光電子運動量顕微鏡を二刀流にアップグレード

光電子運動量顕微鏡を二刀流にアップグレード

物性を決定づける原子軌道の完全解析への革新

2024-4-17工学系
産業科学研究所准教授田中 慎一郎

研究成果のポイント

  • 光電子運動量顕微鏡のアップグレードにより、軟X線と真空紫外光を駆使したユニークな“二刀流”の物性計測が世界で初めて可能になった。
  • 2種類の放射光源を併用し、①斜入射軟X線による高感度元素選択的測定、②直入射真空紫外光による高対称光電子分光測定を実現した。
  • 特に、真空紫外光を試料表面の真正面から照射し(直入射)、飛び出すすべての光電子を分析できる点は新しい。
  • この顕微装置を用いて、試料表面で注目したい極微小な領域を選択して、電子物性や材料の機能発現担う電子のふるまいを高精度に解析することができる。特に、価電子帯軌道の解析に世界の先端を走る重要な進歩をもたらした。

概要

自然科学研究機構分子科学研究所/総合研究大学院大学の松井文彦教授、解良聡教授、自然科学研究機構分子科学研究所の萩原健太特任研究員(IMSフェロー)、中村永研技術職員、牧田誠二技術職員、大阪大学 産業科学研究所の菅滋正招へい教授、田中慎一郎准教授は、 世界初となる2つのビームラインからの放射光を利用できる光電子運動量顕微鏡実験ステーションを分子科学研究所極端紫外光研究施設(UVSOR)で開発しました。既存の真空紫外光ビームラインBL7Uに分岐を新設することで、軟X線ビームラインBL6Uからの光が試料表面に斜入射で利用する光電子運動量顕微鏡実験ステーションで、BL7Uからの光も直入射で利用できるようになりました。

この世界初の高性能装置により、①斜入射軟X線による高感度元素選択的測定、②直入射真空紫外光による高対称光電子分光測定が可能になりました。特に、直入射配置での光電子分光は、現在利用できるのは、UVSORの本装置のみです。本装置を駆使することで、物性をつかさどる電子のふるまいのより包括的かつ高精度な解析、特に、価電子帯軌道の解析に重要な進歩をもたらしました。

本成果は2024年4月15日にJournal of Synchrotron Radiation誌でオンライン公開されました。

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研究の背景

現代の科学技術では、物性をつかさどる物質の電子のふるまいを詳細に理解することが、新しい物質やデバイスの開発、既存の材料の性質を改善するために重要です。これまでの研究では、光電子分光が、物質内の電子のふるまいを解析するため手法として用いられてきました。UVSORでは、最先端の光電子分光測定装置である「光電子運動量顕微鏡」が2020年に導入され、マイクロメートルスケールでの微小な領域での電子のふるまいを観察することが可能になりました。

研究の成果

本研究では、UVSORにおいて世界初となる2つのビームラインからの放射光(真空紫外光と軟X線)を同じ試料に当てることができる光電子運動量顕微鏡実験ステーションを開発しました。既存の真空紫外光ビームラインBL7Uに分岐を新設することで、軟X線ビームラインBL6Uから光が試料表面に斜入射で利用する光電子運動量顕微鏡実験ステーションで、BL7Uからの光を試料表面の真正面から照射(直入射)・利用できるようになりました。

2つのビームラインの併用化により、①斜入射軟X線による高感度元素選択的測定、②直入射真空紫外光による高対称測定を自在に選択・同時利用した光電子分光実験が可能になりました。この光源の自由度を駆使することで、電子のふるまいの多角的な解析を実現しました。特に、現在利用できる直入射配置での光電子分光は、世界中でもUVSORの本装置のみであり、開発が期待されてきた技術です。直入射配置での、対称性と光の偏光依存性を利用した遷移行列要素解析により、価電子帯電子の原子軌道情報への直接アクセスが可能となりました。また、光電子運動量顕微鏡では、飛び出すすべての光電子を分析できるので、原子軌道の完全解析に近づきました。本研究では、Au(111)表面の価電子帯分散に遷移行列要素解析を適用しました。

今後の展開・この研究の社会的意義

本研究によって開発された2ビームライン併用光電子運動量顕微鏡実験ステーションは、世界初の装置であり、今後も本装置を用いた世界に先駆けた独創的な研究をUVSORで展開していきます。本研究の適応例にとどまらず、光源の自由度を駆使したまったく新しい分析法の開拓の可能性を秘めた装置であり、さらなる測定技術の革新も目指します。

高精度な価電子帯の原子軌道解析は、理論計算との比較も容易になります。電子状態研究の進展は、物性物理学、分子科学、材料科学の発展にとどまらず、物質の基本的性質や新規機能の開発に直結する重要な知見に結びつきます。これにより、未来のナノテクノロジーや量子デバイスの開発に貢献し、エネルギー、情報通信、環境など幅広い分野での21世紀を先導する技術革新を促進することが期待されます。

特記事項

【論文情報】
掲載誌:Journal of Synchrotron Radiation
論文タイトル:“Development of dual-beamline photoelectron momentum microscopy for valence orbital analysis”
価電子帯軌道解析のための2ビームライン光電子運動量顕微法の開発
著者:Kenta Hagiwara, Eiken Nakamura, Seiji Makita, Shigemasa Suga, Shin-ichiro, Tanaka, Satoshi Kera and Fumihiko Matsui
掲載日:2024年4月15日(オンライン公開)
DOI:https://doi.org/10.1107/S1600577524002406

研究グループ
自然科学研究機構 分子科学研究所
大阪大学 産業科学研究所

本研究は、文科省科研費 国際共同研究強化(B)(19KK0137)、基盤研究(S)(23H05461)の支援の下で実施されました。


用語説明

光電子運動量顕微鏡

光電子分光分析器に電子顕微鏡を複合させた装置で、これまでドイツを中心に開発されてきたが、欧州以外では2020年にUVSORに初めて導入された。不均一試料の微小部分を拡大して観察できる顕微(microscope)機能と試料の物性を決定づける電子のふるまい運動量(momentum)を可視化する機能を1つの装置で同時に実現。空間位置分解能50 nm 、運動量分解能0.01 Å-1 、エネルギー分解能20 meV を達成、試料を9 Kまで冷却できる。これにより、数 μmの領域からの価電子帯分散やフェルミ面を測定することができる。

光電子分光

数eV以上の光(紫外線やX線)を物質に当てると物質内部から電子が励起され光電子として飛び出す。その運動エネルギーや方位を計測することで物質の様々な情報を得ることができる。

価電子帯(分散)

原子同士を結び付け、電子物性や化学反応性に中心的な役割を果たすのが価電子とよばれる電子で、そのふるまいはエネルギーと運動量の関係「価電子帯分散」に反映されている。光を試料に照射すると価電子はそのエネルギーを得て「光電子」として試料から飛び出すが、電子分析器による光電子の計測を通じて価電子帯分散を解析することができる。価電子帯分散が分かれば、超伝導・磁性・化学特性などの起源について原子レベルで理解できるようになる。

(原子)軌道

電子は物質中では原子核や他の電子と相互作用しながら運動している。特に原子の中では原子軌道とよぶ特徴的な振舞いをする。原子軌道の情報から原子同士がどのような結合をし、どのような物理・化学的性質をもつかといった情報が得られる。ちなみに分子科学研究所のロゴはその原子軌道の一つであるd軌道を図案化したものである[分子科学研究所のロゴについてhttps://www.ims.ac.jp/about/bunshi_enkaku.html]。

分子科学研究所極端紫外光研究施設(UVSOR)

極端紫外光領域を中心としたエネルギー領域では世界的に最高水準の高性能を持つ放射光光源で、国内外の研究者に広く共同利用されている研究施設。極端紫外光は分子や固体の物性をつかさどる電子の挙動を観察するために最適なエネルギーである。1周約50 mの電子蓄積リングから放射されるシンクロトロン光(放射光)は10数台の実験装置に導かれ、物理化学分野にとどまらず、バイオ分野や環境・エネルギー・宇宙分野など、様々な研究が展開されている。1983年より稼働し、現役の放射光施設としては国内で2番目の古参光源であるが、2度の高度化を経て現在もトップの性能を維持している。

遷移行列要素

遷移行列要素は、電子のエネルギーレベル間の遷移確率を表す。光の偏光状態に依存する光電子放出の強度変化を解析することで、電子の原子軌道情報に直接アクセスできる。