2020年1月21日

発表のポイント

・本成果は、研究で得られた遺伝情報を研究参加者に返却することに関する倫理的・法的・社会的課題(ELSI: Ethical, Legal and Social Issues)について、諸外国の事例を調査し我が国の現状も含め詳細に検討した結果を提言としてまとめたもので、我が国で初めての試みである。
・網羅的なヒトゲノム解析が一般化し、遺伝情報を取り扱う研究がますます増加していく中で、実際にそのプロジェクトに従事する研究者をはじめとした関係者が、結果返却のあり方を検討する上で、有益な示唆を与えることが期待される。

概要

東北大学東北メディカル・メガバンク機構の相澤弥生助手(現所属:大阪大学大学院医学系研究科特任研究員)、長神風二特任教授、大阪大学大学院医学系研究科の大橋範子特任研究員(現所属:同大学データビリティフロンティア機構特任助教(常勤))、加藤和人教授は、研究における遺伝情報の返却の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)について、国内のゲノム医科学研究者・関係者らへのヒアリング等をもとに提言をまとめ、その成果が2019年12月23日に国際誌Journal of Human Genetics誌に掲載されました。

本研究では、研究でのゲノム解析によって得られた遺伝情報について、その結果を本人に返却することにおける課題を、国内外の先行事例や法令・指針の現状、ゲノム医科学の研究者や関係者へのインタビューを通じて検討しました。そして、得られた結果をもとに、研究計画における事前確認の段階から、実際の結果返却およびその後のフォローアップにいたるまでの過程で、ゲノム解析研究に携わる研究者が検討および留意すべき事項として詳細にまとめました。更に、ゲノム医学の研究コミュニティのみならず、医療や関連する行政などを含め、今後の検討や対応が必要と考えられる点をまとめて考察・提言しています。

近年、網羅的なヒトゲノム解析※1のコスト低減などから、研究において遺伝情報が網羅的に解析されることが増え、今後も更なる増加や大規模な集団を対象とした解析が行われることが予想されます。網羅的な解析によって得られる情報の中には、目的としていた情報以外にも、研究参加者の健康に重要な意味を持つ可能性があるものも含めた、さまざまな情報があります。それらの結果を本人に返却することについては、診療において患者の方々に遺伝学的検査の結果を伝えることとは異なる倫理的・法的・社会的課題(ELSI)があり、さまざまな検討が行われてきましたが、我が国の状況を踏まえ、包括的にまとめられた報告等はこれまでありませんでした。今回の論文は、研究におけるゲノム解析の結果返却を検討するにあたって、各研究プロジェクトが留意すべき点を包括的にまとめた初めての試みであり、今後の多くの研究における重要な基盤となり、役立てられることが期待されます。

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が実施したゲノム医療実現推進プラットフォーム事業(先導的ELSI研究プログラム)に平成28年度に採択された「学際連携に基づく未来志向型ゲノム研究ガバナンスの構築」(代表:加藤和人 大阪大学大学院医学系研究科教授)において行われました。

背景と経緯

ゲノム解析技術の進展

2003年のヒトゲノム解読完了宣言後、2000年代後半に、次世代シークエンサー技術が登場し、ゲノム解析を大量、高速に行うことが可能となった。現在では、医療の現場でも、研究においても、この技術がますます活用されるようになってきている。一方で、網羅的なヒトゲノム解析が容易となったことで、必ずしも当初の目的としていなかった解析結果も得られるということが生じるようになってきている。こうした当初の目的外の解析結果で、対象者の健康などに意味を持つものについては、偶発的所見(IF: incidental findings)または二次的所見※2(SF:secondary findings)といった言葉で呼ばれている。このような遺伝情報をどのように扱うべきかについては、倫理的・法的・社会的課題(ELSI)の大きな焦点の一つとなっている。

臨床の医療における遺伝情報の返却をめぐる国内外の動き

臨床において遺伝情報を解析して、診療に役立てることは、単一遺伝子疾患の診療等において以前より行われており、さまざまな課題の検討も行われてきている。我が国では、2011年に日本医学会が「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」を発表し、遺伝学的検査※3を行うに際しての留意事項などをまとめている。我が国の保険制度においては、遺伝学的検査が保険収載の対象となっている疾患は限られており、自費診療等の枠組みで行われていることも多い。一方で、2010年代以降に発展した次世代シークエンサー技術等により、臨床における遺伝学的検査においても、世界的に網羅的な解析が一般化してきている状況に対応していくため、さまざまな検討が始まっている。偶発的所見・二次的所見の返却のための仕組みとポリシー作りに向けて行われた検討として、2017年にAMEDの研究班から提言※4が出されている。その後、AMEDの別の事業から、臨床において網羅的なヒトゲノム解析が行われた際に、目的としていた解析対象以外で、健康に対して重要でかつ何らかの対応を行うことで疾患の発症や悪化を防ぐことができるという科学的な証拠がある情報が得られた場合の、結果返却のあり方についての検討が行われ2018年から相次いで提言・報告書が出されている※5

また海外においては、2013年にアメリカ臨床遺伝・ゲノム学会(ACMG:American College of Medical Genetics and Genomics)が臨床における網羅的ゲノム解析の状況における偶発的所見(後の改定時には二次的所見に表現を修正)の取り扱いに関する推奨を発表していることが注目を集めてきた。この推奨では、臨床において網羅的ゲノム解析を用いた遺伝学的検査を行った際に同定されたIF(後に、SF)に関して、検査者は主治医(受検者)に返却すべきであるとして、医療において治療的・予防的介入が可能(actionable)な56遺伝子24疾患(2016年の改定により現在は59遺伝子27疾患)のミニマムリストを示し、対象が成人・小児に関わらず、これらの疾患に関する病的バリアント※6を積極的に確認し返却することを推奨している。

研究における遺伝情報の返却と国の指針

上述のいずれの例も、臨床でのゲノム解析における推奨や提言などである。ヒトゲノム・遺伝子解析研究の実施にあたっては、文部科学省・経済産業省・厚生労働省の三省による「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」を遵守することが求められている(2001年制定、2013年全部改正)。この中の「遺伝情報の開示」という項目において、「研究責任者は、個々の提供者の遺伝情報が明らかとなるヒトゲノム・遺伝子解析研究に関して、提供者が自らの遺伝情報の開示を希望している場合には、原則として開示しなければならない」と記載されているが、具体的に検討および留意すべき事項についてはほとんど言及されていない。つまり、我が国では、それぞれの研究者は、ヒトゲノム・遺伝子解析研究を行うにあたって、その解析結果を研究参加者に対して返却する可能性があるかどうかについて、研究計画の立案時点から慎重に検討し、その方針を研究計画書、説明同意文書等に記載し、研究参加者を含む関係者に説明可能であることが求められているが、その具体的な方法などはガイドラインや提言等も含めて示されてこなかった。

本研究の目的

研究における遺伝情報の返却には、医療への橋渡しのあり方をはじめ、臨床とは異なる多くの課題があることが研究者の間では知られてきたが、国内において、研究において行われたゲノム解析で、結果返却をどのように検討するべきかについてのガイドラインや提言等はまとめられていなかった。そこで、本研究では、各研究者が、遺伝情報の研究参加者への返却をその可能性含めて検討するにあたって、我が国の現状における倫理的・法的・社会的課題等について、可能な限り多面的にまとめることを目的とした。先進的な研究への取組を通じてさまざまな形で課題に直面した方々から得た貴重な知見を中心に、我が国の現状も踏まえた、結果返却のあり方に関して、「検討および留意すべき事項」、「今後の議論・検討に向けた課題」について検討し、提言をまとめた。

研究成果の詳細

本研究による提言の対象

・研究における個人の遺伝情報の結果返却に関する検討
・生殖細胞系列に関する遺伝情報を対象とするもの
・本研究において具体的に想定した遺伝情報の結果返却は、以下の通り。‐難病等を発症した患者の方々を対象とした一次的所見の返却(既に、我が国において結果返却が行われてきている)
‐ゲノム解析結果を用いて薬剤投与等の介入研究を行う場合の当該バリアント情報の返却
‐心理社会的側面の評価や返却フローの検証を目的とした遺伝情報の返却
‐研究目的外の二次的所見・偶発的所見の返却

研究手法

・ゲノム医学の研究者・関係者を対象としたインタビュー(インタビュー対象:AMEDの「ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業先端ゲノム研究開発(GRIFIN)」各課題(総計10課題)の研究代表者全員および、我が国においてさまざまな立場から遺伝情報の解析結果の返却に類する課題に関係してきた方々(総計5組))
・世界中で試行的に行われてきた先行事例の文献調査
・法令・指針に関する調査

報告・提言の内容

インタビュー調査、文献調査、法令・指針に関する調査の結果を総合して、日本語の提言・報告「研究における個人の遺伝情報の結果返却 検討および留意すべき事項と今後の議論・検討に向けた課題に関する提言」がまとめられた(AMEDのウェブサイト等で公開)。この度の論文における主要な結果は、日本語の提言・報告において中心的な章を構成する、研究における個人の遺伝情報の結果返却 検討および留意すべき事項、である。この検討および留意すべき事項は、以下の構成でまとめられている。
1)結果返却に関する方針検討前の事前確認・検討
2)結果返却に関する方針の検討・決定
(1)結果返却に関する方針検討・決定の体制
(2)返却の詳細について検討する際に留意すべき事項
①返却の対象となる者
②返却対象とする遺伝情報の種類
③研究プロジェクトとして対応可能な体制の確保
3)インフォームド・コンセント、返却希望の確認
4)返却可能性のある情報に関する解析
(1)精度管理・確認検査
(2)バリアント判定のプロセス
5)対象者への結果返却
(1)結果返却の方法
(2)結果返却に関する記録
(3)フォローアップ

上記構成の通り、研究者が研究参加者の遺伝情報の返却を検討するに際して、研究開始前の事前の検討の段階から研究を実施するそれぞれの過程で検討および留意すべき事項をまとめており、研究者が自ら行う検討を支援する内容となっている。

また、この検討および留意すべき事項をまとめるにあたって、我が国の現状における今後の議論・検討に向けた課題が抽出されてきた。抽出された課題は、主に、以下の3つに大別される。
‐ゲノム医療の提供体制の充実に関する取り組みを継続していく必要性
‐遺伝情報の返却にあたっての研究者に対する支援体制の整備の課題
‐返却に対する適切な費用配分に関する課題

抽出されたこれらの課題は、提言としてまとめられ、論文で議論されると共に、次節で述べる通り各所での議論にも取り上げられ始めているが、継続的に広く検討されるべき課題が多く含まれている。例えば、ゲノム医療の提供体制の充実については、ゲノム医療に関する検査、治療の中には保険収載されていないものが多い現状や、認定遺伝カウンセラー®等のゲノム医療に関わる人材育成の重要性などを指摘している。本研究において提起したこれらの課題については、今後の継続的な検討および制度等の整備に向けた取組が望まれる。

今回の成果から期待される展開

現在、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針および人を対象とする医学系研究に関する倫理指針の改定・統合に向けた議論が国レベルで進んでいるが、本研究で挙げられた検討課題の一部は、そのための委員会などでも取り上げられている。

研究におけるゲノム解析で、網羅的な解析が大規模な集団に対して行われることは世界的な潮流であり、多くの国々でその返却のあり方や、それにまつわる課題の検討が進んでいる。本研究により我が国の状況が国際的に発信され、制度その他の背景の違いを含めた比較や検討に広範に寄与することが期待される。

本研究を通じて、多くの研究者が得られたゲノム解析結果について、特に研究参加者個人に役立つものを返却することに対して、それぞれが真摯に検討を行っていることが窺えた。また、本研究の提言で挙げた課題には、研究者や研究参加者の返却に対する希望だけではなく、研究者と研究参加者の間の信頼関係、資金や体制等の研究者に対する支援、ゲノム医療に関する体制の充実、さまざまなステークホルダーの理解等、多面的で中長期的な努力を要することが多い。本論文および提言が、さまざまな方に読まれ、活用され、より実践的なガイダンスの充実に関する検討などが進むと共に、研究における結果返却というテーマを超えた我が国のゲノム研究・ゲノム医療の発展のためのより広い検討に向けて、今後の活発な議論の継続に寄与することが期待される。

参考

「研究における個人の遺伝情報の結果返却 検討および留意すべき事項と今後の議論・検討に向けた課題に関する提言」https://www.amed.go.jp/program/list/04/01/005_01.html

用語等説明

※1 網羅的なヒトゲノム解析
ここでは個人のゲノムについて、その全体を解析することを指す。ゲノム全体の配列を解析する全ゲノム解析、タンパク質をコードしている領域を解読するエクソーム解析、ゲノム全体で多数の箇所の変異を検出するマイクロアレイ解析などがある。

※2 二次的所見
当初の目的外の解析結果で、対象者や血縁者の健康などにとって意味を持つもの。以前は、特に画像解析において目的外の所見を偶然発見する際に用いられる事象との類似から偶発的所見と呼ばれたが、網羅的解析によって得られた情報については偶然ではなく意図をもって解読することで発見される所見であることから二次的所見という用語が主に用いられている。

※3 遺伝学的検査
単一遺伝子疾患、多因子疾患、薬物等の効果・副作用・代謝、個人識別に関わる検査等、ゲノムおよびミトコンドリア内の原則的に生涯変化しない、その個人が生来的に保有する遺伝学的情報(生殖細胞系列の遺伝子解析より明らかにされる情報)を明らかにする検査。

※4 2017年のAMEDの研究班による提言
ゲノム医療実用化推進研究事業「メディカル・ゲノムセンター等におけるゲノム医療実施体制の構築と人材育成に関する研究」(研究開発代表者:国立がん研究センター 中釜斉理事長)のサブテーマ2「偶発的所見・二次的所見への対応についての検討と提言」(研究開発分担者:大阪大学 加藤和人教授)。
参照ウェブページ:https://www.amed.go.jp/program/houkoku_h28/0401045.html

※5 2018年以降のAMED事業による報告書
AMEDゲノム創薬基盤推進研究事業A-②:ゲノム情報患者還元課題―患者やその家族等に対して必要とされる説明事項や留意事項を明確化する課題「医療現場でのゲノム情報の適切な開示のための体制整備に関する研究」(研究代表者:京都大学 小杉眞司教授)によるもの。まず、2018年4月に、「ゲノム医療における情報伝達プロセスに関する提言―がん遺伝子パネル検査と生殖細胞系列全ゲノム/全エクソーム解析について―(初版)」が公開され、その後2019年3月に、「ゲノム医療における情報伝達プロセスに関する提言―その1:がん遺伝子パネル検査を中心に(改定版)」「ゲノム医療における情報伝達プロセスに関する提言―その2:次世代シークエンサーを用いた生殖細胞系列網羅的遺伝学的検査における具体的方針(初版)」の公開などに至っている。
参照ウェブページ:https://www.amed.go.jp/news/seika/kenkyu/20190329.html

※6 病的バリアント
ヒトのDNA配列の個人間の違いを遺伝子バリアントという。そのうち、疾患発症の原因となるものを病的バリアントと呼ぶ。

掲載論文

論文題目:A proposal on the first Japanese practical guidance for the return of individual genomic results in research settings
掲載誌:Journal of Human Genetics
DOI:10.1038/s10038-019-0697-y
著者:
東北大学東北メディカル・メガバンク機構
相澤弥生助手(現所属:大阪大学)、長神風二特任教授
大阪大学大学院医学系研究科
大橋範子特別研究員(現所属:同大学データビリティフロンティア機構)、加藤和人教授

参考URL

大阪大学大学院 医学系研究科 加藤研究室HP
https://www2.med.osaka-u.ac.jp/eth/

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