クロマチン構造調節タンパク質SATB1が造血幹細胞の多能性の維持に重要であることを解明
研究成果のポイント
・クロマチン構造調節タンパク質SATB1 の発現量が、造血幹細胞の自己複製能力と、リンパ球系血液細胞への分化能力の違いに関与することを発見した。
・遺伝子改変マウスを作製し、成体マウスの生体内における造血幹細胞からリンパ球系への分化の最初期に起こる現象を観察することができた。
・リンパ球の分化制御技術の発展、免疫力低下が関与する感染症や造血器疾患治療への応用が期待される。
概要
大阪大学大学院医学系研究科の横田貴史講師(血液・腫瘍内科学)、同医学部附属病院の土居由貴子医員(医師)(血液・腫瘍内科)、同大学院医学系研究科の金倉譲教授(血液・腫瘍内科学)らの研究グループは、クロマチン構造制御タンパク質SATB1の発現量が、造血幹細胞の自己複製能力の差異とリンパ球分化能力の差異の両方に関与することを明らかにしました。
これまで、横田講師らを含む複数の研究グループが、SATB1が造血幹細胞の機能にとって重要なタンパク質であることを示してきましたが、それらは血液以外にも影響するようなSATB1欠損マウスを用いた研究や、マウスの胎児の細胞を用いた研究であったため、成体マウスの体内で起きている生理的な現象を観察したものとは言えませんでした。また、造血幹細胞は、生涯にわたり造血を維持するために自己複製を繰り返す一方で、全ての種類の血液細胞に分化できる細胞と考えられていますが、リンパ球系血液細胞の性質を獲得する分化の最初の一歩がどのように始まるのかについては解明されていませんでした。
今回、横田講師らの研究グループは、血液細胞でのみSATB1を欠損した遺伝子改変マウスと、SATB1遺伝子の発現する生理的な条件下で赤色蛍光タンパク質が発現するようにしたレポーターマウスを作製しました。それらを調べることで、成体の造血幹細胞の正常な機能維持にSATB1が不可欠であることを確認しました。さらに、造血幹細胞にはSATB1の発現量の多いものと少ないものが混在しており、それらはいずれも自己複製するうちにSATB1発現量が変化すること、またSATB1発現量が多い造血幹細胞ほどリンパ球分化能力が高いことを解明しました。これにより、再生医療や遺伝子治療を通じ、免疫異常の関与する疾患の治療法の進歩が期待されます。
本研究成果は、米国科学誌「Cell Reports」に、6月13日(水)午前1時(日本時間)に公開されました。
図1 造血幹細胞の多様性を示す概念図
灰色の円はマウスの個体を、小さい円は個体内の造血幹細胞を表しており、色が赤くなるほど、SATB1の発現量が高いことを示している。造血幹細胞のSATB1発現量が低い方から高い方へ変化するにつれて、リンパ球産生能力や造血再構築能力は高くなっていく。一方で、造血幹細胞のマーカーであるCD150発現量はその逆となっていた。
研究の背景
造血幹細胞は、赤血球や好中球、リンパ球といった血液細胞に分化する能力と、自身を自己複製する能力を持つ細胞です (図2) 。これまで、横田講師らのグループは、SATB1タンパク質が造血幹細胞のリンパ球分化に重要な働きを担うことを明らかにしてきました(Satoh et al., Immunity, 2013)。しかし、これらの発見は遺伝子改変を加えた細胞やマウスの胎児から導かれた間接的な知見であり、大人の動物の体内で起きている生理的な現象は明らかになっていませんでした。また、リンパ球系血液細胞の性質を獲得する分化がどのように始まるのかについては解明されていませんでした。
図2 造血幹細胞の分化
造血幹細胞は、赤血球や好中球、リンパ球などの血液細胞に分化する能力と、自身の細胞を複製する自己複製能力を持っている。リンパ球系血液細胞の性質を獲得する分化がどのように始まるのかについては、明らかにされていなかった。
本研究の成果
研究グループは、遺伝子改変マウスを作製する方法によりクロマチン構造調節タンパク質SATB1が、成体マウス造血幹細胞の機能的ゆらぎに関与することを解明しました。
まず、血液細胞特異的にSATB1を欠損させたマウスで、造血幹細胞の数は減少していました。このマウスから採取した造血幹細胞を、放射線照射し造血幹細胞をなくしたマウスに移植した時、造血再構築能力が低くなりました。このことから、SATB1は造血幹細胞の正常な機能に不可欠であることがわかりました。
次に、SATB1遺伝子の発現する生理的な条件下で、赤色蛍光タンパク質Tomatoが発現するようにしたSATB1レポーターマウスの遺伝子発現解析を行うと、SATB1発現量の高い造血幹細胞はそうでないものと比較して、リンパ球分化に関係のある遺伝子の発現量が全体的に亢進していました。また、ある程度以上のSATB1発現量のある造血幹細胞の方が造血の再構築能力は高く、リンパ球への分化能力も高いことがわかりました。
さらに、SATB1発現量の異なる造血幹細胞を、1個ずつ別々の放射線照射マウスに移植して比較すると、各々が多様なSATB1発現量を示す造血幹細胞集団を再構築しました( 図1 :灰色円で示すマウス個体に、様々なSATB1発現量を持つ造血幹細胞(赤色)があるのがわかる)。これは、造血幹細胞が自己複製を行う過程において、特定の遺伝子の発現量を変化させることができることを示しており、それに伴って造血再構築能力やリンパ球分化能力に違いが出るということを示しています。近年、数学・力学的分野から「幹細胞がその性質を維持するためには、複数の遺伝子が常に変動していることが必要条件である」という「ゆらぎ」の概念が提唱されておりますが、横田講師らの研究により、そのことを実際の生命現象を通して見ることに成功したと考えられます。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、造血幹細胞がリンパ球へ分化する仕組みの理解が深まることが期待されます。再生医療や遺伝子治療への応用を通じ、免疫異常が原因で起こる病気の治療法の基盤研究となると考えられます。
特記事項
本研究成果は、2018年6月13日(水)午前1時(日本時間)に米国科学誌「Cell Reports」(オンライン)に掲載されました。
【タイトル】“Variable SATB1 levels regulate hematopoietic stem cell heterogeneity with distinct lineage fate”
【著者名】 Yukiko Doi 1 , Takafumi Yokota 1* , Yusuke Satoh 1,2 , Daisuke Okuzaki 3 , Masahiro Tokunaga 1 , Tomohiko Ishibashi 1,4 , Takao Sudo 1,5 , Tomoaki Ueda 1 , Yasuhiro Shingai 1 , Michiko Ichii 1 , Akira Tanimura 1 , Sachiko Ezoe 1 , Hirohiko Shibayama 1 , Terumi Kohwi-Shigematsu 6 , Junji Takeda 7 , Kenji Oritani 1 , Yuzuru Kanakura 1 (*責任著者)
【所属】
1 大阪大学大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科学
2 神戸松蔭女子学院大学 人間科学部 生活学科
3 大阪大学微生物病研究所 感染症DNAチップ開発センター
4 国立循環器病研究センター血管生理学部
5 大阪大学大学院医学系研究科 免疫細胞生物学
6 アメリカカリフォルニア大学 サンフランシスコ校 Department of Orofacial Sciences
7 大阪大学大学院医学系研究科 環境・生体機能学
なお、本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究の一環として行われました。
参考URL
大阪大学 大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科学
http://www.hematology.pro/
用語説明
- クロマチン構造調節タンパク質SATB1
(Special AT-rich sequence binding protein 1):
免疫グロブリン遺伝子の、遺伝子発現を調節するエンハンサー領域に結合することを指標に同定された分子で、遠く離れたDNA領域同士を近接させ、さらに転写因子とも相互作用するエピジェネティクス(DNA塩基配列の変化を伴わない遺伝子発現の変化)関連分子。胸腺におけるTリンパ球分化に重要な働きをする。