「漢字の捉え方」が映し出す多様性
他者理解の第一歩に
大阪大学日本語日本文化教育センター 准教授 大和祐子
あなたには、「要」という字がどう見えているだろうか? 部首が「襾or西」で画数は9、「必要」、「要点」、「概要」などに用いられる。見慣れた漢字に対して、どう見える?と聞かれてもと戸惑われる方もいらっしゃるかもしれない。 今回の研究の主題は「漢字」。大阪大学日本語日本文化教育センター(以下、日日センター※)の大和祐子准教授は、留学生の日本語教育に携わりながら、「外国人がどのように漢字理解を深めていくのか」を解き明かす研究に取り組んでいる。その成果は、「分断」がクローズアップされる現代社会に生きる私たちが他者を理解する上で、数々の手がかりを与えてくれる。
非漢字圏の人々が見た漢字
大和准教授はもともと、韓国語や中国語を母語とする人など、漢字に馴染みのある人の日本語教育に携わってきた。日日センターに着任後は、国立大学の理系学部への進学を目指す留学生に対し必要な日本語能力が身につくよう教育するプログラムを担当している。普段接する留学生の多くは、日本語や漢字と無縁の生活を送ってきた非漢字圏の人々だ。ここでの指導の中で、非漢字圏の人々の漢字の捉え方、理解の方法が、これまで接してきた留学生たちとは全く異なることに気づかされた。
冒頭でも触れた「要」を、ある留学生は人がベンチに腰掛けているように見えると話してくれた(図)。「衝撃でした」と大和准教授。他にも、例えば「しん」と読める字は新、信、親、真など多岐にわたるが、表意文字である漢字に親しみのない人々は、音が同じならば意味は通じると考えているケースが多くみられた。漢字の「正しい形」についても、例えば「書」という字から横棒が1本だけ脱落している字を目にしても、間違いだと気づかないことが多い。形が似ている「持」「待」の違いがわからない人も少なくなかった。
非漢字圏の人々は、漢字をどのように捉えているのか。日本語学習、漢字学習を進める時、壁となるポイントは何なのか。長期間、学習を重ねても漢字の見え方に変化はないのだろうか……。いくつもの疑問が湧き上がってきた。認識のメカニズムを解き明かすため、大和准教授は心理言語学のアプローチを用いた研究に取り組み始めた。
漢字認知のメカニズムに迫る
大和准教授らは2017年、論文「非漢字圏日本語学習者の漢字認知メカニズム」を発表した。
日本語学習者の漢字認知については、いくつかの先行研究がある。母語が英語で日本語を主専攻とする学生の漢字2文字からなる「二字漢字語」の処理時間(読み取る速度)を測定したところ、画数が多いほど認知に時間がかかることがわかっている。非漢字圏の人々に対して、漢字の視覚的な複雑さが認知に大きな影響を与えているとみられる。
大和准教授らは、日本語能力が同程度である非漢字圏出身の日本語学習者33人と漢字圏出身の日本語学習者14人という二つの「学習者グループ」を対象に、画数の過不足などがある「疑似漢字」と「正しい漢字」を識別する行動実験を実施した。実験に用いた漢字は旧日本語能力試験をもとに「難しい」「易しい」の尺度と、画数による「複雑」「単純」の二つの尺度を考慮して選択。「学習者グループ」「漢字の難易度」「漢字の複雑性」の三つの要因が成績にどう影響するかを検討した。
その結果、学習者グループに関係なく、漢字の難易度が正誤の判断に最も影響を与えていることがわかった。また、難しい漢字の判断は漢字圏の人が非漢字圏よりも正確で、非漢字圏の人は単純な漢字を、複雑な漢字よりも正確に判断できていた。
疑似漢字の判断では、構成要素の組み合わせが間違っている字(「住」という漢字を、「亻」と「生」で構成した字など)の方が、画数の過不足がある字より正確に「誤り」と判断でき、特に非漢字圏の人は画数の過不足の判断を苦手としていることがわかった。
今、大和准教授は視線の動きを追跡する方法で、学習者が漢字の形を認識するプロセスを、より克明に解明する研究に取り組んでいる。
他者に見えて自分には見えない世界
日本で義務教育を受ける人の多くは、成長に合わせて、日々の生活の中で話し言葉の語彙を増やし、まず仮名を、続いて漢字を覚えていく。一方、漢字をはじめ日本語になじみのない人が日本語を学習する時は、話し言葉も仮名も漢字も、日本での生活方法、日本の文化そのものも同時並行で学ぶことになる。目の前にある漢字を捉える方法が日本人と異なるのは、ある意味当然なのかもしれない。
大和准教授が日本語教育に興味を持つようになった最初のきっかけは、高校時代にタイを訪れ、現地の高校生と数日間、共同生活を送るプログラムに参加したことだった。その中で、同じ物事に対する視線や解釈のしかたが、同年代のタイ人と日本人である自分との間で全く異なることに気づかされた。
「外国人に限らず、この世の中には自分とは違う見方をする人がたくさんいる。他の人に見えていて、自分には見えない世界に、惹かれるようになっていきました」
大和准教授の日本語教育に対するスタンスも、違いを理解した上で、どんな過程をたどればより理解し合えるかが基準となる。留学生が日本語に対して抱える悩みは、決して一律ではない。欧米の言語とは異なる日本語の特殊性に魅力を感じて、日本文学を自在に解釈できるまでに知識を深めようとする人もいれば、学問のツールとして最低限の知識を身につければよいと考える人もいる。
さまざまな国・地域から、それぞれの志を抱いて日本に留学してきた人々に対して、ニーズに見合った日本語教育を提供することは、グローバルな視点を持った意欲的な研究人材を日本全国の大学に送り込むことに直結する。海外から来た人々がストレスなく研究を続けられるような環境が整うことで、日本の大学は世界に向けてより開かれた存在になってゆく。
※ 日本語日本文化教育センター
日本語日本文化教育センターは1954年に大阪外国語大学の「留学生別科」として設置され、これまでに4000人以上の修了生を送り出している。現在の日日センターでは、日本の国立大学を受験する前の留学生らに対して日本語能力の伸長・日本文化の理解などを目的に、海外からの留学生の態様に応じて複数のプログラムを開講。例えば、自国で日本語を学んでいた国費留学生には、自国に戻って日本語教師となるための日本語教授法や日本文学などを教える。
大和准教授にとって研究とは
知らない世界に近づく手がかり。自分の知らない経験、自分とは異なった物事の捉え方をする人が目にしている世界を、実験や調査を通じて私が覗き見る。他者との相互理解を助ける手がかりや、資料を提供できるよう一つ一つの作業を積み上げていきたいですね。
大和 祐子(やまと ゆうこ)
日本語日本文化教育センター 准教授
2011年名古屋大学国際言語文化研究科博士課程修了。05年新羅大学校 日本語専任講師、07年から名古屋工業大学等で留学生への日本語教育に携わり、12年国際交流基金日本語試験センター常勤研究員を経て、13年大阪大学日本語日本文化教育センター講師、16年1月から現職。専門は言語学及び日本語教育。
(本記事の内容は、2022年9月発行の大阪大学NewsLetter87号に掲載されたものです )
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(2022年7月取材)