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「学者の使命」 猛威を振るうウイルスとの対峙

微生物病研究所・教授・松浦 善治

海水1ccの中に、菌やウイルスは一千万種類いるといわれる。9割9分は無害だ。 しかし、ほんの一部の菌やウイルスは、感染した生物との相性で時に鋭い牙を剥く。新たな感染症の猛威は、人類に対してグローバルな社会の課題を突き付けた。世界保健機関(WHO)によると、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に立ち向かうべく、いま世界中で160を超えるワクチン開発プロジェクトが進む。大阪大学では、微生物病研究所(以下、微研)や医学系研究科を中心に複数のプロジェクトが走る。微研の松浦善治教授もそれに関わる一人だ。ウイルス学者としての矜持が、ワクチン開発へと駆り立てる。

「学者の使命」 猛威を振るうウイルスとの対峙

複数走らせるワクチン開発

 ワクチンには主に、ウイルス自体やその一部、または形状が似た物質が使われる。接種すると体内で病原体への抗体が作り出され、感染や重症化を防ぐ効果をうむ。
 微研でのワクチン開発は、麻疹や水痘症のワクチンを共同で開発した実績のある「阪大微生物病研究会」(BIKEN財団)と、今回は国立研究開発法人「医薬基盤・健康・栄養研究所」との3者で2020年3月から進められている。4種類のプロジェクトが進行中だ。松浦教授は「一般的にワクチン開発の成功率は1割程度で、実用化までに10年ほどかかる。どれがうまくいくか分からないから、考えられるものは全部やろうという方針だ」と語り、研究所をあげて多忙な日々を過ごす。
 松浦教授が取り組むものの一つが、外見が新型コロナウイルスにそっくりな「VLPワクチン」だ。VLPワクチンはウイルス様粒子と呼ばれ、ウイルスそのものを使わないため、開発時間やコスト、安全性にも優れているとされる。VLPワクチンの作製には、昆虫に感染する「バキュロウイルス」を使う。バキュロウイルスの遺伝子に新型コロナウイルスの遺伝子の一部を組み込んで、蛾の幼虫の細胞内のシステムを使ってウイルス様粒子を作るのだ。バキュロウイルスは人間には感染せず、タンパク質の発現量も高いため、安全に大量にワクチンが作れるのがメリットだ。

ボブに隠れて こっそりと

 実はこの遺伝子技術は松浦教授が30年以上前に英国オックスフォード大で研究開発した手法が基となっている。「もともとは同じ研究室にいたボブの研究テーマだったんです。結果が出ずに困っている彼を隣で見ていて、自分が考える手法の方がうまくいくと思って何度かアドバイスしました。でも彼は頑固で聞き入れてくれない。それならばと、ボブに隠れてこっそり取り組んだら、ビックリするほど成果が出て(笑)。上司に報告したら大層喜んでくれました。ただ、ボブは拗ねてましたけど(笑)」と今に通じるワクチン開発法の誕生を人懐っこい笑顔で教えてくれた。
 そんな松浦教授にとっても、今回の感染症は衝撃的だった。研究者を志してからインフルエンザウイルスや韓国出血熱、C型肝炎など感染症の流行を引き起こしてきた数々のウイルスと対峙してきた。それらの経験則からは思いも寄らない感染の拡大だった。「SARSやMERSほど致死率も高くないし、すぐに収まるだろうと同僚とも話していました。まさかこんな事態になるとは」と松浦教授は驚きを隠さない。

礎となる基礎研究に危機感

 今、COVID-19対策のため世界中で研究が進むが、実は国内にコロナウイルスの専門家はほとんどいない。コロナウイルスはこれまでに6種類が知られている。しかし、いずれも弱いウイルスであるか感染の拡がりが小さかったため、国内での研究予算配分の優先順位が低く、研究を十分に行えない状況だった。コロナの専門家が少ない現状は、必然だった。
 今後に向けて松浦教授は「未知のウイルスに対応するためには、広く薄くていい、いろんな所にいろんな研究者を日頃から育てておくのが有効だ」と幅広い分野での基礎研究と、人材が育つ環境整備が急務だと訴える。「人類が活動の範囲を拡げてきたことで、感染症も人獣共通のものとなってきている。今後もグローバルに人が行き交う社会を望むのなら、備えをしっかりとしなくてはならない。例えば、BSL-4※(バイオセーフティーレベル4)の実験施設は、国内では東京にしかない。長崎に建設中だが、せめて大阪と北海道にもあるとよい。安全性の最も高い設備なら、危険な菌やウイルスが現れても、恐れることなく正体を暴くことができる」と重ねて警鐘を鳴らす。

人を育て、未来に備える

 ワクチンを求める声に応えるべく、研究を急ピッチで進めながら「ワクチンは健常者に打つものだから、効果があるかどうかの判断がすぐには分からない。さらに後遺症が出ないか等を慎重に見極める必要がある。ワクチンで健康を損なうことは絶対にあってはならない。功を焦って拙速にならないようにしなければ」と冷静さと慎重さを強調する。
 最後に「人の役に立つことをするのは、簡単にはいかない。でも人を育てることなら私にもできる。これが何より一番重要だと思っている」とクリっとした眼を細め「私の研究室に来てくれる学生に伝えているのは2つ。『どんな事でもいい。興味を持ったことをやりなさい』『海外の文化に触れなさい』と勧めています。お利口じゃなくていいんです。ちょっとくらいバカでも、いろいろやってみようというのがちょうどいい」と話す研究者は、優しい教育者の顔になった。

※BSL-4施設は、ヒトまたは動物に感染症を引き起こすうえ、感染能力が高く、かつ有効な治療、予防法がない病原体にも対応できる安全性を備えた施設。(出典:長崎大学Webページから)

松浦教授にとって研究とは

大学4年間を捧げた「探検」に似ている。「茨の道」。いろんなことに手を出すが、ほとんどがうまくいかない。それでも、手を動かし続ければ、期待していないすごい発見がある。その瞬間がゾクゾクとするし、楽しい。

● 松浦 善治(まつうら よしはる)

1978年宮崎大学農学部獣医学科卒、80年北海道大学獣医学部大学院修了(獣医学博士)。
第一製薬中央研究所研究員、オックスフォード大学NERCウイルス研究所ポスドク、国立感染症研究所ウイルス第二部肝炎ウイルス室長を経て、2000年より現職。
2015年-2019年微生物病研究所所長。日本ウイルス学会理事長。