工学系

2019年8月30日

研究成果のポイント

・北極冒険用のスマート衣服を、自然素材であるメリノウール生地を使って製作
・冒険家・荻田泰永さんのチームが北極冒険中にスマート衣服を使って,心拍数などの生体データを計測
・今後、安全な冒険や登山の実現のためにスマート衣服を活用

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科清野健教授らの研究グループとトーア紡は、極寒環境で着用可能なメリノウール生地※1のスマート衣服※2を製作し、北極冒険時の心拍数などの生体データの計測を実現しました。2019年4月7日から5月5日、冒険家・荻田泰永※3さんは、若者12名、カメラマン1名とともに『北極圏を目指す冒険ウォーク2019』を実施し、カナダ北極圏のパングニタングからクライドリバーに至る全行程600kmを踏破しました。その約一ヶ月間、冒険者たちはスマート衣服を一度も着替えることなく身につけ、過酷な冒険時の生体データを記録しました。今後、このスマート衣服は寒冷環境への体の適応を理解し、より安全な冒険や登山を実現するために活用されます。

図1 北極冒険時の写真。
左から、小倉秀史さん、荻田泰永さん、三浦善貴さん。(写真提供:荻田泰永遠征事務局)

研究の背景・内容

極寒の冒険では肌着一枚の性能が命を左右する状況がある

今年の1月末、荻田さんから、北極冒険の際の生体データを記録し、後に続く冒険家のために役に立てたいという依頼があり、筑波大学体育系麻見直美准教授、清野隼特任助教、広島大学大学院総合科学研究科緒形ひとみ准教授、本学の清野健教授らのグループが共同で生体データの計測と分析に協力することになりました。数か月にわたる北極冒険では、体力・体調・食事の管理が重要です。その支援のための科学的知見を得ることを目的として本プロジェクト※4がはじまりました。その中で、大阪大の清野教授、金子美樹助教らのチームは、スマート衣服と呼ばれる肌着を用い、冒険者の心拍数、活動強度、服内気象の計測および分析を担当しました。

大阪大チームは、当初、これまでもスマート衣服の研究開発と活用の経験があったことから、今回の計測には既に開発済のものを使用するだけで十分と考えていました。しかし、今回の件を、偶然、以前から共同研究を行ってきたトーア紡に相談したところ、極寒環境では肌着一枚の性能が人の命を左右する状況があるということを指摘されました。極寒環境の活動では、肌着が汗を含むと、冷気により水分が凍り、体温を急速に奪うため、低体温症の引き金になるからです。このことは、気温が低下しやすい登山においても注意すべきです。

清野教授は、「トーア紡の助言がなければ、私は冒険者の命を危険にさらす肌着を提供していたかもしれない。我々が作るべきものは、命を守る服だと気づかされた。」と振り返ります。今回の冒険では、約1か月間、一度も肌着を着替えないため、生体データの計測機能だけでなく、服としての性能も慎重に検討する必要がありました。そこで、大阪大チームとトーア紡が共同で新たなスマート衣服を開発することになりました。肌着が満たすべき条件は、
(1)汗冷えを防ぎ、極寒環境で暖かい、
(2)長期間の着用に耐えられ、防臭効果がある、
(3)心拍計測のために、肌への不快感がないドライ電極を内側に配置、
ということです。辿り着いた答えが、生地として、自然素材のメリノウールを選択し、心拍計測用電極として、東洋紡製のCOCOMI®※5を使うということでした。企画から完成まで、約1か月半の短い期間しかありませんでしたが、電極部の取付については東洋紡に協力いただき、荻田さんらがカナダへ向けて出発する3日前に生体データ計測用の肌着を完成させることができました。生体データの計測センサは、ユニオンツールのmyBeat(WHS-1)を使用しました。ユニオンツールからは、センサ部の防水性を向上させ、躯体を守るシリコンジャケットを提供していただきました。

冒険中の生体データの記録に成功

荻田さんと一緒に冒険に参加した10名の若者が生体データ計測用の肌着を冒険中一度も着替えることなく身につけてくれました。肌着の性能としては、暖かく快適、臭いも気にならなかったという意見を多くいただきました。さらに、心拍計測において、しばしば問題となる肌のかぶれも一切発生しませんでした。

極寒環境では、電子機器が正常に動かないことがあり、他大学が準備した活動量計などの計測機器は、ほとんどが動かず、計測を実現できませんでした。そんな中、スマート衣服の心拍計は、準備した23台中17台が正常に動き、北極冒険中の貴重な生体データを計測することができました。科学的成果として、冒険者の心拍数が次第に変化し、5日程度で心拍数の過度な上昇が抑えられるなど、極寒環境への体の適応についての知見を得ることができました。

今後の展開について

今回製作したスマート衣服をさらに改良し、寒冷環境での生体応答の研究や、冒険者、登山者の安全性向上に活用していきたいと考えています。繊維技術だけでなく、生体センサやIoT技術を活用することで、着用者の安全と命を守る服の開発を目指します。日本生産性本部発行の「レジャー白書」(2018)によると、登山人口は650万人程度と推計されています。その中で多いのは、50代以上の中高年登山者です。中高年になると年をとるにつれて体温調節の能力が低下するため、高齢者ではひどい寒さでなくても低体温症になることがあります。低体温症は、夏の熱中症と比べてあまり注目されていませんが、国内では、低体温症による死亡者数が熱中症を上まわっていますので対策が必要です。そのような低体温症の予防など、登山者の安全の見守りに、スマート衣服を活用できると考えています。

これまで、ウールのような自然素材を活用したスマート衣服は開発されていません。自然素材の使用には機能的な利点があるだけでなく、マイクロプラスチックを低減するなど、持続可能社会の実現(SDGs※6)への貢献も期待できます。そのような視点からも、自然素材の活用を検討していきます。

用語などの説明

※1 メリノウール
メリノ種のヒツジだけから取れるウールの最高級品。メリノ種の羊毛は非常に細く柔らかいのが特徴。ウール製品は、保温性、速乾性、天然の防臭効果があることから、登山用の衣料として愛好されてきた。

※2 スマート衣服
センサを搭載して運動中や睡眠中に心拍数、身体活動量、姿勢などを計測できる衣服。

※3 荻田泰永
おぎた やすなが。1977年9月1日生まれ。冒険家。2000年よりカナダ北極圏やグリーンランドで徒歩を中心とした冒険を行ない、これまで北極と南極、10000km以上を踏破。日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功により、第22回植村直己冒険賞を受賞。

※4 補足事項
本プロジェクトについては、筑波大学体育系研究倫理委員会の承認を受けて実施した(課題番号:第体30-140号)。

※5 COCOMI®
東洋紡が開発したフィルム状導電素材。

※6 SDGs
Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」における国際目標。

参考URL

大阪大学 大学院基礎工学研究科 清野研究室
http://kiyono-lab.bpe.es.osaka-u.ac.jp

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