2019年1月9日

概要

京都大学大学院工学研究科分子工学専攻馬峻博士(日本学術振興会特別研究員)、櫻井庸明同助教、関修平同教授らのグループは、米国オークランド大学化学科Anil Kumar博士、Michael D.Sevilla同教授、Amitava Adhikary同准教授、大阪大学産業科学研究所室屋裕佐准教授、東京大学大学院工学系研究科山下真一准教授、フランスCNRS Sergey A. Denisov研究員、Mehran Mostafavi同教授らと共同で、放射線によるDNA損傷の過程のうち、およそ10億分の1秒以下のごく短時間で引き起こされる超高速反応の直接観測に世界で初めて成功しました。この結果、放射線によって飛び出した電子が、十分に冷える前の“熱い”状態で、DNA・RNAを構成するリボチミジン(tRNAなどに修飾塩基として含まれる)にくっつくこと、およびこの結果生じたイオン(ラジカルイオン)は、この「熱さ」によって励起(れいき)された状態となり、直接結合を切断する作用があることを明らかにしました。本研究は、放射線によるがん細胞中のDNA破壊を効果的に行い、正常な細胞内の放射線によるDNA損傷を防ぐ・修復するための新しい化学反応制御法の開発に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2019年1月9日に国際学術誌「Nature Communications」にオンライン公開されました。

図1 放射線によって弾き飛ばされた電子が、十分に減速する前にリボチミジンにくっついて結合を切断する様子

研究の背景

放射線を用いたがん治療は、世界各国で身体への負担の小さいがん治療法としてすでに広く行われ、外科的治療・化学療法とならんで、がん治療における有力な選択肢となっています。放射線が人体に照射された際、最初に起こるのは放射線が人体を構成する最も大きな成分である水分子から電子を弾き飛ばす「イオン化」と呼ばれる過程です。がん細胞を死滅させるためには、この放射線によって人体内に引き起こされる化学反応を利用して、効果的にがん細胞のDNAを破壊しなければなりません。さまざまな分析手法を用いて、この放射線によってDNAが破壊されるプロセスが調べられてきましたが、その過程を直接観察する手法はきわめて限られていました。

研究手法・成果

水分子がイオン化された際、弾き飛ばされた電子は周囲の分子とぶつかりながら速度を落とします。電子はマイナスの電荷を帯びていますから、十分に速度が遅くなると、周囲の高い極性を持つ水分子の向きをかえさせて、自らがなるべく安定になるような状態へと変化します。これを水和電子と呼びますが、通常この水和現象は、分子の振動と大きく変わらない1ピコ秒(1兆分の1秒)というごく短い時間内に終了してしまいます。したがって、水の中で減速していく途中の電子がどのような化学反応を引き起こすのか、またそれがどのようにDNAの鎖を切断する反応につながるのか、直接観測された例はほとんどありませんでした。このような短い時間での水和現象を観測する手法としては、非常に短い時間内に光子が詰め込まれたレーザーパルスを用いて同様なイオン化を引き起こし、これを観測する例が挙げられますが、がん治療に用いられる放射線に比べ、イオン化ではじき出される電子のエネルギーが低いため、これが引き続き引き起こす化学反応が、実際の放射線を照射した場合とは異なるという問題点がありました。

この研究では、分子の向きが変わる時間が水に比べて少し遅いジエチレングリコール(脱水結合した構造を持つ。不凍液などに使われる。)を用いて、このはじき出された電子が落ち着く「前」にどんな反応を引き起こすか直接観測することにしました。放射線がん治療にもよく用いられる、リニアックと呼ばれる電子線加速器も、電子源や加速に用いるマイクロ波を工夫することによって、ごく短い時間内に多数の電子を閉じ込めてしまう(電子線パルス)ことができます。ここでは、東京大学大学院工学系研究科原子力専攻LINAC施設(茨城県東海村)およびフランスパリ南大学ELYSE施設に設置されている、分光が可能な装置としては世界で最も短い電子線パルスを創りだす装置を用い、直接ジエチレングルコールをイオン化させました。

飛び出した電子の引き起こす反応を、分光分析技術を駆使して追跡したところ、これまで考えられていなかったDNAと電子との新しい反応経路があることが見出されました。DNAの構成要素のモデルとなる5-メチルウリジン(メチル化ヌクレオシド・チミジンを特に模したもの)を溶解させたジエチレングルコール溶液に放射線を当てると、飛び出した電子はジエチレングルコール分子に囲まれて落ち着くよりもずっと早い時間で、直接5-メチルウリジンに捕まえられ、5-メチルウリジンのラジカルアニオン(負電荷を帯びたラジカル・開殻分子)がつくりだされること、またこのラジカルアニオンは通常の状態よりも高いエネルギーを持った励起(れいき)状態であること、を見出しました。この5-メチルウリジンラジカルアニオンは約350ピコ秒(約3億分の1秒)で濃度によらず減衰することから、この状態を介して、5-メチルウリジンの構造中のグリコシド結合※1が直接破壊されることを確認しました。

波及効果、今後の予定

電子がDNA・RNAを構成する分子にくっつき、そのエネルギーを介して分子中のグリコシド結合を切断する現象の直接観測は、今後の放射線によるがん細胞中のDNA破壊を効果的に行い、正常な細胞内の放射線によるDNA損傷を防いだり修復したりするための新しい化学反応制御法の開発に役立つと期待しています。

研究プロジェクトについて

本研究は、科学研究費補助金・外国人特別研究員研究奨励費・米国NIH(国立衛生研究所)の支援を受けて行われました。

研究者のコメント

放射線によって引き起こされる化学反応は、ほかの反応を起こすための手法では決して実現できない新しい化学反応になる可能性があります。かつてレントゲンが初めて放射線を発見したときのインパクトは、すべての科学分野の研究者にとって大変な驚きをもって迎えられました。20世紀の近代物理学・化学の礎を築く上で最も重要な役割を果たした放射線が、その精密な制御によって再び、21世紀の生物学・がん治療の切り札になったらなと思っています。

用語解説

※1 グリコシド結合
糖分子と別の有機分子の間で、水分子を一つ失って(脱水)生成する化学結合のこと。厳密には水酸基(―OH)どうしから脱水して形成された結合を指すが、ここでは5-メチルウリジン中の糖の中のCと、チミンの中のNの間の結合を指す。

論文タイトルと著者

タイトル:Observation of dissociative quasi-free electron attachment to nucleoside via excited anion radicalin solution: excited anion radical formation and its dissociation(溶液中のヌクレオシドに対する擬自由電子の付着によるラジカルアニオン励起状態の直接観察:ラジカルアニオン励起状態を介した(ヌクレオシドの)分解過程)
著者:Jun Ma1*、Anil Kumar2, Yusa Muroya3, Shinichi Yamashita4, Tsuneaki Sakurai1, Sergey A. Denisov5,Michael D. Sevilla2, Amitava Adhikary2, Shu Seki1*, Mehran Mostafavi5*
1- Department of Molecular Engineering, Graduate School of Engineering, Kyoto University、Nishikyo-ku, Kyoto 615-8510, Japan
2- Department of Chemistry, 146 Library Drive, Oakland University, Rochester, Michigan48309, USA
3- Department of Beam Materials Science, Institute of Scientific and Industrial Research,Osaka University, 8-1 Mihogaoka, Ibaraki, Osaka 567-0047, Japan
4- Nuclear Professional School, School of Engineering, The University of Tokyo, 2-22Shirakata Shirane, Tokai-mura, Naka-gun, Ibaraki 319-1188, Japan
5- Laboratoire de Chimie Physique, UMR 8000 CNRS/Université Paris-Sud, Bât. 349, Orsay91405 Cedex, France
掲載誌:Nature Communications DOI:10.1038/s41467-018-08005-z

参考図

図2
放射線が弾き飛ばした電子は、水の中で分子とぶつかり合いながら減速していきます。水分子は大きな極性(電荷の偏り)を持っていますので、「+の電荷をもつ小さな原子核」の周りの電子とは全く反対に、「+の電荷をもつ水分子に囲まれた」電子、としてきちんとエネルギーが決まった“熱化前電子”(図の2pに相当)及び熱化電子(水和電子:図の1sに相当)の状態があることが知られています。これらの電子がDNA/RNAと反応する様子はこれまで詳細に調べられてきました。今回は、これら減速し、水分子に囲まれて安定化した電子(冷えた電子)になる前に、直接DNA/RNAの構成要素と反応してその励起状態をつくりだし、その結合を切断する様子を示しています。

参考URL

大阪大学 産業科学研究所 量子ビーム物質化学研究分野 古澤研究室
https://www.sanken.osaka-u.ac.jp/labs/bms/index.html

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