生命科学・医学系

2018年6月15日

研究成果のポイント

・計算機シミュレーション※1による予測と実験的検証に基づき、がんの元になる細胞(前がん細胞)が周辺の正常組織へ優先的に拡大し占拠する仕組みを発見した。
・これまでは1つの前がん細胞が周辺の組織へどう拡大するかは、不明なままだった。
・多細胞組織の正常な発生から病気の発症に至る様々な現象の計算機シミュレーションによる予測に期待。

概要

大阪大学大学院理学研究科坪井有寿特任研究員(常勤)、同藤本仰一准教授、京都大学大学院生命科学研究科井垣達吏教授及び東北大学大学院生命科学研究科倉永英里奈教授らの研究グループは、多細胞組織の中に前がん細胞が生じた時に、細胞同士の隣接関係を変化させることで前がん細胞が周辺の組織へと拡がり、組織という限られた領地を優先的に占拠することを世界で初めて発見しました。

ハチの巣などの構造に見られるように、腸や皮膚の表層にある上皮組織も基本的には六角形の細胞の集合体を形成し、各々の細胞が周囲の6個の細胞と接着した多細胞のネットワーク構造を維持しています(図1)。がん発生の超初期段階では正常な組織の接着ネットワークの中で前がん細胞と正常細胞の空間をめぐる領地争いが生じますが、前がん細胞が領地を優先的に奪う仕組みはわかっていませんでした。

今回、大阪大学大学院理学研究科の坪井有寿特任研究員(常勤)と藤本仰一准教授らの研究グループは、正常な多細胞組織の中に前がん細胞が混ざった状況を計算機シミュレーションにて分析しました。その結果、正常細胞の細胞死直後に前がん細胞だけが細胞分裂を介さずに面積を広げて空間を占有すること(図2)、この前がん細胞特異的な面積拡大は隣接する細胞同士の接着ネットワークの再配置により実現されることを見出しました(図3)。ショウジョウバエを用いた生体実験によりこれらの予測を検証したところ、正常細胞の排除と細胞の隣接関係の再配置を繰り返すことで、細胞数百個分の正常細胞の領地が数時間で前がん細胞に占拠されることが実証されました(図4)。本研究により、前がん細胞の領地が拡大してがん発生に至る超初期段階のメカニズムの解明に繋がることが期待されます。また、計算機シミュレーションによる予測と実験的検証がタッグを組む多細胞組織の研究方法は、ヒトを含む生体の正常な発生から病気の発症まで幅広い応用が期待されます。

本研究成果は、国際科学誌「Current Biology」(オンライン)に、6月15日(金)午前2時(日本時間)に公開されました。

図1 上皮組織は基本的に六角形の細胞(灰色)同士が接着したネットワーク(白)で構成される。

図2 計算機シミュレーションの予測。正常細胞(白)の細胞死に引き続き、隣接する前がん細胞(緑)が優先的に拡大し、細胞死で失われた領地(ピンク)を占有する。

研究の背景および成果

多細胞組織の中で細胞は互いに接着しあっています。ハチの巣などに見られるように、細胞も基本的には六角形で周囲の6個の細胞と接着していることが古くから知られてきました(図1)。多細胞組織はこの基本的な接着ネットワークを保つことで内臓や皮膚などの生体の働きが維持されています。一方で、組織の中に1つの前がん細胞が生じた時に、前がん細胞がこのネットワークの中を拡大していく過程はよくわかっていませんでした。

ガンのごく初期段階において「細胞競合」※2と呼ばれる現象の関与が示唆されており、世界的に注目されています。前がん細胞が周囲の正常細胞に細胞死をひき起こして組織から排除した後に、細胞死で失われた「領地」を前がん細胞が優先して奪う現象です。これまで、領地を奪う仕組みは前がん細胞が正常細胞より速く細胞分裂して増えることと考えられてきましたが、実際には検証されないままでした。

坪井有寿特任研究員(常勤)と藤本仰一准教授らの研究グループは、細胞同士の接着ネットワークに働く力に注目して多細胞組織の中で前がん細胞と正常細胞の領地争いを計算機でシミュレーションしました。当初の予想と異なり、前がん細胞は分裂を介さずに面積の拡大により細胞死で失われた空間を占有しました(図2)。さらに、前がん細胞の面積拡大に有利になるように六角形を基調とする接着ネットワークが再配置されることで、前がん細胞は周辺の正常組織を占有していきました(図3)。これらの予測を検証するために、遺伝子工学を駆使してショウジョウバエの上皮組織の一部へ前がん細胞を生じさせ、正常細胞との領地をめぐる競合を顕微鏡下で観察しました。顕微鏡画像からそれぞれの細胞の面積や接着ネットワークの経時変化を算出した結果、これらの予測を確かめることができました。

正常細胞の排除と隣接関係の再配置が繰り返し起こることで、細胞数百個に相当する組織が数時間で正常細胞から前がん細胞へ入れ替わりました(図4)

図3 細胞の接着ネットワークの再配置(図2の抜粋)。死ぬ細胞に接着する一部の細胞が離れて(○,△)、隣接する別の細胞同士が新たに接着する(●,▲)。

図4 接着ネットワーク(白)の再配置を繰り返して正常細胞(黒)が前がん細胞(緑)に入れ替わる過程。ショウジョウバエの多細胞組織。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により細胞の接着ネットワークの再配置が前がん細胞と正常細胞の領地争いの勝敗を決めることが実証され、前がん細胞が組織を占拠して発がんに至る超初期段階の理解が進むことが期待されます。また、計算機シミュレーションによる予測と実験的検証がタッグを組む多細胞組織の研究方法は、生体の正常な発生から病気の発症まで幅広い応用が期待されます。

特記事項

本研究成果は、2018年6月15日(金)午前2時(日本時間)に国際科学誌「Current Biology」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Competition for space is controlled by apoptosis-induced change of local epithelial topology”
著者名:Alice Tsuboi1, Shizue Ohsawa2, Daiki Umetsu3, Yukari Sando2, Erina Kuranaga3, Tatsushi Igaki2, Koichi Fujimoto1
1大阪大学大学院理学研究科、2京都大学大学院生命科学研究科、3東北大学大学院生命科学研究科

https://www.cell.com/current-biology/abstract/S0960-9822(18)30631-6

なお、本研究は、日本学術振興会 特別研究員制度および文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究「細胞競合」「進化の制約と方向性」の一環として行われ、京都大学大学院生命科学研究科 大澤志津江准教授と井垣達吏教授、東北大学大学院生命科学研究科 梅津大輝助教と倉永英里奈教授らの協力を得て行われました。

用語説明

※1 計算機シミュレーション
本研究で用いたシミュレーションは、多細胞組織の中の細胞とセッケンの泡の形(多角形)の類似性(アナロジー)に基づき定式化されています。細胞と泡を構成する分子は異なりますが、形を生み出す力(物理学の表面張力など)は共通します。生物学的知見(前がん細胞の細胞分裂の頻度が高いことや前がん細胞に隣接する正常細胞の細胞死など)をさらにシミュレーションに加えることで、新たな現象や仕組みを予測することができました。生命現象の様々な階層(生体分子の立体構造、細胞内で働く様々な遺伝子の制御関係、多細胞組織や個体の振る舞い、生態系における個体数の増減など)の計算機シミュレーションが実験的検証と連携できるようになりつつあります。

※2 細胞競合
正常細胞と変異細胞が組織の中で混在していると、どちらか一方の細胞が選択的に排除される現象。一方、変異細胞のみからなる組織では排除は生じません。関与する遺伝子の一部は、ほ乳類とショウジョウバエで共通する働きをすることがわかっています。本研究の現象とは逆に、正常細胞に隣接する前がん細胞だけが組織から排除される現象も知られています。
【参考】平成26年-平成30年文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究「細胞競合」http://cell-competition.com/

研究者のコメント

この研究は、坪井有寿特任研究員(常勤)が学部生の時に持った「正常細胞の中にがん細胞が少し混ざると何が起こるのだろう?」という素朴な疑問から始まりました。

計算機シミュレーションは生物学に加えて物理学の知見を結集した成果で、学問分野の垣根にとらわれない柔軟な研究姿勢が今回の成果につながったと言えます。

参考URL

大阪大学 大学院理学研究科 生物科学専攻 学際グループ
http://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/~fujimoto/

計算機シミュレーション。細胞死(マゼンタ)で失われる領地をめぐる前がん細胞(緑)、正常細胞(白)の争い。
https://www.cell.com/cms/attachment/2119340573/2092433109/mmc4.mp4

前がん細胞(緑)と正常細胞の領地争い(右)。将来に死ぬ細胞(青;左)。ショウジョウバエの組織。
https://www.cell.com/cms/attachment/2119340573/2092433110/mmc2.mp4

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