阪大免疫学研究を巡る2世紀の物語
適塾からIFReC、そして未来へ
坂口志文特別栄誉教授のノーベル生理学・医学賞受賞は、「免疫の阪大」という世界的な評価を一層高めた。多くのワクチン開発や創薬を実現してきた大阪大学の免疫学研究の源流をたどると、江戸時代の蘭医学者、緒方洪庵が大坂に開いた「適塾」へ行き着く。その流れを汲む、免疫学フロンティア研究センター(IFReC)の竹田潔拠点長に、200年近くに及ぶ歴史を振り返ってもらった。

阪大の「精神的源流」から

緒方洪庵(1810 ~ 63年)が大坂に私塾・適塾を開いたのは江戸末期の1838年。集まった塾生には福沢諭吉、大村益次郎ら、明治にかけて近代化に活躍した人物も多数含まれた。
医学面での洪庵の業績として、竹田拠点長は「二つの感染症との戦い」を挙げる。その一つが、江戸や大坂で多くの死者を出していた天然痘だ。ワクチンの先駆けである種痘による予防法がイギリスで発見されたことを知った洪庵は、長崎に届いた痘苗を入手し、自ら設置した「除痘館」で接種して蔓延を防いだ。もう一つのコレラは1858年、国内で大流行した。洪庵は海外の文献を編集して治療法や看護法を示した『虎狼痢治準』を同年内に緊急出版した。
大阪府は1869年、大阪仮病院と大阪府医学校を開設。除痘館を附属施設とした医学校は、曲折を経て、大阪大学の前身の大阪府立医学校(1915年から府立大阪医科大学)となる。校長・学長を務めた佐多愛彦氏は1905年、流行していた肺結核を専門に診る肺癆科を全国に先駆けて設置した。佐多氏の後任として1925年に赴任した今村荒男氏は、肺癆科を改称した第三内科の初代教授となった。BCGの人体接種を初めて成功させ、その後、結核予防の中核として定着させていく。
大阪医科大学を母体に1931年、医学部と理学部からなる大阪帝国大学が誕生。今村氏は戦後すぐ、5代総長に就任し、文系学部を設置して総合大学へと発展させた。
黄金期へ

「免疫の阪大」は第三内科を中心に黄金期を迎える。1962年から第三内科教授、1979 ~ 85年に11代総長を務めた山村雄一氏は、結核研究で業績を上げ、阪大をバイオテクノロジーの中心地にする構想を進めるなど多くの功績から阪大の「中興の祖」といわれる。日本免疫学会の創始者でもある。
山村氏を慕って入局した岸本忠三氏(14代総長)は、関節リウマチの特効薬「アクテムラ」を製薬会社と共同で開発する功績を残した。それは平野俊夫氏(17代総長)と岸本氏が1986年に発見した「インターロイキン6(IL- 6)」が起点だった。IL- 6は免疫応答や炎症反応の調整をする分子で、関節リウマチなどの自己免疫疾患の引き金になる。IL- 6の働きを抑えるアクテムラは、今も海外を含めて年間千数百億円を売り上げ、多くの患者を救う。近年は他の病気へも用途が広がっている。
竹田拠点長は「岸本先生が引用される山村先生の言葉に『ノーベル賞級の仕事をしても教科書に一行載るだけだが、次の世代を育てれば、自分の考えがまた次の世代へ拡大・再生産されていく』というものがあります」と語る。その言葉通り、第三内科からは多くの免疫学者が巣立っていった。
師とは別のテーマを

岸本氏の門下生である審良静男氏は、IL- 6 を活性化するシグナル分子STAT 3 を発見。その後は新たに自然免疫の研究に取り組み、自然免疫細胞の表面のTLR(トール様受容体)という分子が獲得免疫の活性化にも関係することを明らかにした功績で、2011年のガードナー国際賞に続いて、2026年の日本国際賞(JapanPrize)受賞も決まった。
熊ノ郷淳現総長は岸本氏の講義に魅せられ第三内科に入局し、微生物病研究所所長を務めた菊谷仁氏の下で研究。神経の発生に関わる因子とされていたセマフォリンと呼ばれる分子群が、実は免疫に重要な働きをしていることを突き止めた。
竹田潔拠点長も同時期に第三内科に。岸本氏の勧めですぐに審良氏の下で自然免疫を学び始めた。TLRを研究する中、STAT 3 遺伝子欠損マウスがある条件下、腸炎を起こすことを見つけ、腸炎を研究テーマと決めた。TLRと別の研究を選んだのは「独立する時は師匠と異なる研究をする」と話していた審良氏の影響もある。現在も、クローン病などの炎症性腸疾患の発症機構の解明に向けた研究を続けている。
こうした研究者の探究心と独立心が、阪大免疫学の幅広く豊かな系譜を支えている。また、世界トップレベル研究拠点(WPI)である2007年のIFReC設立を機に「世界的な研究者」を招く機運も高まり、坂口志文特別栄誉教授らの招聘も実現。2011年には免疫分野の研究機関ランキングで大阪大学が世界一に輝いた。
ワクチンで社会実装も

免疫学研究の一方、1934年に設立された微生物病研究所(微研)は病原体や感染症の基礎研究を牽引し、こちらも大きな成果を上げてきた。
研究所は谷口腆二・大阪医科大学教授の働きかけを受けた実業家・山口玄洞氏の寄付によって設立され、大阪帝国大学の付属機関となった。「大学発スタートアップ」の先駆と言えるBIKEN財団も設立され、ワクチンの製造・供給を担った。
1950年に大阪で20人が死亡した「しらす中毒事件」を契機に、教授の藤野恒三郎氏は未知の原因菌「腸炎ビブリオ」を発見した。奥野良臣氏は1960年、ニワトリの孵化卵を用いた世界初の麻疹ワクチン製造法を開発し、この方法は今も世界で使われている。また、高橋理明氏が長男の水痘発症を機に開発した水痘ワクチンは1983年、世界保健機関(WHO)に適性を認められ、現在も使用されている。
IFReCの初代拠点長の審良氏は、微研の特任教授を今も兼任し、自然免疫システムの解明を進める。学内での人的な交流も相まって「免疫学と感染症研究の融和が常に進められてきた」と竹田拠点長は話す。
続く伝統

その象徴となる出来事の始まりが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)だった。「WPIの責務として、COVID-19を克服する基礎研究を進めよう」との竹田拠点長の呼びかけに、IFReCの研究者全員と微研、阪大病院の有志が集まった。2020年に結成した「チーム阪大研究」は、研究費もない中、患者の細胞やウイルス解析などを手弁当で始めた。やがて大阪大学未来基金などから研究費が付き、100本を超える論文を研究成果として発表した。
この流れを発展させた「オール阪大」の組織として、次なる感染症の脅威に備えるための感染症総合教育研究拠点(CiDER)が2021年に、同様にワクチン開発を目指す先端モダリティ・DDS 研究センター(CAMaD) が2022年に設立された。
「みんなが自分の研究を横に置いてCOVID-19研究に賛成してくれた。そこから、阪大の生命科学研究が部局を超えて展開できるようになった」と竹田拠点長。
これらの新拠点にも、気鋭の研究者が既に集っている。広く、深く、基礎研究を進化させながら、医療の現場と向き合い、成果を社会に還元する―そのバトンを受け継ぎ、ノンストップで走り続けるのが、阪大免疫学なのだ。
参考URL
大阪大学 適塾記念センター
免疫学フロンティア研究センター(IFReC)
感染症総合教育研究拠点(CiDER)
先端モダリティ・DDS 研究センター(CAMaD)
(本記事は、2026年2月27日発行の大阪大学NewsLetter 94号に掲載されたものです。)
