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“変革”へとつなげる絆- 人文学・社会科学の使命と挑戦

子どもたちがおとなになる2050年、よりよい社会とするために。

栄誉教授・大阪大学社会ソリューションイニシアティブ長 堂目 卓生

「いのちを大切にし、一人一人が輝く社会」―課題をあげればキリがない現代社会を変えていくために、必要なことは何か?答えを一つ挙げるなら、人々が手を取りあい、議論し、工夫し、行動し続けることだろう。 私たちが協力しあい、「よりよく生きる」ための叡智は、人文学・社会科学分野で築かれてきた。いまの混沌とした時代こそ、研究者が前面に出て発言し行動すべき時。大阪大学は2018年によりよい未来を構想するシンクタンクとして「社会ソリューションイニシアティブ」(SSI)を設立した。SSI長の堂目卓生教授に、「よりよい未来社会」への道筋を聞いた。

“変革”へとつなげる絆- 人文学・社会科学の使命と挑戦

「世界」を見据えた広い視野で

構想の原点にあったのは、悔しい思いだ。「人文学・社会科学は社会の役に立っているのか?」という疑問の声が公然と発せられ、経済学研究科長などを歴任した堂目教授の耳にも何度も入ってきた。心外ではあるが、根拠のない中傷というわけでもなかった。

「現代の研究者は、本当に体を張り広い視野をもって、社会のこと、日本や世界のことを考えて発言しているだろうか?専門が細分化され、限られた範囲で短期的な成果ばかりを考えていないだろうか」

人類全体で乗り越えるべきさまざまな課題が目の前に迫っている。人々が幸せに生きるためには、また複雑に入り組んだ課題を解決するためには、国、人種、歴史、文化、法、社会システムなど、多様な背景を理解した上での議論が欠かせない。これまでの歴史が示すように、容易に解決できない根の深い課題にこそ人文学・社会科学分野の知が試される。こうして、研究者が社会のさまざまなステークホルダーと連携して社会課題に向き合うSSIが生まれた。

30年後の「よりよい社会」のための「今」

SSIが目指すのは「命を大切にし、一人一人が輝く社会」。命を「まもる」「はぐくむ」「つなぐ」の三つの視点からさまざまな課題を検討する。

「未来社会を構想する」という志を共有する人々と社会を先導することを目指すが、強力なリーダーシップで引っ張るのではなく、阪大の内外で「共創ネットワーク」を広げていくことが主眼となる。現在の子どもたちがおとなになり社会の担い手となる約30年後、2050年がよりよい時代であるように、人と人のつながりを広げるための事業を展開している。

学内にとどまるだけではネットワークは広がらない。

志をもち行動できる者同士が繋がる「場」づくりを重視。「SSIサロン」は研究者や実践者など多様な人びとが集まる場で、発足直後から2020年までに12回開いてきた。その他、企業やNPOなどの組織とそのメンバーを招いて意見を交換する「車座の会」、若手研究者に向けた「研究者フォーラム」、大学院生や学部生からなる「学生のつどい」もある。高校生やこどもたち、地域社会を対象とする「場」にも積極的に出かける。

こうした「場」での議論を通じて、活動の趣旨を説明し、意見や思いを交換し、一緒に行動してくれる人びとのネットワークを拡大していく。発足3年で100人を超えたが、2027年までには1,000人のネットワークを目指すという。

「SDGs」「万博」とつながる

「よりよい社会」への目標は、2030年までに達成すべきものとして国際連合が提示した「持続可能な開発目標」(SDGs= Sustainable Development Goals)や、2025年に開催予定の「大阪・関西万博」でも提示されており、SSIの目指すところと共通部分が多い。堂目教授は「こうした目標は、多様な人々が議論を重ねていく上で共通のプラットフォームになる。うまく取り入れながら、2030年以降のポストSDGs、その先の2050年にむかっていく」と語る。特に大阪・関西万博については「万博を開いてよかったと思えるような『ソフトレガシー』を残す必要がある。次代を担う子どもたち、中学生や高校生、大学生とともに、いのちを大切にすること、いのちを輝かせることとはどういうことかを示すアジェンダを作りたい」と意気込む。

「変革」を呼び起こす環境づくり

自身の研究を通じて、堂目教授が見いだした「真理」がある。「アダム・スミスは自分一人で突然に学説を思いついたのではない。宗教改革で有名なルターも、数多くの先駆者たちの活動の礎があって事を為した。社会の変わり目には歴史に名を残す変革者が登場するが、実は、その前に変革を準備する無名の人たちの地道な活動がある」。だとすれば、課題を前にした時に、解決してくれる一人のスーパーマンの登場をただ待つのではなく、「イノベーションを引き起こす可能性を準備する」のが現代を生きる多くの者の役割ではないか。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックが、人類の行動を劇的に変えた。都市のロックダウンで経済活動が止まり、命と生活のいずれを優先すべきかの選択を迫られる異常な状況に追い込まれた。

疫病や大地震は「誰もが弱者になりうる」という当たり前の事実を明るみにした。人やモノの動きはグローバル化の度合いを日ごとに高めている。国民国家は人々が安全に豊かに生きるための枠組みだが、自分たちだけよければいいという一国主義では問題は解決しない。そして主義主張や貧富の差による社会の分断が生まれれば、最初にしわ寄せを受けるのは立場の弱い人たちだ。

課題は山積し、複雑さの度合いはより増したのかもしれない。一方でコロナ禍は当たり前にあった生活の幸福さを際立たせ、「よりよく生きる」ことを多くの人が渇望し、考える機会を与えた。堂目教授は言う。「SSIは最初の一歩に過ぎない。活動を続ける中で、社会のあるべき方向性を見据えながら、人と人をつなぎ議論の媒介役を担う人材が世界中に増えていく。その絆の先に、生物全体の危機を乗り越えた社会が待っている」と。「誰ひとり取り残さない」社会を実現するためのイノベーションを起こす環境は、私たち一人ひとりの心がけで確実に広がっていく。

堂目栄誉教授にとって研究とは

「よいこと」とは何かを考えるプロセス。人間にとって本当に「よいこと」とは何か。あらゆる哲学者が追究してきたが、結論の出ていない課題だ。SSIでの取り組みを続ける中で答えを見つけたい。


● 堂目 卓生(どうめ たくお)

大阪大学大学院経済学研究科教授/栄誉教授。

1983年慶應義塾大学経済学部卒業、88年京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得、89年立命館大学助教授、96年大阪大学助教授を経て、2001年から現職。18年からSSI長を兼務、19年同大栄誉教授。経済学博士(京都大学)。専門は経済学史、経済思想。

"The Political Economy of Public Finance in Britain 1767-1873"で日経・経済図書文化賞、『アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界』でサントリー学芸賞を受賞。2019年、紫綬褒章。


社会ソリューションイニシアティブ(SSI)

https://www.ssi.osaka-u.ac.jp/

(2020年12月取材)