AIと社会、その正体を解きたい
社会技術共創研究センター(ELSIセンター) 工藤郁子 特任准教授
「AIと社会」の専門家として、ひっぱりだこだ。NHKラジオ、YouTube動画、Podcastでイキのいいお喋りを繰り広げたと思ったら、書籍や論文、様々な寄稿やWEB記事では、自由自在かつ精緻に言葉を刻む。先進企業とディスカッションし、政府の会議にも出る。仕事はバラエティに富みすぎている。その根底にあるのは、AIという存在への「違和感」だという。AIは法律と同じように《否応なく人の行為を制約し、意思決定を方向付ける存在》なのに、世間では熱狂的に受け入れられている。「何なんだ、コイツ」。AIの「正体」を突き止めようと働き続ける、工藤郁子特任准教授の正体とは——。

いち研究人が、AIと対峙するまで
人類に猛烈に浸透する便利なAI。しかし、差別や偏見の増幅、誤情報やディープフェイクの危険性などのリスクは放置できない。国も企業も国際社会も、AIの安全な活用やリスクを管理する「AIガバナンス」の構築を急ぐ。
新たな情報技術やAIに対して、人はどんなルールを定めるべきなのか?を10年以上にわたり研究しているのが、大阪大学ELSIセンターの工藤特任准教授だ。
哲学にも興味があったが、議論の「よすが」として条文や判例を使いたいと考え、法学部へ。大学院生の頃から、SNSなどの新技術を法でどう扱うかを考えてきた。修了後は、「都内で会社員をしながら本や論文を読み、尊敬する先生たちのいる研究会に趣味で顔を出していました」。ところが気付けば、情報法政策分野の“在野”研究者として自分でも論文や報告を発表するようになっていた。
2010年代後半、AIに関する研究会で、大阪大学の岸本充生教授(現ELSIセンター長)や福田雅樹教授と出会った。20年のELSIセンター誕生を機に、招へい研究員として大阪大学での研究活動をスタート。早速同年には、国の新型コロナ接触確認アプリ「COCOA」について、利用者目線での判断基準「10の視点」を岸本教授と発表した。先端情報技術、特に近年はAIをめぐるタイムリーな倫理的・法的・社会的課題(ELSI:Ethical,Legal and Social Issues)について、論点整理や制度のあり方を精力的に発信している。
社会がAIと接する最前線で
ELSIセンターは2025年、株式会社メルカリと「メルカリR4Dラボ・大阪大学協働研究所」をスタートし、人文社会科学の知見と現代・未来社会との接続に取り組む。工藤特任准教授は、メルカリの「悩み」を観察し、企業が責任をもって社会と向き合う現場を分析している。これまでに、男女賃金格差や教育現場との連携などを検証し、レポートが高校の授業で使用された例もあるという。
企業の関心はAIとの付き合い方。しかし「AIガバナンスの研修や講演をしても、座学ではみなさん眠そうで」と打ち明ける。そこで東京大学の江間有沙准教授とともに開発したのは、ユニークな交渉型シミュレーションゲーム『笑顔の謝罪会見』。AI利用サービスの「炎上」に対応する記者会見に向けて、AI開発企業とサービス提供企業の担当者が急きょ作戦を練る設定で交渉し、得点を競う。AIに潜むバイアスや統計的差別の問題、不祥事での合意形成の難しさなどを、疑似的な「痛い」体験から学ぶ仕掛けだ。ゲームは今年7月に公開。一式を誰でもダウンロードできる。
活躍は国内にとどまらない。23年5月のG7広島サミットでは、AIの安全性に関する国際的枠組み「広島AIプロセス(HAIP)」が始動した。前触れとなる公式官民イベントを運営する世界経済フォーラム側の責任者として、工藤特任准教授らはグローバルなAIガバナンスの相互運用を提言。その後、HAIPは単なる行動規範にとどまらず、透明性レポート作成という具体的な制度設計を含む画期的な成果となった。現在、GoogleやOpenAI、ソフトバンクなど世界50以上の企業・組織が透明性レポートを公開。さらに25年のカナダG7の勉強会で、企業の参加動機を分析し研究成果として報告した。
“第nの権力”にもバランスを
メディアを通じてELSIを伝えることも、自身の役割だという。社会とアカデミアの境界をまたぎ、“ニッチ”な課題を拾って橋渡しをする。「憧れの先生方の研究時間を守るためにも、そこは私が!と手を挙げているだけです」と謙遜するのが工藤特任准教授らしい。
法学研究と先端技術の社会実装は、「権力」でつながる。例えば戦後の憲法学では「国家権力をどう縛るか」の問題意識が強かった。マスメディアやSNS、そしてAIが不可欠な存在となった現代社会においては、これらのプラットフォーマーも実質的に「権力者」となっている。厳しいルールを課すべきか?そこに《「権力の正しい行使」は、弱者の救済のためにも必要》という現代憲法学の視点を用いれば、より適切なガバナンス構築を検討できる、と語る工藤特任准教授。次々に現れる新たなテック産業に、過剰な「権力」ではなく適切な「推進力」を与えるバランスを、法学はじめ古今東西の人文社会科学のロジックで模索する面白みがここにある。
「AI for Science」の未来は
AIの活用は、重要な国家戦略と位置づけられている。内閣府や文部科学省等で関連会議の委員も務める工藤特任准教授。今、特に注目するのが「AI for Science」の政策だ。AIにより科学研究を加速させるパワフルな計画の一方で、査読制度の崩壊や論文の信頼性低下、バイアス増幅といった「現場にある危機」を挙げる。さらに、AIの「正解」を説明できない「理解の危機」、職業科学者の役割が根底から変わる可能性を指摘する。これらを踏まえつつ、予算の公正な分配やAI研究環境へのアクセス自律性など「AIが科学の制度や仕組みにもたらすインパクトを法学とELSIの観点から考えていきたい」と話す。
「技術が未来を拓く」と単純には言い切れない。技術と人間の複合的な相互作用によって社会は変化する、と工藤特任准教授は考える。「なので、説明変数が少ないと不安になるんです」と、「違和感」のセンサーがはたらく。ルールは何のためにあり、人はどのように動くのかを丁寧に見つめながら、最大の趣味である「研究」を楽しみ続ける。
工藤特任准教授にとって研究とは?
「鑑賞対象」であり、「同人活動」です —— 尊敬する先生や研究者の、エレガントな著述、緻密な論理構成、斬新な視点を、いつも堪能しています。自分自身の研究は、その「趣味」が高じて 同好の士とZINEをわいわい作っている感じかな、と。
◆プロフィール
上智大学大学院法学研究科修了。2011年法務博士(専門職)。世界経済フォーラム 第四次産業革命日本センタープロジェクト戦略責任者などを経て24年から現職。専門は情報法政策。24年には内閣府「AI制度研究会」構成員を務め、日本におけるAI法の制定に寄与。共著に、『ELSI入門』(丸善出版)、『尊厳とAI・ロボット』(法政大学出版局)、『はたらく人文知』(光文社)など。NHKラジオ「マイあさ!」での解説出演や、TBS Podcast「働き者ラジオ」のパーソナリティも。
■参考URL
社会技術共創研究センター(ELSIセンター)
メルカリR4Dラボ・大阪大学協働研究所
(本記事は、2026年10月7日発行の大阪大学NewsLetter 95号に掲載されたものです。)
(2026年7月取材)
