「ものづくり」から「夢づくり」へ
ラグジュアリー産業の経営史から紐解く日本の現在地
経済学研究科 ピエール=イヴ・ドンゼ 教授
銀座や心斎橋に並ぶ高級ファッションや宝飾品のブランド店。その多くがヨーロッパ企業だ。ふとこんな疑問がよぎる。米国や日本も同じようなものを作れるはずなのに、どうして…? スイス出身のピエール=イヴ・ドンゼ教授は、グローバルな視点で経営史を研究している。一度は日本の時計産業に駆逐されかけながら復活を遂げたスイスの時計産業や、今では巨大なコングロマリットを形成し莫大な利益を生み続けるヨーロッパのラグジュアリー産業の分析、ファッション・ビジネス、病院や多国籍企業の経営史まで、その研究対象は幅広い。 そこから見えてくるのは、他でもない日本の産業の「現在地」だ。

スイスの時計産業はなぜ復活したか?
ドンゼ教授は大学院生時代、スイス・ヌーシャテル大学で経営史を研究していた。ヨーロッパにおいて、経営史は歴史学の一分野として人気が高い学問だ。特定の企業の歴史だけではなく、より大きな視点で、ある産業がその国や世界でどのような変遷をたどってきたのかを調査・検証し、その特徴や戦略を客観的に読み解いていく。
日本に留学した際、日本の時計産業に興味を持った。故郷の町ラ・ショー・ド・フォンはスイスで1980年代まで最も重要な時計製造の中心だった。しかしその後、日本のセイコーの腕時計が登場すると価格競争に敗れて、80年に時計生産数世界一の地位を奪われてしまう。ところが、再びスイスが巻き返しを図り、見事にその地位を取り戻した。「なぜそんなことが起こったのか?」。そんな疑問が研究のきっかけになった。
スイスの時計ブランドは今や輸出額や生産額で日本をはるかにしのぐ。「大胆な業界再編と、オメガなど高級ブランドによる、特にファッションという要素を付加した経営戦略が成功した」とドンゼ教授は分析する。スイスは腕時計を宝石のような装飾品に変え、世界の富裕層の心をつかんだ。一方日本のメーカーは、もともと精密な「ものづくり」を得意とし、重きを置いてきた。「日本のものづくり技術は素晴らしいが、そこにこだわり過ぎて消費者の求める製品価値に思い至らなかったのでは」。
ドンゼ教授の関心は、スイスの時計産業の研究から、ファッション、宝飾品、化粧品などラグジュアリー産業全般の経営史研究にも及ぶようになる。
ラグジュアリー産業は「夢づくり」
「日本の経営学でラグジュアリー産業の話をすると、遊びや趣味のように受け取られることが多い。しかし、これは自動車産業と同じくらい重要なビジネスです。ヨーロッパのラグジュアリー産業を読み解くことで、日本のものづくり産業の特徴や課題が浮き彫りになります」。
1980~90年代に台頭したラグジュアリー産業の転換点は、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の誕生だった。古くから革製品を扱う同企業はM&Aを繰り返し、高級ブランドへと変貌していく。「このような企業の競争優位の源泉は何か」が研究の核心になった。
強調するのは「ラグジュアリー産業=新しい産業」ということだ。古いブランドを活用しながら、市場のグローバル化、多国籍企業の形成、マーケティング戦略という3つの変革によって急成長した。「価格を上げて買いにくくし、かえって顧客が欲しくなるようにする」という価格戦略も大きな特徴だ。
しかし、ラグジュアリー産業はただ高価なものを販売しているわけではない。「ラグジュアリーはものづくりではなく、夢づくり」とドンゼ教授は話す。製品という“モノ”を売るのではなく、コンセプトや物語という“コト”を売り、手に入れたいという夢を持たせる。「医療器具や薬品などを除けば、消費者が製品に求める機能の質には限度がある。機能価値だけではない価値を作り出すことが重要です」。ただし、社会的不平等の拡大が高級品市場の成長を促した側面もあり、ブランド礼賛のような論調には警鐘を鳴らす。
翻って、そこから見える日本の姿は?ドンゼ教授は「21世紀になり日本の製造業が長くターゲットにしてきた中間マーケットが世界で縮小している。市場は低価格と高価格に二極化。安くても良いものが増え、品質では差が付けられなくなっている」とし、日本に根強いものづくり重視の発想からの転換が必要と考える。ユニクロや無印良品のように「コンセプトを売る」ことに成功している日本企業もある。倉敷のデニムなど世界的に評価され、多くのブランドに採用されている商品もある。日本の豊かなヘリテージや近年のソフトパワーの強みを生かしたストーリーづくりが企業に求められている。
思いがけない資料とめぐり合う醍醐味
経営史の研究を進める上で重要な資料になるのが、その企業の「営業報告書」や「社史」などのデータだ。それは「経済学」と聞いたときにイメージする、数学や統計を駆使する研究とは少し異なる。ドンゼ教授は「私はヒストリアンなので、数学はできません」と笑う。
資料収集には、企業の保秘という壁も立ちはだかる。通常、企業が経営の1次資料を簡単に開示することはない。そこで、銀座や心斎橋などの店舗を直接訪れ、販売員と信頼関係を築きながらインタビューを行う。古本屋に足しげく通い、「お宝」を探し求める。意外にも大阪のJETRO(日本貿易振興会)でスイスの時計産業の貴重なデータを見つけたこともあった。思ってもみない資料や史料との出会いが、経営史研究の醍醐味だ。
研究テーマは、ラグジュアリー産業に留まらない。病院経営におけるイノベーションと設備投資の関係、日本と世界のファッション・ビジネス比較、デザインの経営史、多国籍企業の経営史などまだまだ興味は尽きない。グローバルな視点から日本を見つめるユニークな分析が、今後も生まれてきそうだ。
ドンゼ教授にとって研究とは?
世界を理解し伝えること。 まず世界や社会について知りたいという自分の欲求を満たすために研究するが、自分が知り理解すれば、そのことを誰かに伝えるというのも研究の魅力です。
◆プロフィール
2005年ヌーシャテル大学で博士号(歴史学)取得。京都大学白眉センター特定准教授などを経て、15年大阪大学大学院経済学研究科准教授、16年から現職。『機械式時計という名のラグジュアリー戦略』(世界文化社)、『ラグジュアリー産業-急成長の秘密』(有斐閣)をはじめ仏語、日本語、英語の著書多数。
■参考URL
(本記事は、2025年2月発行の大阪大学NewsLetter 92号に掲載されたものです。)
(2024年11月取材)