未解決問題と対峙し、革新に向けた第一波を、世界に投げかける。
複素解析学/大学院理学研究科 数学専攻 教授 山ノ井 克俊

数学的難題の証明に必要な“運”、そして“身の程知らず”。
数学の世界にあふれる「未解決問題」。双子素数は無限個存在するのか、といった有名な予想以外にも、例を挙げればキリがないほどの数学的未知が、私たちの目の前にひっそりと存在し続けています。こういった未解決問題を解決に導き、その解釈が疑う余地なく正しいのかを証明することが、私たち数学者の使命。私自身はネヴァンリンナ理論を主な研究テーマとしつつ、過去には「アーベル多様体に関する場合の第二主要評価式の証明」や「準アーベル多様体の正則写像に関するブロッホ原理の証明」などを達成してきました。
なぜ、こういった問題を解決に導けたのか。少し驚かれるかもしれませんが、私個人としては“運”によるところが大きいと思っています。数学的未解決問題は、ある種の迷路のようなもの。中心部分に答えが待っているのですが、問題への入口は数限りなくあり、そのほとんどが中心にあるゴールに辿り着けない仕様になっています。そのためスタートの段階で、正しい入口、つまり解決につながる可能性の高いアプローチ方法を選びとる運が、まずは必要です。ここで運良く、正しい入口を選んだとしましょう。道を進んでいくと、今度は鍵のかかった扉に何度も前進を阻まれます。この扉を開くために必要となる鍵が、さまざまな定理や数学的テクニック、ひらめきの力です。しかし世界には、専門家の私でも到底把握しきれない数の定理が存在していますし、ひらめきを意図して得るのも至難の業。だからこそ、ここでもまた、鍵穴に合う定理を知っているか、ひらめきを得られるかどうか、という運が必要となるわけです。こういった運や出会いに恵まれていたからこそ、これまで自分は成果を上げてこられたのだ、と考えています。
では逆に、不運な人は成果を上げられないのでしょうか。実は、そういうことでもありません。ほとんどの入口が不正解なのだとしても、興味を持ち続け、あきらめずに考え続けることで、運良く正解の鍵を引き当てる確率を上げることができる。過去を振り返ると、私自身もそうでしたが、「身の程知らず」な姿勢で挑むことが大事なのかな、と思う部分もあります。偉大な先人と比較して自分のレベルに線を引いてしまうことは無意味なのです。
研究テーマを決めるきっかけになった論説
国境を超えたパートナーシップが、壁を超えるきっかけに。
突然降りてきたひらめきが、長年苦しんでいた問題をぱっと解決してしまう。一方で証明を行うために積み上げた100の過程のうち、ひとつでも間違いがあれば全てが無に帰してしまう。それが数学の世界です。ひらめきも論理の積み上げも、基本的には自身との対話、自身との戦いの中で生まれます。そのため、私は研究活動を自らの頭の中で完結させていて、最近までは誰かと共同研究を行うことにあまり積極的ではありませんでした。
しかし近年取り組んでいる「準射影多様体の基本群の線形表現と双曲性について」というテーマにおいては、フランスで活躍している新進気鋭の若手研究者・Ya Deng氏と国際共同研究を展開中です。きっかけとなったのは、私の研究テーマに興味を抱いていたDeng氏からの一本のメールでした。大きなくくりでいえば複素幾何という同じ領域を研究対象にしているDeng氏と私であっても、一定の共通認識は持っているものの、視点やアイディア、アプローチの方法は異なります。近くにいるのに、少し違う。そんな仲間がいることで、私が壁に感じていた部分をDeng氏が解決に導き、Deng氏が悩んでいた問題に私が光を当てる、という協力体制が実現。研究が大きく前に進んでいることを、日々実感しています。このように、チームで数学の問題に取り組むという姿勢は、実は近年になって活発化しているムーブメント。複数人の知識を合わせることで推進力とスピードが生まれ、次々にユニークな論文が世の中に放たれています。ひとりで黙々と研究に取り組み、個の力で解決することが当たり前だった数学的問題が、集の力、つながりの力で次々に解き明かされている。そんな現状に、数学の可能性の広がりを感じ、私自身もワクワクとしているところです。
数学の研究を通じ、社会のゆたかさを考える。
ここまでに、いくつか私が取り組む研究テーマを挙げてきましたが、文字面を見ただけで私の研究が社会に役立っていく未来を想像できた人は少ないのではないでしょうか。私自身、未解決の数学問題を解くことで、直接的に社会を変化させるのは難しいだろうな、と思っています。しかしかつて、古代ギリシャにおけるユークリッド幾何の基礎への考察が後世に非ユークリッド幾何を生み出し、それを用いてアインシュタインが相対性理論を確立したことで、人類は宇宙へと飛び立つことができました。私たちがまだ誰も知らない数学の側面を解き明かすことで、その理論や定理が物理、工学の世界に応用される。その結果、回り回って社会のあり方が変わっていく。少し先の未来で大きな変革へとつながっていく、そんな変化の第一投を、数学者は担っているのだと思います。
また、私たちのように数学に本気で取り組む研究者がいること、その研究が有意義なものとして社会に受け入れられているということこそが、社会のゆたかさを表しているとも思っています。すぐに役に立たないから、生活の足しにならないから。こういった理由で世界の謎や真理に迫るような研究が軽んじられる世の中では、きっと思いもよらない進歩は起こらず、社会は少しずつ衰退していくのではないでしょうか。暮らしや産業とは少し離れた研究も、おおらかに受け止める。そんな日本社会のゆたかさを、私たちは、研究を続けることで間接的に証明しているのかもしれません。
- 2050未来考究 -
分野や場所を問わず、若き力が自由に発揮できる世界へ。
少し意外かもしれませんが、数学界は若手研究者が活躍しやすい領域だと言われています。極論を言えば紙とペン、調べ物が行えるネット環境、文献などが揃っていれば研究を行えること。ひらめきを得たり、長時間集中したりする思考力のピークが20〜30代であることなどが、この理由です。若手が活躍することで数学界では新しい創造がなされ続けているのだと思います。実力で人の評価が決まり、エネルギッシュに成果を残せる。分野や場所を問わず、若い方々がより自由に、自分らしく活躍できる世界になっていってほしいです。
先生にとって研究とは?
算数のテストで満点をとって、「嬉しい」と感じた小学生時代から、実は数学に向き合う姿勢は変わっていません。難しい問題に挑戦して、解ければ嬉しいし、解けなければ頑張る。ごくごくシンプルな動機で、研究と向き合い続けています。
●山ノ井 克俊(やまのい かつとし)
大学院理学研究科 数学専攻 教授
2000年京都大学大学院理学系研究科数学・数理解析専攻博士課程修了。06年熊本大学大学院自然科学研究科助教授、東京工業大学大学院理工学研究科准教授を経て、15年大阪大学大学院理学研究科数学専攻教授に着任し、現在に至る。
(2024年8月取材)