
多様性は、社会をどう変えるのか? その実像をデータで照らす
国際公共政策研究科 比較公共政策専攻 博士後期課程3年 池内 里桜さん
「ミュージカルの主役を黒人俳優が演じることで、人々の差別意識は変わるのだろうか」。池内さんの研究の原点には、中学生の頃に抱いたそんな素朴な疑問がある。人種やジェンダー、国籍などを背景に、これまで社会の中で十分に認識されてこなかった人々の存在感が高まることで、人々の意識や行動はどう変化するのか。池内さんは「マイノリティ集団の可視化」という現象に着目し、大規模なデータと計量経済学の手法から、多様性が進む社会の実像を捉えようとしている。
ミュージカルを見て生まれた、「社会は本当に変わるのか」という問い。

池内さんが人種や多様性に関心を持ったきっかけは、中学生の頃、大好きなミュージカルを観るためにやって来たニューヨークでの経験。さまざまな人種や文化的背景をもつ人々が行き交う街の光景は、それまで日本で暮らしてきた池内さんにとって鮮烈に感じられたという。なかでも心を惹かれたのが、舞台で活躍する黒人俳優たちの姿だった。黒人俳優が主役を務める作品が大きな注目を集める一方、現実社会に目を向ければ、人種による差別や格差は依然として残っている。「舞台やメディアでマイノリティの存在が目立つようになれば、現実の社会も変わっていくのだろうか」。その疑問が、現在まで続く研究の出発点となった。
法学部国際公共政策学科では、社会で起きている現象をデータによって検証する計量経済学と出会った。個人の感覚や印象だけでは捉えきれない社会の変化を、データから明らかにできる。その面白さに惹かれ、研究の道へ進んだ。「自分の感情ではなく、まずはデータで客観的にアプローチしたい」。自ら設定したトピックの分析結果が、より大きな研究分野の流れにつながる手ごたえ。「研究の蓄積をもとに、社会が少しでも良い方向に変わればいいな」と語る。
「見える」ことは、包摂につながるのか。データから因果関係を探る。
現在の研究テーマは、「マイノリティ集団の可視化」が社会に与える影響だ。たとえば、女性研究者が増える、移民が地域社会で存在感を増すなど、これまで社会の中で目立ちづらかった人々がさまざまな場面で認識されるようになることを、池内さんは「可視化」と捉えている。一般的には、多様な人々の存在が知られるようになれば、理解が進み、より包摂的な社会へ近づくようにも思える。しかし、現実はそれほど単純ではない。可視化によって理解が深まることもあれば、逆に反発や偏見が強まり、分断につながる可能性もある。
では、どのような条件のもとで、どのような変化が起こるのか。池内さんは、アメリカの国勢調査をはじめとする大規模データを活用し、計量経済学や因果推論の手法によってその現象や構造を分析している。単に「二つの現象が同時に起きている」ことを示すのではなく、ある社会的な変化が、人々の意識や行動にどのような影響をもたらしたのか、その因果関係を丁寧に読み解いていく。こうした研究によって、多様性を「良いこと」と一面的に捉えるのではなく、包摂にも反発にもつながり得る社会の複雑な姿が見えてくる。マイノリティの可視化がもたらす影響をデータから明らかにすることは、多様な人々が共に生きるための制度や政策を考えるうえでも、重要な知見となる可能性を秘めているのだ。
世界の研究者と議論し、問いをさらに深めていく。
池内さんの探究心をさらに刺激したのが、アメリカ・プリンストン大学への留学だった。世界トップレベルの研究者が集まる環境の中、研究会へ足を運び、積極的に議論を重ねた。そこで触れたのは、一つの社会現象に対して問いを立て、データを集め、異なる視点をぶつけながら考え抜いていく研究者たちの姿勢そのもの。帰国後には、その経験をもとに、大学院生が主体となって研究を発表し、互いに議論できる場を立ち上げた。研究を深めるには、一人で考えるだけでなく、異なる関心や視点をもつ人と問いを交わすことが欠かせない。海外で得た刺激を、自ら新たな研究環境をつくる行動へとつなげている。
来年以降は再びプリンストン大学へ渡り、研究を続ける予定だ。中学生の頃、ニューヨークで抱いた一つの疑問から始まった探究は、いまや世界を舞台にした研究へと広がっている。社会は、本当に多様になっているのか。そして、多様になることで、人々はどのように変わるのか。答えを先に決めるのではなく、まずデータから現実を見つめる。池内さんはその姿勢を貫きながら、多様な人々が共に生きる社会のあり方を探り続けていく。

