明に覚えていることができます。本研究では様々な技術を導入し、共同研究者と共に取り組み続けることで、そのメカニズムを少しずつ解き明かしてきました。我々の日常の何気ない行動を支える高度な制御メカニズムを明らかにできたことを本当にうれしく感じています。
用語説明
- シナプス長期増強(LTP)
神経細胞間の信号伝達はシナプスを介しており、シナプス長期増強(LTP)によりシナプス結合強度が増加し、信号伝達が向上します。このLTPによる神経細胞間の信号伝達の持続的な向上が、記憶の細胞レベルでの現象であると考えられています。またLTPを誘導することで長時間、スパインの持続的な増大がする現象がsLTP (structural LTP)として知られており、記憶の貯蔵の場であると考えられています。
- CALI (Chromophore-assisted laser inactivation)
光によって特定のたんぱく質を不活化する技術です。本研究ではSuperNovaという光増感蛍光たんぱく質をアクチン関連分子のcofilinに融合させました。そこに特定の波長の光を照射すると、SuperNovaは自らが光を吸収して得たエネルギーを酸素に渡すことで反応性の高い活性酸素を発生し、近傍にあるcofilinのみを不活化することができます。