
肝臓にバイオ医薬品を産生する 「生体内産生工場」を創出
複雑な多因子性疾患治療へのゲノム編集応用を初めて実証
研究成果のポイント
概要
大阪大学高等共創研究院の鈴木 啓一郎教授らの研究グループは、食事誘発性肥満および前糖尿病といった多因子性疾患に対して、世界で初めて、ゲノム編集技術を用いて一度の処置で長期間の治療効果をもたらす“体内バイオ医薬品産生工場”の構築に成功しました。
研究グループは、ゲノム編集技術の一つであるHITI法と、編集に必要なDNAを効率よく肝臓の細胞へ届ける脂質ナノ粒子(LNP)送達技術を組み合わせ、GLP-1受容体作動薬「エキセナチド」を肝臓内で持続的に産生・分泌させるシステムを構築しました。産生された治療薬は血中を介して全身に作用し、長期的な食欲抑制、体重減少、血糖値改善効果を発揮しました (図1)。
これまで肥満や糖尿病のような、一つの遺伝子変異に起因しない多要因性の多因子性疾患は、標的遺伝子が明確でないことから、ゲノム編集の適用が難しいとされてきました。しかし本研究により、「遺伝的原因が明確でない疾患」にもゲノム編集を応用できる可能性が示され、新たな治療戦略としての道が拓かれました。特に今回の成果では、マウスモデルにおいて治療効果が6か月以上にわたって継続することを確認しています。これにより、頻繁な注射が必要なバイオ医薬品の課題を解決し、患者負担を大きく減らす新しい治療戦略が期待されます。
本研究成果は、国際科学誌「Communications Medicine」に、7月9日(水)18時(日本時間)に公開されました。
図1. ゲノム編集によるバイオ薬自己生産の仕組みと肥満マウスでの治療
研究の背景
これまで、肥満や2型糖尿病といった多因子性疾患は、世界中の人々の命を奪う主要な原因の一つとなっています。しかし、これらの病気は、遺伝子の特定の場所の異常が原因で起こる病気とは異なり、食事や生活習慣、複数の遺伝子など、様々な要因が複雑に絡み合って発症するため、ゲノム編集のような遺伝子操作技術を直接応用することが難しいという課題がありました。
また、エキセナチドのような、生物体内で作られる物質を元にした薬(バイオ医薬品)は、多くの病気に効果を発揮し、画期的な治療法をもたらしています。しかし、これらの薬は体内で分解されるのが早いため、多くの場合、患者さんは定期的に、時には一日数回の頻度で注射を打つ必要があります。この頻回投与は、患者さんにとって大きな負担となり、治療を途中で辞めることや、注射による体の反応、高額な費用、薬の保存の難しさなどの問題を引き起こしていました。特にエキセナチドは、食欲を抑え、体重を減らす効果が高いことが知られていますが、治療を途中で中止すると体重が元に戻ってしまうという課題もありました。
研究の内容
研究グループでは、これらの課題を解決するために、頻繁な投薬が必要な多因子性疾患の課題解決を目指し、生体内の臓器、特に肝臓をGLP-1受容体作動薬「エキセナチド」を持続的に産生・分泌する「体内工場」として活用することを目指しました。まず、肝臓の細胞がエキセナチド(研究ではExendin-4を使用)を体外に効率よく分泌できるよう、Exendin-4を造る遺伝子に「分泌シグナルペプチド(SP)」と「フリン切断配列(FCS)」という、分泌を助ける部品をくっつけました(これを「scExe4」と名付けました)。様々なSPとFCSの組み合わせを試した結果、NGF-FCS2という組み合わせが、肝臓の細胞から最も効率よくエキセナチドを分泌させることを発見しました。そして、このscExe4が、実際に血糖値を下げるためのインスリン分泌を促す、生きた薬として機能することも確認しました。
次に、このscExe4の遺伝子を、体内の肝細胞に確実に組み込むためのゲノム編集戦略を開発しました。肝臓の細胞で常に大量に作られている「アルブミン」というタンパク質を作る遺伝子を標的部位に選び、そこにscExe4遺伝子を組み込むことで、安定してエキセナチドが作られ続けるように工夫しました (図2a)。この組み込みには、研究グループが独自に開発した、広範な細胞種で比較的大きなDNA断片でも効率よく組み込みが可能なゲノム編集技術であるHITI法を活用しました。
さらに、肝臓へ安全かつ効率的に遺伝子を届けるために、脂質ナノ粒子(LNP)という、微細なカプセルに遺伝子を包んで投与しました。このLNPを用いた投与法は、肝臓に的を絞って遺伝子を届け、他の臓器への影響を最小限に抑えることができることを確認しました。
実際に、食事誘発性肥満および前糖尿病のマウスモデルにこのゲノム編集LNPを一度だけ注射投与したところ、驚くべきことに、マウスの血液中ではエキセナチドが6ヶ月以上もの間、検出され続けました(図2b,c)。これは、肝臓の細胞がゲノム編集されたおかげで、エキセナチドを継続的に作り続けていることを示しています。さらに、2回投与することで、1回投与の2倍のエキセナチドが長期間分泌されることも分かり、治療効果を調整できる可能性も示唆されました。
このゲノム編集治療を受けた肥満マウスは、食欲が抑えられ、体重が増えるのを大幅に防ぐことができました。また、前糖尿病の症状である血糖値の異常が改善され、インスリンが効きやすくなる(インスリン感受性の向上)ことも確認されました。これらの効果は、通常の食事を与えた健康なマウスと同じレベルであり、今回のゲノム編集治療が、食事による肥満や前糖尿病に非常に効果的であることを示しています(図2d)。また、体内で作られるエキセナチドが、もともと体にあるGLP-1というホルモンの分泌に悪い影響を与えないことも確認され、安全面でも期待が持てます。安全性についても、他の遺伝子に意図しない変化が起こる「オフターゲット効果」は見られず、肝臓の機能を示す血液中の数値も正常であったため、安全性に大きな問題がないことが示されました。
図2. 生体内ゲノム編集による肥満マウスでの治療
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果は、これまでゲノム編集の対象として考えられていなかった「遺伝子の変化のみが原因ではない」様々な病気(非遺伝性・多因子性疾患)に対する新しい治療法を開拓するものです。
特に、エキセナチドのような、頻繁な注射が必要なバイオ医薬品の課題を根本的に解決する可能性を秘めています。患者さんは、これまで毎日のように自己注射や、毎週のように病院に通い、注射を受ける必要がありましたが、今回の技術により、一度の治療で長期間にわたって効果が持続する「一発治療」が可能になるかもしれません (図3)。これは、患者さんの生活の質(QOL)を大きく向上させ、治療費の負担軽減にもつながります。
将来的には、今回の「生体内バイオ薬製造」というコンセプトを応用することで、炎症性の病気や、がんといった、より幅広い複合的な病気に対しても、体内で治療に必要な物質を作り続ける新しい治療法が生まれる可能性があります。本研究は、ゲノム編集が医療の未来を大きく変えるための、重要な一歩となることを期待しています。
図3. 単回投与による長期的治療のイメージ
特記事項
本研究成果は、2025年7月9日(水)18時(日本時間)に国際科学誌「Communications Medicine」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Targeted In Vivo Gene Integration of a Secretion-Enabled GLP-1 receptor agonist Reverses Diet-induced Non-genetic Obesity and Pre-diabetes”
著者名:Jun Hirose, Emi Aizawa, Shogo Yamamoto, Shigenori Iwai, and Keiichiro Suzuki
DOI:https://doi.org/10.1038/s43856-025-00959-8
なお、本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(KAKENHI)、日本医療研究開発機構(AMED)、第一三共生命科学研究助成、ノバルティス科学振興財団、G-7奨学財団の研究推進事業の一環として行われました。
参考URL
SDGsの目標
用語説明
- 多因子性疾患
特定の遺伝子一つの異常だけで起こるのではなく、普段の生活習慣や周りの環境、あるいは複数の遺伝子など、様々な要因が組み合わさって発症する病気のこと。肥満や2型糖尿病を含む多くの疾患がこれに含まれる。
- ゲノム編集
生物の持つすべての遺伝情報(ゲノム)の中にあるDNAの配列を、人工的に狙った通りに切ったり、書き換えたりする技術。
- バイオ医薬品
遺伝子組み換え技術を用いて製造される、タンパク質やペプチドなどを有効成分とする医薬品のこと。自己免疫疾患やがん、慢性炎症性疾患など、多様な複雑かつ非遺伝性の疾患の治療に変革をもたらしている。
- HITI法
Homology-independent target integration法。CRISPR-Cas9というゲノム編集の道具を使った技術の一つ。細胞が持っているDNAの傷を直す仕組み(非相同末端結合:NHEJ)を上手に利用して、狙ったゲノムの場所に、比較的大きなDNAの断片を効率よく挿入することができる。研究グループが独自に開発した技術で、細胞が活発に分裂していなくても使えるのが特徴。
- 脂質ナノ粒子(LNP)
Lipid Nanoparticles。脂質(油の仲間)でできた、微小なカプセル。遺伝子や薬の成分をこのカプセルの中に入れて、狙った細胞まで効率よく運ぶために使用される送達システムであり、肝細胞など特定の細胞への効率的な遺伝子導入に有効。
- GLP-1受容体作動薬「エキセナチド」
食事をすると腸から分泌される「GLP-1」というホルモンと似た働きをする薬。血糖値を下げる効果や、食欲を抑えて体重を減らす効果があることで知られている。エキセナチド(Exendin-4)はこのGLP-1受容体作動薬の一種である。