2020年4月20日

発表のポイント

・蛍光標識なしに細胞の高解像形態画像に生体分子の分布を示せる光学顕微鏡を開発した。
・赤外光で細胞内の分子に固有の振動を生じさせ、分子振動に伴う温度上昇による屈折率の変化を計測する原理で生体分子の分布を観察し、細胞形態と分子分布の情報を同時に取得することに成功した。
・生きたままの細胞観察が必要となる再生医療や生物学研究への幅広い利用が期待される。

概要

生命科学や医療分野では、細胞や細胞内小器官の形態や細胞構成分子の分布を複数の顕微鏡を用いて観察し、生命現象の解明や病気の診断が行われています。その中でも、生体分子を蛍光標識※1し、細胞内の動態を顕微鏡で観察する手法は広く利用されていますが、蛍光物質を結合させることで生体分子の生理活性を阻害したり、標識をつけた分子を細胞内に入れるために細胞の一部を壊したりしてしまう課題がありました。そこで生体分子を非標識(ラベルフリー)、つまり生きたままの状態で観察できる顕微鏡(ラベルフリー顕微鏡)の開発が求められていました。

これまでのラベルフリー顕微鏡には、細胞の形態を詳細に測る定量位相顕微鏡と、生体分子の分布を測る分子振動顕微鏡の大きく2種類があります。しかし、それらの顕微鏡では“細胞の形態”もしくは“分子の分布”のいずれか一方の計測しかできませんでした。東京大学大学院理学系研究科の井手口拓郎准教授らは、可視光で高解像形態画像を計測する定量位相顕微鏡技術と、赤外光で分子振動を計測する分子振動分光技術を融合した新しいラベルフリー顕微鏡(赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡)の開発に成功しました。この新しい顕微鏡技術は、細胞を破壊することなく、従来困難であった細胞の詳細な形態情報と分子分布情報の同時計測を実現できるため、医療や生物学における新たな細胞計測ツールとして利用されることが期待されます。

研究の背景

生命科学や医療分野の研究で、細胞由来の生体分子を人為的に標識することなく観察できるラベルフリー観察は、毒性の低い環境下で生きたままの状態の細胞を観察することが求められる再生医療などの場面で必要とされています。そのため近年、代表的なラベルフリー顕微鏡技術である定量位相顕微鏡と分子振動顕微鏡の研究が活発に行われています。定量位相顕微鏡は、物体の屈折率分布による光の位相変化※2を定量化できる技術であり、細胞の形態および細胞内小器官の細かな分布を可視化できます。また、屈折率の値は細胞内の乾燥質量密度※3に換算できることが知られており、細胞の成長速度などの定量的な計測にも用いられています。しかし、屈折率の情報からはどのような生体分子が存在するかを判別できないという欠点がありました。一方、分子振動顕微鏡は、赤外吸収やラマン散乱と呼ばれる現象をもとにして、それぞれの分子が固有に持っている分子振動を分光測定する技術です。得られた分光情報を解析してタンパク質、脂質、核酸など生体分子に固有なスペクトルを抽出することで、それらの細胞内の分布を推定できます。しかし、細胞形態の網羅的かつ詳細な可視化に向かない、質量密度の測定ができない、高強度な超短パルスレーザーを用いるため細胞毒性が生じるなどの欠点がありました。

開発した手法の概要

東京大学大学院理学系研究科の玉光未侑大学院生、戸田圭一郎大学院生、島田紘行特任研究員、井手口拓郎准教授らのグループは、定量位相顕微鏡と分子振動顕微鏡を融合した新たなラベルフリー顕微鏡(赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡)の開発に成功しました(図1)

この手法では、生体分子が赤外光を吸収して振動することにより発生する温度上昇(フォトサーマル効果)に伴う屈折率の変化を定量位相顕微鏡により検出します(図2)。これにより、細胞の詳細な形態情報となる定量位相画像を取得しつつ、特定の生体分子に由来する分子振動の分布も同時に取得することを実現しました。従来の赤外吸収顕微鏡では試料を透過した赤外光を結像することで像情報を検出していたため、空間解像度が赤外光の回折限界(数〜数十μm程度)で制限されてしまうという問題点がありましたが、本手法では局所的な赤外吸収の現象を可視光に基づく結像で検出するため、より高い空間解像度(本研究では440nm以下)を達成することができます。また、ラマン散乱よりも効率の良い赤外吸収の現象を用いることで、高強度超短パルスレーザーを使わずに高い感度を得られるため、細胞に対する光毒性を大幅に低減できます。

さらに、定量位相顕微鏡に「開口合成※4」と呼ばれる撮影原理を取り入れることで、従来の分子振動顕微鏡を超えた深さ方向と横方向の超解像(本研究では、それぞれ、2.3μmと190nm)を達成し、分子振動顕微鏡としての新たな可能性を開拓することも期待できます。例えば、従来の赤外吸収顕微鏡で細胞などを観察する場合には、照射した赤外光のほとんどが水に吸収されてしまうために透過する光の検出が難しい、また、検出した光には水の吸収による不必要な背景信号が含まれてしまう、という問題点があります。開発した技術では、フォトサーマル効果による屈折率変化を可視光で検出することにより1つ目の問題を、また、開口合成による深さ分解能を利用することにより2つ目の問題を解決しました。また、より高い解像力を持つ対物レンズを用いることで、従来の分子振動顕微鏡では達成できなかったような空間解像度(例えば、横方向100nm、深さ方向200nm程度)を実現することも原理上可能であり、細菌などの微小な生体試料の内部構造を観察することにも役立つと期待されます。

本研究では、開口合成を使用しない代わりに簡便に実装できる2次元の定量位相顕微鏡技術、および、開口合成を使用し性能を突き詰めた3次元の定量位相顕微鏡技術を利用した赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡を、それぞれ開発しました。それらの原理を検証する実験として、アフリカミドリザル腎臓細胞(COS7)やヒト胎児腎臓細胞(HEK293)など、分子生物学や細胞生物学の分野で頻繁に用いられる培養細胞を観察しました(図3)。COS7の観察においては2次元の顕微鏡を使用し、赤外光を1,450~1,640cm-1の波数(波長の逆数)帯域でおよそ3cm-1の間隔で波長を変化させながら照射することで、タンパク質のペプチド結合に特徴的な「アミドバンド」と呼ばれる分子振動スペクトルを計測することに成功しました。また、この分子振動画像に対して、細胞形態を示す定量位相画像を合わせることで、タンパク質由来の信号が核小体に集中して存在している様子を観察することにも成功しました。一方、HEK293の観察においては3次元の顕微鏡を使用し、アミドバンドのスペクトル形状の計測に成功しました。また、3次元の定量位相顕微鏡では屈折率の値を直接測る事ができる※5ので、細胞内の環境で水の熱光学係数※6を仮定することで、計測した「赤外吸収による屈折率変化」の値を、細胞内で生じている「温度変化」に換算することもできます。これにより、細胞内でおよそ0.1K程度の温度上昇が生じていると推定できており、温度上昇による細胞へのダメージは低いと予想することができます。また、より強い赤外光を照射することでより大きな屈折率変化を生じさせることも可能であり、これによって計測の高速化の可能性も見込むことができます(例えば、10倍の赤外強度で1K程度の温度上昇をおこし、100倍の高速化が可能)。

将来は、さらに広い波数帯域の赤外光を照射することによって、他のさまざまな官能基に由来する分子振動(例えば、核酸のO-P=O伸縮振動や脂質に多く含まれるCH2の伸縮および偏角振動など)の測定や、広帯域スペクトル情報をもとにタンパク質の2次構造の解析などができるようになると期待されます。

社会的意義

本手法は、生きたままの状態で細胞を観察することが求められるさまざまな生命科学、医療における新たな細胞計測ツールとしての利用が期待されます。例えば、再生医療における幹細胞の光学的分類、創薬研究における細胞を用いた薬効特性評価などへの利用が想定されます。また、定量位相顕微鏡で得られる乾燥質量密度分布と赤外分光で得られる分子分布を相互相関的に解析することで、乾燥質量密度分布を各種生体分子(タンパク質、脂質、核酸など)ごとの寄与に分解できる可能性があり、細胞の状態を計測する上での新たな指標を提供することも期待されます。

発表雑誌

雑誌名:「Optica
論文タイトル:Label-free biochemical quantitative phase imaging with mid-infrared photothermal effect
著者:Miu Tamamitsu, Keiichiro Toda, Hiroyuki Shimada, Takaaki Honda, Kohki Okabe, Yu Nagashima, Ryoichi Horisaki and Takuro Ideguchi*
DOI番号:https://doi.org/10.1364/OPTICA.390186.

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「量子技術を適用した生命科学基盤の創出」研究領域研究課題名「超高感度ラベルフリーイメージング法の開発」(JPMJPR17G2)平成29年度採択(研究者:井手口拓郎)からの支援を受けて行われました。本研究は、東京大学大学院薬学系研究科の本多孝明大学院生、寳田雅治大学院生、岡部弘基助教、東京大学医学部附属病院神経内科の長島優助教、大阪大学大学院情報科学研究科情報数理学専攻の堀﨑遼一助教と共同で行われました。

用語解説

※1 蛍光標識
観察したい生体分子に対して、蛍光を発する外因性の分子を標識すること。

※2 位相変化
波としての光の波面が、物質を透過または反射することで変化すること。光の伝搬する向きに屈折率を積分したものと捉えることができる。

※3 乾燥質量密度
水以外の物質に由来する質量密度。

※4 開口合成
同じ対象を複数の異なる光学的条件で撮影し、それらの結果をコンピュータ上で合成することで、単一撮影を超えた分解能を実現する超解像イメージング法。

※5 3次元の定量位相顕微鏡では屈折率の値を直接測る事ができる
位相変化※2を深さ方向に分解することで、屈折率の直接的な定量が可能。

※6 熱光学係数
1Kの温度変化で生じる屈折率の変化量。

参考図

図1 赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡の概念図。

図2 赤外フォトサーマル定量位相顕微鏡システムの概略図。
定量位相顕微鏡の観察部に置かれた細胞の全体に特定の波長の赤外光を照射する。赤外光に共鳴する振動を持つ生体分子種が存在する場合、分子振動が誘起され、緩和によるエネルギーが熱として周辺媒質に伝わる(フォトサーマル効果)。熱による屈折率変化を定量位相顕微鏡で画像検出する。

図3 赤外フォトサーマル定量位相画像。
(a)アフリカミドリザルの腎臓細胞(COS7)の定量位相画像。コントラストは細胞の乾燥質量密度分布を反映する。(b)(a)の画像の各点に対応する赤外フォトサーマル定量位相スペクトル。核小体がタンパク質のアミドI、IIバンドに特徴的なスペクトル構造を示している。(c)1,472cm-1のフォトサーマル定量位相画像。細胞質に存在する脂質の局在が見られる。(d)1,548cm-1のフォトサーマル定量位相画像。核小体などにタンパク質の局在が見られる。

参考URL

大阪大学 大学院情報科学研究科 情報フォトニクス講座 谷田研究室HP
http://www-lip.ist.osaka-u.ac.jp/index.html

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