
\混ぜて加熱すればOK!/ カルボランを導入する超高効率技術が完成
新試薬【カルボラニルキュプラート】のデビュー
研究成果のポイント
- オルト-カルボランを多様な芳香族化合物へ高効率で導入する新技術を確立
- 煩雑な実験操作や危険な試薬の利用が必要だった従来法に対して、「混ぜて加熱する」シンプルな実験手法で、確実にカルボランを導入できる革新的手法を実現
- ホウ素中性子捕捉療法、3次元芳香族性を活かした機能性材料、生物学的等価体を利用した創薬への応用展開が期待
概要
大阪大学大学院工学研究科の星本陽一准教授(附属フューチャーイノベーションセンター(CFi)・テクノアリーナ教授)、久田悠靖さん(博士後期課程)、森下大成さん(博士前期課程)らの研究グループは、画期的なカルボラン導入技術の開発に成功しました。カルボランは、炭素とホウ素からなる独特な分子で、その優れた性質から医療や材料分野で幅広い応用が期待されています。
今回、研究チームは、オルト-カルボランを含む新たな分子である『リチウム ビス-(オルト-カルボラニル)キュプラート (Li/Cu-1)』を数十グラムスケールで合成する手法を開発しました。さらにLi/Cu-1と臭化アレーンや塩化アレーンを混ぜて加熱攪拌するシンプルな実験操作により、多様なカルボラニルアレーンが高効率的に合成できることを実証しました。カルボランは、その特異な性質(中性子を捕捉する性質、3次元芳香族性、ベンゼン環との生物化学的等価性)から、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)やOLEDなど機能性材料への応用が検討されてきましたが、汎用性や再現性の高い、実用的なカルボラン導入方法は確立されていませんでした。今回、研究グループが開発したカルボラン導入技術は、従来法に比べて圧倒的に簡便かつ高効率的、そして大スケールで実施可能なため、多様なカルボラニルアレーンの合成を可能とします。そのため、カルボランを含む新たな医薬品や機能性分子の創出への貢献が期待されます。本成果は、米国化学会誌Journal of the American Chemical Societyに9月30日にオープンアクセス誌として公開されました。
研究の背景
カルボラン(本稿にはオルト-カルボランを図示)は、炭素原子とホウ素原子から構成される20面体クラスター構造を持つ特異な化合物です(図1)。1963年の発見以来、その独特な性質から化学・医薬学・工学の幅広い分野で注目を集めてきました。
図1. 様々な応用が期待されるカルボラン
特に、カルボランとアレーン(芳香族化合物)が結合したカルボラニルアレーンは、3次元と2次元の芳香族性を併せ持つハイブリッド分子として、次世代の医薬品・機能性材料開発における注目分子骨格と位置づけられています。しかし、カルボラニルアレーンを合成する従来の手法には、実用化を妨げる致命的な課題がありました(図2)。
図2. 既存のカルボラニルアレーン合成手法の概要
操作の複雑性: 低温条件での多段階反応操作が必要で、熟練した有機化学者でなければ実施困難
再現性の低さ: 反応中に生成する複数の化学種の制御が困難で、同じ条件でも収率が大きく変動
基質の制限: 高価なヨウ化アレーンのみが使用可能で、より入手しやすい臭化物や塩化物は適用不可
安全性の問題: 危険な試薬や不安定な中間体の取り扱いが必要
これらの問題により、カルボランの優れた性質が注目されながらも、その応用研究は限定的な範囲に留まってきました。カルボラン化学の真の潜在能力を解放するためには、操作が簡便で再現性が高く、様々な基質に適用可能な革新的合成手法の開発が急務でした。
研究の内容
これらの課題を根本的に解決するため、研究グループでは単離可能なカルボラン導入試薬の開発に取り組み、リチウム ビス-(オルト-カルボラニル)キュプラート(Li/Cu-1)という新分子の合成に成功しました(図3)。
図3. 新試薬「リチウム ビス-(オルト-カルボラニル)キュプラート(Li/Cu-1)」
このLi/Cu-1は、従来法においては適用困難であった臭化アレーンや塩化アレーンと混合して加熱するだけで、高効率でカルボラニルアレーンを与えます(図4)。たとえば、アレーン骨格に複数のカルボランを集積させた分子、液晶分子など機能性分子骨格へカルボランを導入した分子、カルボランでアレーンを繋いだ分子など、多くのカルボラニルアレーンが合成されました。さらに、カルボランがベンゼン環の生物学的等価性(バイオアイソスター)を示すことに注目し、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)であるフルルビプロフェンのベンゼン環を、カルボランで置き換えた新分子も合成されました。
図4. Li/Cu-1を用いたカルボラニルアレーンの合成例
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究で開発したLi/Cu-1試薬により、カルボラン化学の実用化に向けた大きなブレークスルーが実現しました。医療分野では、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)の治療薬開発への貢献が期待されるのみならず、カルボランのベンゼン環に対する生物学的等価性を活かし、既存医薬品の構造を最適化した新薬開発への道も開かれます。材料科学の分野では、カルボランの3次元芳香族性など際立つ特性を活かした新規発光材料や電荷輸送材料の開発が可能となり、より高効率で長寿命なデバイスの実現が期待されます。
さらに、本研究で開発したLi/Cu-1試薬は、有機合成化学全般における新たな合成ツールとして、これまで合成することが難しかった革新的な含カルボラン分子の合成への貢献が期待されます。
特記事項
本研究成果は、米国化学会誌Journal of the American Chemical Societyに9月30日にオープンアクセス誌として公開されました。以下のQRコードから、どなたでも無料で論文をご覧いただけます。
タイトル:“An Isolated Lithium ortho-Carboranyl Cuprate Complex for the Synthesis of Multiple-Carborane-Substituted Arenes from (Hetero)Aryl Bromides and Chlorides”
著者名:Yusei Hisata, Daina Morishita, Yoichi Hoshimoto*
DOI:https://doi.org/10.1021/jacs.5c13004
なお、本研究は、JST創発的研究支援事業、関西スタートアップアカデミア・コアリション (KSAC-START)、文部科学省科学研究費助成事業「学術変革研究A: デジタル化による高度精密有機合成の新展開」の一環として行われました。
参考URL
星本 陽一 准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/87c4b65a7307335a.html
SDGsの目標
用語説明
- カルボラニルアレーン
カルボラン(20面体クラスター構造を持つC2B10H12)とアレーン(ベンゼン環などの芳香族化合物)が炭素−炭素結合で連結した化合物。
- ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)
ホウ素を含む薬剤をがん細胞に集積させた後、中性子線を照射してがん細胞のみを選択的に破壊する治療法。発生する放射線の飛距離が細胞1〜2個分と極めて短いため、周囲の正常組織を傷つけずにがん細胞だけを攻撃できる。脳腫瘍や頭頸部がんなど、従来の治療が困難だったがんへの応用が期待されている。
- 生物学的等価性(バイオアイソスター)
薬の分子構造の一部を別の構造に置き換えても、同様の効果を示す性質。カルボランはベンゼン環と似た大きさと性質を持つため、既存の医薬品のベンゼン環をカルボランに置き換えることで、より安定で効果の高い新薬を開発できる可能性がある。


