精子の運動スイッチを制御する 新たな仕組みを発見

精子の運動スイッチを制御する 新たな仕組みを発見

男性不妊症の原因解明と治療法開発へ前進

2025-10-14生命科学・医学系
微生物病研究所特任助教(常勤)飯田 理恵

研究成果のポイント

  • 精子の運動に必要な情報伝達分子「サイクリックAMP(cAMP)」の産生が、これまで機能が不明だったタンパク質TMEM217によって制御されていることを発見
  • TMEM217を欠損させたマウスの精子に「cAMPと同じ機能をする分子」を加えることで運動性が回復し、体外受精によって正常な子マウスを誕生させることに成功
  • 精子がうまく動かない男性不妊症の診断や治療に繋がる可能性

概要

大阪大学微生物病研究所の飯田理恵特任助教(常勤)、宮田治彦准教授、伊川正人教授らの研究グループは、精子の運動を駆動する中心分子である「サイクリックAMP(cAMP)」の産生を制御する新たな機構を発見しました。

研究チームは、これまで役割が分かっていなかったタンパク質「TMEM217」が、cAMPをつくるタンパク質「sAC(可溶性アデニリルシクラーゼ)」を安定に保つ働きをしていることを明らかにしました。TMEM217を欠損させたマウスでは、精子の中のcAMPの量が大きく減少し、精子が動かなくなった結果、雄のマウスは完全に不妊になりました。しかし、このTMEM217を欠損させた精子に「cAMPと同じ機能をする分子(cAMP類似体)」を加えることで、精子の運動性が回復し、体外受精によって正常な子マウスが誕生することが確認されました。

この成果は精子の動きが弱い「精子無力症(せいしむりょくしょう)」などの男性不妊症の原因解明や、今後の診断法・治療法の開発に繋がることが期待されます。

本研究成果は、米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」に、10月14日(火)午前4時(日本時間)以降に公開されました。

研究の背景

不妊は先進国でカップルの約6組に1組が直面する深刻な問題であり、そのうちおよそ半数は男性側に原因があるとされています。なかでも、精子がまったく動かない、あるいは動きが弱い精子無力症は、男性不妊症の主な原因のひとつです。

精子の運動を引き起こす中心的な役割を担っているのがcAMPという分子です。このcAMPは、精子の中に存在するsACというタンパク質によってつくられ、精子の尾を動かす仕組みを活性化することで、精子が泳ぐ力を生み出しています。しかし、sACが精子の中でどのように制御されているのかについては、不明な点が多く残されていました。

研究の内容

発見1: 精子の動きに不可欠なタンパク質TMEM217 研究チームは、精巣で特異的に発現する機能未知のタンパク質TMEM217に注目しました。このTMEM217を欠損させたマウスを作製し解析したところ、雄のマウスは完全に不妊であることが分かりました。顕微鏡による観察では、精子はほとんど動いていないことが確認されました。これらの結果から、TMEM217が精子の運動に不可欠な役割を果たしていることが明らかになりました。

発見2: TMEM217とSLC9C1が“運動スイッチ”の構成要素に
精子が動かなくなる原因を明らかにするために、研究チームは分子レベルで詳細な解析を行いました。その結果、TMEM217はSLC9C1という別のタンパク質と協働し、精子の中で “運動スイッチ”として機能する仕組みを形成していることが明らかになりました。TMEM217とSLC9C1は、精子が泳ぎ始めるために必要なcAMPをつくるsACを安定に保つ働きを持っています(図1)。ところが、TMEM217が欠損するとsACが精子内から消失し、cAMPの産生量が大きく減少してしまいます。その結果、精子はcAMPが不足することで動けなくなってしまうことが分かりました。

発見3: cAMP添加によりTMEM217欠損精子の運動性と受精能力が回復
研究チームは、TMEM217を欠損させた精子にcAMP類似体を添加しました。その結果、精子の運動性が回復し、体外受精によって受精卵が得られ、正常な子マウスを誕生させることに成功しました(図2)。このことは、TMEM217欠損による不妊がcAMPの不足に起因することを強く示しており、TMEM217-SLC9C1-sAC複合体がcAMP産生を介して精子の運動を制御する主要な機構であることが証明されました。

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図1. TMEM217とcAMP産生
TMEM217はSLC9C1というタンパク質と協働してcAMP産生タンパク質(sAC)を安定に保っている。

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図2. cAMP添加による精子の機能回復
TMEM217を欠損させた精子にcAMPを添加すると運動性が回復し、受精が可能になった。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

男性不妊症の多くは、精子がうまく泳げないことが原因です。今回の研究では、精子が泳ぎ始めるために必要な“運動スイッチ”の仕組みが初めて明らかになりました。この発見は、男性不妊症の原因をより詳しく理解するための手掛かりとなり、診断法の開発に繋がると期待されます。さらに、cAMPを外から補うことで、動かなかった精子が再び動き出し、受精・出産にまで至ることがマウスで示されました。こうした成果は、精子無力症などの男性不妊症に対する新しい治療法の開発に貢献すると考えられます。

特記事項

本研究成果は、2025年10月14日(火)午前4時以降(日本時間)に米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」に掲載されました。

タイトル:“Formation of a complex between TMEM217 and the sodium-proton exchanger SLC9C1 is crucial for mouse sperm motility and male fertility”
著者名Rie Iida-Norita, Haruhiko Miyata, Akinori Ninomiya, Chihiro Emori, Maki Kamoshita, Chen Pan, Haoting Wang, and Masahito Ikawa
DOI:https://doi.org/10.1073/pnas.2513924122

なお、本研究は、JST 創発的研究支援事業「雌の生殖路における精子機能調節機構(JPMJFR211F)」、JST 戦略的創造研究推進事業 CREST「機械学習を用いた精巣組織培養の自動最適化による精子形成の理解(JPMJCR21N1)」、AMED 医療分野国際科学技術共同研究開発推進事業(先端国際共同研究推進プログラム ASPIRE)「次世代生殖補助医療に資する国際共同研究(JP23jf0126001)」の一環として行われました。そのほか本研究は、JSPS科学研究費助成事業(JP22H03214、JP23K18328、JP25K02773、JP21H05033、JP23K20043)、公益財団法人 武田科学振興財団、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の支援を得て行われました。

参考URL

大阪大学微生物病研究所 遺伝子機能解析分野
https://egr.biken.osaka-u.ac.jp/

用語説明

サイクリックAMP(cAMP)

「サイクリックアデノシン一リン酸」と呼ばれる小さな分子。細胞内で情報を伝える分子として働き、精子では運動を開始するために必須。

sAC(可溶性アデニリルシクラーゼ)

精子の中でcAMPをつくるタンパク質。sACが働くことでcAMPが産生される。

cAMPと同じ機能をする分子(cAMP類似体)

cAMPと似た構造を持つ人工分子。細胞に取り込まれるとcAMPと同じ働きを示すため、cAMPが不足している状態を補うことができる。今回の研究では、TMEM217欠損精子にcAMP類似体を添加することで運動性と受精能力を回復させることに成功した。

精子無力症(せいしむりょくしょう)

精子がまったく動かない、あるいは運動が弱いために卵子までたどり着けず、受精が困難になる状態。男性不妊症の主な原因のひとつとされる。