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細胞活動をさかのぼる「タイムライン」

いのちのダイナミクスに迫る未来のプラットフォーム

ヒューマン・メタバース疾患研究拠点 谷内江望 特任教授

「細胞内にビデオカメラを埋め込み、内外に生じる動きを観察する」「ある特徴が現れた細胞の元々の性質を、タイムマシンのように遡って調べる」。驚きに満ちたそんな技術も、もはや絵空事ではない。大阪大学ヒューマン・メタバース疾患研究拠点(PRIMe)の谷内江望特任教授は、生物の基本単位である細胞にさまざまな仕掛けを施し、起きた事象を時系列で追う画期的な仕組みを実現しようとしている。目的は医療応用に限らない。「教科書を書き換え、生物学や医学をさらに発展させる」。見据えるのは、そんな未来だ。

細胞活動をさかのぼる「タイムライン」

タイムマシンとビデオカメラ

どちらの研究も10年ほど前に始めた。現在の生物学では、細胞の様子を調べるには細胞を壊さざるを得ない。しかもその瞬間の状態しか観察できず、それ以前の性質、変化を知ることはできない。「細胞を壊さずに、ダイナミックな生命活動を観察できる技術ができないか」と考えたのが出発点だった。

このうち「タイムマシン」は、谷内江特任教授が主導して今年5月に発表し、「CloneSelect法」と名付けられた新たな遡及的クローン単離法を指す。

初期の細胞は分化することで役割が分かれ、種々の臓器などになっていく。この手法では、まず分化前の初期の細胞集団を作る。一つ一つの細胞に識別用のバーコードタグのようにDNA配列を付けたうえで短期間培養し、二つの集団に分ける。片方は実験用で、もう一方は冷凍保存しておく。実験用集団を薬剤耐性などの実験に用いた後、例えば「よく増殖する」性質を示した細胞を調べたい場合、保存用集団から同じバーコードを持つ細胞を取り出し、解析することができる。

谷内江特任教授らはDNAの塩基配列を変えるゲノム編集技術を用いて、集団から特定の細胞を高精度に取り出す技術開発に成功した。精度向上のための研究をさらに続けている。

「がんになりやすい細胞や、さまざまな臓器になりやすい細胞が元々どういう性質を持っていたかが分かるようになってくると思う」。抗がん剤に耐性を示すがん細胞の元々の性質を解明できれば、創薬に役立つ可能性がある。世界中で数十グループが、この技術を薬剤開発や再生医療などへ応用する研究を始めたという。

一方、「ビデオカメラ」は「DNAイベントレコーディング」と名付けた。

細胞の中には4種の塩基(A、T、G、C)を含むDNAがあり、塩基の配列がたんぱく質や分子の発現などに関わっている。そこで、ゲノム編集技術などを用いてビデオカメラの機能を持つような部品(モジュール)を発現させられないかと考えた。

細胞の活動を記録して観察するには、①情報を記憶できるような配列にした人工的DNAの「メモリー」②細胞分裂や状態の変化などを高感度に捉える「センサー」③センサーで集めた情報のメモリーへの「書き込み(記録)」④メモリーに記録された情報の「読み出し」――4つのモジュールが必要という。

細胞は分裂する際、娘細胞にDNA情報が全て複製されるため、全細胞が同じ遺伝情報を持つ。メモリーとセンサー、記録の3モジュールは、マウスの受精卵に埋め込み、成獣になった時に細胞をつぶさに観察(読み出し)する想定だ。読み出しモジュールは記録されたDNA配列だけでなく、時系列の情報を含めて再構成しなければならず、「高度で大規模な計算が必要になる」。そのため、ゲノム編集やDNA配列解析、スーパーコンピューターの設計まで多様な技術開発を並行して進めている。

研究は、初期の細胞分裂のパターンを記録できるようになってきた。「まだまだですが、基本的な技術がある程度そろえば一気に伸びるのでは、という肌感覚はあります」。完成までは「あと10年くらい」と口にした。

夢を描くことから

谷内江特任教授は「研究室の得意な範囲で研究を発想しない」を信条としてきた。まずは「こんなことができたらいいな」と夢を描く。研究中のどちらの手法も「もっと複雑で美しい生き物の振る舞いを知るには、どんな技術が考えられるだろう」と、「科学者というよりエンジニア」の視点で研究してきた。

目標とするのは「プラットフォーム(基盤)の創出」だ。「インターネット自体を作った人に、それが何の役に立つのかは聞きませんよね。プラットフォームだから。僕らも、生物学を学ぶ人たちが恩恵を受けられるようなプラットフォームを作ろうとしています」。新しいプラットフォームを活かして研究した若者たちが、次の生物学や医学を発展させてくれる。そう期待している。

現在、カナダのブリティッシュコロンビア大学(UBC)と大阪大学PRIMeの2研究拠点を行き来する生活だ。仮想空間で人間のデジタルツインを作るという「とんでもない旗印」を掲げるPRIMeの理念を高く評価し、自由な研究環境も気に入っているが、注文もある。「UBCは教員の半数は女性です。どんな年齢でも、研究者は研究者。80歳の教授が院生と議論をしています」。大阪大学など日本の主要大学にも、そんな多様性のある体制作りを望んでいる。

ドラえもんのように

自身を「勉強ができない子どもでした」と振り返る谷内江特任教授。「教科書を読んだり、ものを覚えたりするのがすごく苦手で、分かりやすいことしか理解できなかった」。年齢とともに苦手は克服したが、そんな経験の故だろうか。独創的で難解な研究を「ビデオカメラ」「タイムマシン」と分かりやすく例える。幼少からの「ドラえもん好き」も無関係ではなさそうだ。

「こんなことができたらいいと、実はみんなが思っていることを追求したい。僕でなくても誰かがやりそうな研究や仕事は、やっても意味がないかな」。

そのポケットから、次は何が生まれるのだろう。

谷内江特任教授にとって研究とは?

たくさんの科学者たちが築いた豊かな礎と流れの中で、 自分たちをその一員にしてくれるもの。 また、自然の真理の前で私たちを謙虚にし、 生きる力と知恵と無限の想像力を授けてくれるもの。

◆プロフィール
2005年慶應義塾大学環境情報学部卒。09年同大学大学院政策・メディア研究科システム生物学で博士(学術)。ハーバード大学、トロント大学で博士研究員を経て14~22年東京大学先端科学技術研究センター准教授。20年ブリティッシュコロンビア大学(UBC)准教授。23年3月から大阪大学ヒューマン・メタバース疾患研究拠点特任教授、同7月からUBC教授。

■参考URL

ヒューマン・メタバース疾患研究拠点

https://prime.osaka-u.ac.jp/


(本記事は、2025年10月発行の大阪大学NewsLetter 93号に掲載されたものです。)

(2025年7月取材)