脂質ナノ粒子を用いたmRNA補充により無精子症マウスを治療

脂質ナノ粒子を用いたmRNA補充により無精子症マウスを治療

男性不妊症の新規治療法となる可能性

2025-10-14生命科学・医学系
微生物病研究所教授伊川 正人

研究成果のポイント

  • mRNAワクチンでも汎用される脂質ナノ粒子(LNP)を用いることで、精巣内の精細胞にmRNAを導入する技術を開発。
  • この方法を応用し、精子形成不全の非閉塞(へいそく)性無精子症モデルマウスに、精子を造らせることに成功。
  • 得られた精子を用いて顕微授精することで、健康で妊娠能力のある次世代を得ることに成功。
  • LNP-mRNAは化学合成可能であり、細胞由来成分を含まない。また、DNAを含まないため遺伝子組み換えリスクがない。
  • 精子が得られないために顕微授精の対象とならず、治療法のない非閉塞性無精子症を治療できる可能性を示した。ヒト男性不妊患者への応用が期待される。

概要

大阪大学微生物病研究所の増子大輔助教、伊川正人教授らの研究グループは、脂質ナノ粒子(LNP)を用いて、精子を造れない男性不妊モデルマウスの治療に成功しました

精液中に精子が存在しない状態を無精子症と呼び、閉塞性無精子症と非閉塞性無精子症に大別されます。閉塞性無精子症の場合、精巣で造られた精子を運ぶ管に異常があるため、管の再構成や、精巣精子を用いた顕微授精によって治療が可能です。一方、非閉塞性無精子症はそもそも精子形成に問題があるため、精巣内にも精子が認められず、治療法がありませんでした。

今回、伊川教授らの研究グループは、LNPを用いて、精巣の精細胞にmRNAを導入する技術を開発しました(図1)。次に、精子形成に必要なPdha2遺伝子(DNA)を欠損しているために精子を全く造れない非閉塞性無精子症モデルに対し、LNPによりPdha2のmRNA(DNAではない)を補充することで、精子を造らせることに成功しました。さらに、得られた精巣精子を顕微授精することで、産仔を得ることにも成功しました。パートナー(卵)から正常な染色体を受け継ぐだめ、生まれた子マウスは健康に育ち、オスであってもメスであっても次世代の子供を得ることができました。

本研究成果は男性不妊の中でも治療法のなかった非閉塞性無精子症が、mRNA補充により治療できる可能性を示したものであり、安全性試験を経てヒト患者への応用が期待されます。

本研究成果は、米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」に、10月14日(火)午前4時(日本時間)以降に公開されました。

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図1. 非閉塞性無精子症(NOA)モデルの治療戦略
NOAモデルマウスの精巣にLNPを用いてmRNAを補充し、精子形成を進行させ、顕微授精を行い、産仔を獲得した。

研究の背景

不妊はカップルの約6組に1組にみられ、大きな社会的課題となっています。不妊の原因の約半数は男性に起因し、その多くは精子形成に異常が認められます。精子が存在すれば顕微授精が可能ですが、重度の非閉塞性無精子症では精子が存在せず、顕微授精を行うことができません。そのため、精子形成期の精細胞を標的とした新たな治療戦略の開発が求められています。従来法として、ウイルスベクターの利用がありますが、ウイルスだけでなく細胞由来成分が含まれるために遺伝子組み換えのリスクや安全性に課題があり、臨床応用には限界があります。一方、近年COVID-19ワクチンを契機に、LNPによるmRNA導入技術が注目されています。mRNAを内包するLNPは、試験管内で完全合成することができることから、細胞由来成分などは含まず、またDNAを含まないためにゲノムへの遺伝子導入リスクはありません。このように安全性の高いLNPを用いて、精子形成に必須な遺伝子機能をmRNAで補充できれば、遺伝子変異による男性不妊の治療につながるのではないかと考え、研究を開始しました。

研究の内容

発見1: LNPを用いた精巣へのmRNA伝達と、精細胞への優位性発現誘導
研究グループはまず、LNPを精巣に注入し、精巣内のどの細胞にmRNAを導入できるのかを検証しました。精細胞のみが緑色に光る遺伝子改変マウスに、赤色蛍光タンパクmScarletをコードするmRNAを封入したLNPを注入すると、緑色と赤色がともに光る細胞と、赤色のみが光る細胞がありました(図2)。これは、LNPが生殖細胞である精細胞と、体細胞であるセルトリ細胞の両方にmRNAを導入できることを示します。

つまり、LNPが精細胞とセルトリ細胞の両細胞にアクセスして治療できる可能性を示します。しかしその一方で、精細胞を治療するためのmRNAがセルトリ細胞に導入されて、予期しない異常が起こる可能性も否定できません。そこで、セルトリ細胞で高発現するマイクロRNA(miRNA)であるmiR-471の標的配列を、mRNAの非翻訳領域に導入し、発現抑制することを考えました。予想通り、標的配列を付加したEGFP mRNAを導入した時には、セルトリ細胞のシグナルが減弱し、生殖細胞に偏った発現を実現しました(図3)。

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図2. LNPは精細胞とセルトリ細胞の両方に導入される
マウスの精巣にLNPを用いてmRNA(赤)を導入すると、生殖細胞(緑と赤)、セルトリ細胞(赤)の両方に導入された。

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図3. miRNA標的配列を用いた生殖細胞に偏った発現を実現
左は戦略図で右は結果。セルトリ細胞で高発現するmiRNAの標識配列をmRNAの非翻訳領域に付加することで、セルトリ細胞での発現が抑制された(右下)。これで生殖細胞のみをターゲットにすることができる。

発見2: 非閉塞性モデルマウスへのmRNA補充療法により産仔を得ることに成功
非閉塞性無精子症のモデルマウスとして、Pdha2 欠損マウスを用いました。Pdha2 欠損マウスは、減数分裂の進行が停止し、精子を全く造ることができず、完全な雄性不妊を示します。私たちは、Pdha2のmRNAを封入したLNPを精巣に注入しました。その結果、それまで停止していた減数分裂が再開しました(図4)。さらに、導入して3週間後に精巣内に精子を見つけました(図5左)。その精子を用いて顕微授精を行ったところ、産仔を得ることに成功しました(図5右)。Pdha2遺伝子の変異は、ヒト非閉塞性無精子症患者でも見つかっており、我々の手法を用いることで将来ヒト患者も児を得られる可能性があります。

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図4. LNP導入によって減数分裂が再開した

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図5. 回収された精子(左)と顕微授精によって得られた産仔(右)

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

精巣に精子が見つからない非閉塞性無精子症は、顕微授精の対象とならず、児を得ることは不可能でした。一方、近年の研究から、精子形成不全の原因となる遺伝子がマウスや患者で次々と同定されています。本研究成果は、精子形成不全の原因遺伝子が特定できた非閉塞性無精子症であれば、mRNA補充により治療できることを示したものであり、男性不妊患者に福音をもたらす可能性を秘めています。

特記事項

本研究成果は、2025年10月14日(火)午前4時以降(日本時間)に米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」に掲載されました。

タイトル:“Sperm and offspring production in a non-obstructive azoospermia mouse model via testicular mRNA delivery using lipid nanoparticles”
著者名:Daisuke Mashiko, Chihiro Emori, Yuki Hatanaka, Daisuke Motooka, Chen Pan, Yuki Kaneda, Martin M. Matzuk, and Masahito Ikawa
DOI:https://doi.org/10.1073/pnas.2516573122

なお、本研究は、大阪大学の国際共同研究促進プログラムの支援を受けて、ベイラー医科大学のMartin M. Matzuk 教授らの研究グループとの国際共同研究により行われました。また、文部科学省・日本学術振興会科学研究費補助金(JP21H05033、JP22H04922、JP23K20043、JP25H01353)、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR21N1)、日本医療研究開発機構(先端国際共同研究推進プログラム(ASPIRE)「次世代生殖補助医療に資する国際共同研究」(JP23jf0126001)、米国国立小児保健・人間発達研究所(R01HD088412)、ならびに大阪大学の支援を受けて実施されました。

用語説明

脂質ナノ粒子(LNP)

Lipid Nanoparticle。脂質分子でできた極めて小さな粒子(ナノサイズ)で、mRNAなどの核酸を効率よく細胞内に届けるために用いられる技術。COVID-19ワクチンにも使われている。

非閉塞性無精子症モデルマウス

非閉塞性無精子症は、精路の閉塞ではなく、精子が造られないタイプの無精子症。本研究に用いられたモデルマウスは、精子形成に必須の酵素「ピルビン酸デヒドロゲナーゼ複合体」の構成要素をコードする Pdha2遺伝子を欠損している。Pdha2が欠損すると減数分裂期に停止して精子形成が進まず、精巣内に精子が存在しない状態となり、非閉塞性無精子症の病態を再現できる。

顕微授精

顕微鏡下で精子を直接卵子に注入して受精させる方法。不妊治療において、精子の数が非常に少ない場合や運動能力が低い場合にも用いられる。