極限的な量子状態制御を用いた新しい量子情報・基礎物理学実験に期待

極限的な量子状態制御を用いた新しい量子情報・基礎物理学実験に期待

イオントラップを用いて量子回転子を実現し、トンネル効果中の量子位相を初めて観測

2014-5-13

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科(占部伸二教授の研究グループ)と大学共同利用機関法人自然科学研究機構分子科学研究所協奏分子システム研究センター(鹿野豊特任准教授)は、イオントラップ 中に極低温状態の3個のカルシウムイオンを三角形に配列させて、ミクロンサイズの量子回転子を作り、これを使ってトンネル粒子によるアハラノフ・ボーム効果 を実証することに成功しました。量子回転子は、二つの安定な状態の間を量子力学的なトンネル効果 により移り変わるものであり、それにより、ミクロンオーダーの光学的に識別可能な状態間での量子的な重ね合わせが初めて実現されたことになります。また、経路の全てがトンネル効果による移動であるような系を使ってアハラノフ・ボーム効果を観測したのは初めてのことです。本成果は、基礎物理の分野に新たな知見をもたらすとともに、量子情報処理分野における新しい実験手法を提供し、新たな発展に貢献することが期待されます。

研究の背景

量子情報技術は、量子力学の基本原理に基づいて、現在のコンピューターでは処理の困難な計算やシミュレーションなどを可能にする革新的な技術として期待され、それを実現するシステムを見つけるべく、多くの手法で研究開発が進められています。イオントラップは、これらのうちの有力な手法の一つとして、世界的に研究が進められており、2012年にはこの分野の第一人者である米国のワインランド博士がノーベル物理学賞を受賞しています。大阪大学の占部研究室でもイオントラップを使った量子情報処理の研究を行っており、これまでに量子ゲートや量子シミュレーターの実験を進めています。

写真は、イオントラップの一例。
右上の画像は、トラップに捕捉され、三角形状に並んだカルシウムイオン。

今回、同研究室の野口篤史研究員が、イオントラップ中に三角形に配列したイオンを振動基底状態といわれる極低温まで、レーザーを使って冷やせることを初めて見出しました。イオンを二次元的に配列できることはこれまでに知られていましたが、これを振動基底状態まで冷やすことは難しいと考えられているため、これまでは一列に配列したイオンを使って、量子情報処理の研究が進められてきました。実験では、この三角形に配列したイオンの運動エネルギーを、断熱冷却という手法を用いてさらに数十ナノケルビンまで下げることにより、上向きと下向きの三角形の二つの安定点の間を、量子トンネル効果によって移り変わる量子回転子を実現することに成功しました。イオンの配列した三角形は数ミクロンの大きさです。量子回転子の状態は、三角形は上向きでもあり、また同時に下向きでもある重ね合わせの状態であり、その向きは観測するまでは確定しません。光学顕微鏡で識別可能なミクロンオーダーのサイズの単純な系で、このような重ね合わせ状態を実現したのは世界的にみて稀有な例です。

さらに、同グループと分子科学研究所の鹿野豊特任准教授(チャップマン大学量子科学研究所客員助教授を兼務)は協力して、量子回転子が二つの経路を通って移り変わるという量子干渉の性質を用いて、アハラノフ・ボーム効果の観測を行いました。この効果は、干渉計の二つの経路の囲む領域に電磁ポテンシャルがある場合は、電荷を持った粒子が直接電磁場によって力を受けなくても、干渉縞の位相に変化を与えるというものです。実験では、経路の囲む領域の磁場の強さを変えることで、この効果によって理論的に予言されるトンネル効果の確率が周期的に変化することを観測しました。アハラノフ・ボーム効果は、これまでに日立製作所の外村彰氏らによる、電子ビーム干渉計を使った実験による検証などで知られていましたが、今回の実験では、干渉計の経路のすべてをトンネル粒子が通過しており、古典的に許される軌道を全く持たない粒子を使ってアハラノフ・ボーム効果を初めて実証したことになります。

本研究成果の意義

量子回転子はメチル基のような分子などの微視的な粒子においては観測されていますが、今回のようなミクロンサイズの光学的に識別可能な大きさで実現したのは初めてです。これは、量子情報処理の実現の目標の下に量子状態制御技術が近年飛躍的に向上したためです。この高い量子技術を物理学の基礎実験に対して応用し、量子力学に残された基本的な問題の一つであるトンネル効果の理解を促す結果です。

今後、本成果は、古典力学的世界と量子力学的世界の境界の解明や、古典計算機では解くことが困難とされる問題を自然にそのまま解かせてしまう量子シミュレーションの研究などにおける新しい実験手法を提供するものとして期待されます。そして、これらの実験を実装することにより、量子情報技術が更に高まるであろうと期待されます。また、トンネル効果中に電荷を持った粒子が電磁ポテンシャルと結合していることを実証した初めての実験例で量子電磁気学の基礎や物性研究分野などにも大きく貢献するものと期待されます。

特記事項

本成果は、Nature Communications, vol. 5, 3868 (2014) に以下のタイトルで掲載されます。
Atsushi Noguchi, Yutaka Shikano, Kenji Toyoda, and Shinji Urabe,
“Aharonov-Bohm effect in the tunneling of a quantum rotor in a linear trap”

参考図

図1 量子回転子の二つの状態(一辺が6.8マイクロメートルの上向き三角形と下向き三角形)
量子回転子の状態は二つの重ね合わせの状態にある。

図2 アハラノフ・ボーム効果観測の概略図
量子回転子による量子干渉の二つの経路とそれにより囲まれた領域を通る磁場を示す。アハラノフ・ボーム効果によると、磁場の大きさにより三角形の間で遷移する確率が周期的に変化することが予想される。

図3 アハラノフ・ボーム効果によって周期的な変動を示す遷移確率の測定結果
横軸は囲まれた領域を通る磁場の大きさ。この結果は、量子回転子が重ね合わせの状態になっていることの確認にもなっている。

用語説明

イオントラップ

電磁場を用いて電荷を持った粒子を空間的に閉じ込める装置の総称である。しかし、静電場のみもしくは静磁場のみを用いて電荷を持った粒子を閉じ込めることは不可能である事が証明されている(アーンショーの定理)。そこで電荷を持った粒子を閉じ込めるためには、静電場と静磁場を用いるペニングトラップと静電場および交流電場を用いるパウルトラップが主に使われている。今回の実験では、本リリース1頁の写真にある線形パウルトラップを用いて実験を行った。

アハラノフ・ボーム効果

量子力学特有の位相(量子位相)の一つ。1959年にアハラノフとボームによって提唱され、1985年に日立製作所の外村彰氏らにより自由空間上では実証された。干渉計の二つの経路の囲む領域に電磁ポテンシャル(電磁場そのものではない)がある場合は、電荷を持った粒子が直接電磁場によって力を受けなくても、干渉縞の位相に変化を与える効果のことである。その位相差は二つの経路の囲む領域に電磁ポテンシャルの大きさに比例している。

トンネル効果

古典力学では、運動エネルギーよりポテンシャルエネルギーのほうが高い場合、ポテンシャルエネルギーを超えて粒子は移動することは出来ないが、量子力学では、運動エネルギーよりポテンシャルエネルギーのほうが高い場合であっても、ポテンシャル内に波動関数がしみ出しているために、粒子がポテンシャル障壁を通過する現象のこと。