「全光」で量子中継の原理検証実験に成功

「全光」で量子中継の原理検証実験に成功

究極の情報処理ネットワーク「量子インターネット」実現への第一歩

2019-1-28自然科学系

研究成果のポイント

・量子中継によって可能となる量子インターネット は物理法則で許される究極の情報処理ネットワーク
全光量子中継 方式を採用することで、史上初めて、量子中継の原理検証実験に成功
・光デバイスだけで構成され、低消費電力、高速地球規模の「全光」量子ネットワーク実現の大きな第一歩

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の山本俊教授、生田力三助教の研究グループおよび日本電信電話株式会社(NTT)の東浩司主任研究員(特別研究員)の研究グループは、大阪大学の井元信之名誉教授、富山大学の玉木潔教授、トロント大学のホイ・クウォンロウ教授らと協力して、地球規模の量子ネットワークを光デバイスだけで実現する全光量子中継 方式を採用することで、量子中継の原理検証実験 (図1) に世界で初めて成功しました。

現在のインターネットを支えるのは、世界規模で敷設されている光ファイバネットワークですが、長距離通信を影で支えているのが中継器です。このような通信デバイス全てを光デバイスだけで実現しようとする試みは全光ネットワーク構想と呼ばれ、低消費電力で高速インターネットを実現するのに有望とされています。このような全光ネットワークの量子版「全光量子ネットワーク」は、現在の中継器を、全光量子中継器に切り替えることで実現可能で、その結果実現される「量子インターネット」 は、現在のインターネットの粋を超える、全く新しい数多くの応用を持ちます。この全光量子中継は、従来の物質量子メモリ に基づく量子中継とは一線を画す方式として2015年に理論提唱されましたが、その方式は、量子力学特有の性質である「量子もつれ」 によって初めて可能となる「時間反転」という、全く新しい原理に基づいていたため、この原理を実証することが、全光量子中継実現の要であり、量子インターネット実現の最初の大きな一歩とされていました。

今回、山本教授らの研究グループは、NTT、富山大学、トロント大学の理論研究グループと協力し、この全光量子中継の中核のアイデア「時間反転」の実証に成功しました。これにより、全光量子中継の原理は検証されたことになります。

今回の成果により、全光量子中継実現に残された課題は、損失のない集積光学回路と量子もつれ光源の研究開発だけとなり、これらの光デバイス開発に基づく全光量子中継の実現、あるいはそれに基づく地球規模の全光量子インターネット実現に重要な道筋を示しました。それと同時に、今回の実験は(全光方式だけでなく、物質量子メモリに基づく従来方式も含めた)全ての量子中継方式に共通して必要となる「適応ベル測定」 の原理検証実験としても史上初で、全光方式が従来方式に比べ、実現性という観点で一歩リードしたことを示しています。

本研究成果は、英国科学誌「Nature Communications」に、2019年1月28日(月)19時〔日本時間〕に掲載されました。

図1 全光量子中継の実験装置

研究の背景

現代物理学において、素粒子や原子などのミクロな粒子の振舞いまでをも含め、自然現象を最も精巧に記述するのが量子力学です。そのような量子力学の枠組みの中で予言される究極のコンピュータが量子コンピュータであり、究極の通信が量子通信で、これらは総称して量子情報処理と呼ばれます。現在のインターネットが地球上のあらゆるクライアントの情報端末を結びつけるように、量子インターネットは、地球上の任意のクライアントの「量子」情報端末を結ぶ役割を担い、量子力学の下で許される究極の情報処理ネットワークとされます。事実、このような量子インターネットは、現在のインターネットの粋を超えた様々な応用を持ちます。例えばそれは、ネットワーク上の任意のユーザーに、ネットワーク上で生じ得る任意の(万能量子コンピュータに基づくような)盗聴行為に対しても安全な「量子」暗号通信を提供します。この極めて高い安全性を持つ暗号通信は、国民投票や首脳会談、金融取引、遺伝情報や生体情報のやり取りを可能にします。また、量子インターネットは、量子テレポーテーションによって、未知の量子系の情報を遠く離れた人に光速で、忠実に転送することも可能にします。これは、分散型量子計算、クラウド量子計算、あるいは量子コンピュータネットワーク構築の基礎です。また量子インターネットは、現存する最も高い精度の時計である原子時計を正確に同期することにも利用でき、安定で正確で安全な一つの世界時計の世界規模での共有を可能にし、高精度のナビゲーションシステムへの応用も期待できます。他にも、望遠鏡アレイの長基線化を可能にするため、天文学の発展にも貢献します。このような多岐に亘る応用を持つ量子インターネットの構築は世界的競争化にある研究で、欧州ではこの研究に特化したプロジェクトに50億円規模の研究費が充てられ、中国は量子通信専用の衛星までをも打ち上げ、米国は「アメリカファースト」を掲げ、量子インターネットを含む量子情報技術全般に対し、1200億円規模の予算を準備しています。

このような量子インターネットを、世界規模の既設光ファイバネットワークを用いて実現するには、ファイバ中の光損失に抗して通信をするために配されている現在の中継器を、「量子」中継器に切り替える必要があります。これまで、この量子中継器の実現には、(未だ原理検証段階にある)物質量子メモリが不可欠とされてきましたが、2015年に、物質量子メモリを必要とせず、光デバイスだけで所望の量子中継器の実現を可能とする「全光量子中継」方式が理論提唱されました。この方式には、物質量子メモリに基づく量子中継にはない様々な利点があります。例えば、通信レートが通信距離に依存せず、高速な量子インターネットが実現できること、物質と光のインターフェースが不要であること、要素技術である光デバイス全てが原理検証済みなこと、原理的には常温動作すること、同種の全光量子コンピュータ より実現が容易なことなどが挙げられます。しかしながら、この方式は、量子力学特有の性質である「量子もつれ」によって初めて可能となる「時間反転」という、全く新しい原理に基づいていたため、この原理を実証することが、全光量子中継実現の要であり、最初の大きな一歩とされていました。

今回の研究

今回、山本教授らの研究グループは、NTT、富山大学、トロント大学の理論研究グループと協力し、この全光量子中継の中核のアイデア「時間反転」の実証に世界で初めて成功しました。これにより、全光量子中継の理論は実証されたことになります。

一般的に量子中継器の主な役割は、「適応ベル測定」と呼ばれる特殊な測定を実施することです。従来の量子中継は、この測定を物質量子メモリを利用することで実装しますが、全光量子中継はその測定を、グラフ状態 という特殊な量子もつれによって可能な「時間反転」を利用することで実装します (図2) 。このような全光量子中継器は送受信者の中間に置かれ、送受信者と光ファイバで結ばれます。もし送受信者が、例えば全光量子中継器一つを使って、量子通信のリソースである量子もつれを共有することで量子通信を実行するのであれば、送受信者は自分の場所で、量子もつれ状態にある光子を含む光パルスを複数用意し、それらを光ファイバを通じて全光量子中継器に送ります。それらの光パルスを受け取った中継器は、グラフ状態にある光子を準備し、それを、受け取った光パルスと干渉させ、光子検出器で測定することで「時間反転型」適応ベル測定を実装します。この測定は、光ファイバの伝送損失によって失われてしまった光子の影響を一切受けずに、伝送損失に打ち勝った光子に対してのみにベル測定を施すものです (図3) 。従って、もしこの測定が実現できていれば、送信者が送った光パルスのうち、光ファイバの伝送損失に打ち勝った光子を含む光パルスの量子情報だけが、損失により光子を失った他の光パルスの影響を受けずに、忠実に受信者に転送されるはずです。山本教授らの研究グループは、実験室で3光子のグラフ状態を同時発生し、この損失耐性付量子テレポーテーションを実現したことで、史上初めて、量子中継器の主要役割である適応ベル測定の原理検証を成功させるとともに、全光量子中継の「時間反転」の原理の確認に成功しました。

図2 全光量子中継の概念図

図3 今回の実験概要
生存した光子の量子状態が3光子グラフ状態の残りの光子に量子テレポーテーションされる。これにより損失耐性付量子テレポーテーションが実現する。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

今回の実験により、これまでは理論提案に過ぎなかった量子中継の適応ベル測定が、全光方式を採用することで実現されただけでなく、全光量子中継の「時間反転」の原理すらも実証されました。これにより、全光量子中継に基づく、低消費電力、高速、セキュアな、地球規模の全光量子ネットワークの実現は、机上の空論ではなく、量子インターネット実現への確固たる道のりであることが証明されました。具体的には、全光量子中継の「時間反転」を支える量子もつれ光子の効率的生成ができれば、量子中継器の設置数を増やしていくことで、地球規模の量子ネットワークが構築できます。これは、全光量子ネットワーク構築の課題が量子もつれ光子の効率的生成だけであり、低損失の集積光学回路や効率的光子源などの光デバイスの今後の研究開発が重要であることを示しています。従来方式が依然として物質量子メモリの原理検証段階に留まり、適応ベル測定の原理検証にまで及んでいないことを鑑みれば、今回の実験により、全光量子中継方式が従来方式に比べ、実現性という観点で一歩リードしたことを示しています。この点においても、今回の結果は、量子中継、ひいては量子インターネット実現に向けた今後のアプローチを大きく左右する強いメッセージを含んでいます。

今後の展開

当研究グループは、このような量子インターネット実現の鍵となる光学デバイスの研究を今後も進める予定です。このような研究を通して、安全安心な通信ネットワークの構築、これまでのインターネットの粋を越える革新的かつ究極的な量子インターネットの実現に貢献します。

特記事項

本研究成果は、2019年1月28日(月)19時〔日本時間〕に英国科学誌「Nature Communications」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Experimental time-reversed adaptive Bell measurement towards all-photonic quantum repeaters”
著者名:Yasushi Hasegawa, Rikizo Ikuta, Nobuyuki Matsuda, Kiyoshi Tamaki, Hoi-Kwong Lo, Takashi Yamamoto ,Koji Azuma and Nobuyuki Imoto
DOI:10.1038/s41467-018-08099-5

なお、本研究は、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出」研究領域における研究課題「グローバル量子ネットワーク」(研究代表者:井元信之)の一環として行われました。また、本研究は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(A)、新学術領域研究、大阪大学大学院基礎工学研究科附属未来研究推進センターの支援により行われました。

参考URL

大阪大学 大学院基礎工学研究科 物質創成専攻 量子情報・量子光学 山本研究室
http://qi.mp.es.osaka-u.ac.jp/main/news/

用語説明

量子インターネット

量子情報の分野では、「量子インターネット」は、量子力学的な「重ね合わせ状態」で表現される「量子」情報を、世界中の端末間でやり取りすることを可能にする、地球規模の量子通信ネットワークを指しています。

全光量子中継

(http://www.ntt.co.jp/news2015/1504/150415a.html)/光デバイスと物質量子メモリの組み合わせに基づく従来の量子中継方式と一線を画し、線形光学素子、単一光子源、光子検出器、アクティブフィードフォワード技術らの光デバイスのみで量子中継を実装する方式。従来方式であれ、全光方式であれ、量子中継は光ファイバに基づく長距離量子通信に不可欠。

物質量子メモリ

量子メモリとは、量子力学的「重ね合わせ状態」を一定時間「保持」する機能を指します。例えば、現在のコンピュータで用いられているメモリは、0あるいは1のいずれの状態も保存・記憶可能ですが、量子メモリは0と1だけでなく、それら2つの量子力学的「重ね合わせ状態」までも含めて保存できるものです。物質量子メモリとは、量子メモリを物質系によって実現したものを指します。例えば、原子集団、単一原子、イオントラップ、量子ドット、超伝導量子ビット、ダイヤモンド中の単一窒素-空孔複合体中心(NV中心)など。

量子もつれ

複数粒子の状態が、部分系の記述をどんなに巧みに持ち寄っても決して表現できない、量子力学特有の現象。量子通信、量子計算のリソース。光子や原子などを用いて、その存在は既に実験で確認されています。

適応ベル測定

ベル測定とは2粒子に対する測定で、被測定系の2粒子が、取りうる複数の最大量子もつれ状態のうち、どの最大量子もつれ状態にあったかを問う測定。量子中継器は、被測定系2粒子の状態各々が、他の中継地点と量子もつれ状態にあることを確認した上で、このベル測定を施す必要がある。この被測定系の状態に応じて適応的に施すベル測定を適応ベル測定と呼ぶ。

全光量子コンピュータ

線形光学素子、単一光子源、光子検出器、アクティブフィードフォワード技術らの光デバイスのみで量子コンピュータを実装する方式。考案者のE. Knill, R. Laflamme, G. J. Milburnの頭文字をとってKLM方式と呼ばれることもあります。

グラフ状態

頂点と辺で構成される(無向)グラフで表現される特殊な多体量子もつれ状態。このグラフにおける頂点は粒子に対応し、頂点を結ぶ辺は、頂点で指定される粒子間に量子もつれが存在することを示します。