強磁場により軌道量子揺らぎの時間スケールを初観測!

強磁場により軌道量子揺らぎの時間スケールを初観測!

量子コンピュータなどの基盤形成に必要な物質開発へ道

2015-12-28

本研究成果のポイント

・前例のない広い周波数と磁場範囲を有する強磁場磁気共鳴装置で、電子の軌道状態のダイナミクスを解明
・軌道液体を特徴づける軌道揺らぎの時間スケールが100ピコ秒(1兆分の1秒)程度であることを初めて解明
・ 新たな物質のデザインが可能となり、量子コンピュータなどの基盤形成に必要な物質開発につながると期待

概要

大阪大学大学院理学研究科附属先端強磁場科学研究センターの萩原政幸教授と同研究科物理学専攻中野岳仁助教、野末泰夫教授らのグループは、東京大学物性研究所中辻知准教授らのグループ、華中科技大学 韓一波(Yibo Han)准教授との共同研究により、銅酸化物において、低温まで電子軌道が凍結せず、量子揺らぎにより揺動した状態を観測し、強磁場下で多周波数にわたる磁気共鳴実験により、その揺らぎの時間スケールを初めて明らかにしました。

物質を構成する電子の持つ多自由度(スピン・軌道・電荷) のうち、スピン自由度 が最低温まで凍結しない『量子スピン液体 』状態の実現は、多数の原子やイオンからなる凝集体(結晶やガラス等)を扱う凝縮系物理学における到達点の一つとされます。金属酸化物の代表的な結晶構造であるペロブスカイト型構造 を有する銅酸化物においては、スピン自由度に加えて軌道自由度 も最低温まで凍結しない『量子スピン軌道液体』 (図1) 実現の可能性が指摘され、良質な試料を使った本グループを含む共同研究から、これまで軌道凍結のサインであるヤーン・テラー歪 が最低温まで生じないことが明らかにされていました。しかしながら、軌道状態のダイナミクスの観測等、量子スピン軌道液体の直接的な証拠はありませんでした。

今後、本研究成果に基づいて、『量子スピン軌道液体』状態を実現する新たな物質のデザインが可能となり、量子コンピュータなど量子情報制御の基盤形成に必要な物質開発にも影響を与えると期待されます。

本研究成果は、2015年 11月16日 (米国東部時間)に、米国物理学会誌「Physical Review B (Rapid Communications) 」のオンライン版で公開されました。

図1 軌道液体状態の模式図。
青い楕円体が銅の軌道で、赤い楕円体が酸素の軌道を表し、伸び縮みして動いているためにその平均構造を示している。

研究の背景

1973年にアメリカの物理学者P.W. Andersonによって電子の持つスピン自由度が最低温まで秩序化しない『量子スピン液体』の概念が提案されて以降、実際の物質例を求めた開発研究が日夜行われています。本共同研究グループでは、スピンに加えて軌道にも自由度があるペロブスカイト型銅酸化物6 H -Ba 3 CuSb 2 O 9 において、スピンと軌道が絡み合った新しい量子液体状態『量子スピン軌道液体』状態が実現している可能性を見出し、純良な大型単結晶を用いて低温でも軌道状態の凍結を示すヤーン・テラー歪を生じないことを発見しました。しかし、この『量子スピン軌道液体』の直接的証拠となる軌道揺らぎの時間スケールはわからず、そのダイナミクスは不明のままでした。

今回の研究では、ペロブスカイト型銅酸化物6 H -Ba 3 CuSb 2 O 9 の良質な大型結晶を用いて、大阪大学にある強磁場施設の広い周波数範囲を有する電子スピン共鳴(ESR) 測定装置を用いた研究によって、低い周波数での観測では軌道が最低温まで凍結せず、高い周波数では軌道が凍結したように観測されました。この結果から軌道量子揺らぎの時間スケールが20ケルビン以下で100ピコ秒(1兆分の1秒)程度であることを明らかにしました (図2) 。この成果は、超伝導やヘリウムの超流動と比類する『量子スピン軌道液体』という新しい量子液体状態のダイナミクスを明らかにしたもので、強磁場を用いて初めて可能となった研究成果であります。

図2 観測した周波数ν EM と軌道の揺らぎの周波数ν JT の温度(Temperature)変化のグラフ。
丸印が各温度での揺らぎの周波数を表し、20K以下で一定値(約10GHz, 100ピコ秒)になる。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

純良単結晶を利用した物性研究により、スピン自由度と絡み合った軌道のダイナミクスが明らかになり、新しい量子液体状態の揺らぎの時間スケールがわかりました。今後、この成果に基づいて、『量子スピン軌道液体』状態を実現する新たな物質のデザインが可能となり、量子コンピュータなど量子情報制御の基盤形成に必要な物質開発にも影響を与えると期待されます。

特記事項

本研究成果は、米国物理学会誌 「Physical Review B (Rapid Communications)」に掲載されました。
(オンライン版は11月16日に公表されました。)

論文名:
“Observation of the orbital quantum dynamics in the spin-1/2 hexagonal antiferromagnet Ba 3 CuSb 2 O 9

参考URL

大阪大学大学院理学研究科附属先端強磁場科学研究センターHP
http://www.ahmf.sci.osaka-u.ac.jp/

用語説明

スピン自由度

スピン自由度、軌道自由度:

電子は電荷と共に小さな磁石の性質を持ち、それをスピン自由度(スピンあるいはスピン角運動量)と呼称する。また、電荷を持った電子が原子核の周りを回ることにより、やはり小さな磁石の性質をもつ。それを軌道自由度(軌道角運動量)と呼称する。一般に、低温では物質中のスピンも軌道自由度も秩序化し配列する。

量子スピン液体

磁性を担うイオンに束縛された各電子のスピンの向きが、時間的にも空間的にも一定の方向に留まらず、揺らいでいる状態がスピン液体と呼ばれている。特に量子揺らぎのためにスピンが固体にならず、絶対零度まで液体である場合、量子スピン液体と呼ばれる。

ペロブスカイト型構造

一般式ABO 3 で表される元素組成を持つ、金属酸化物の代表的な結晶構造。本研究で扱った6 H -Ba 3 CuSb 2 O 9 は上記組成式にならってBa(Cu 1/3 Sb 2/3 )O 3 と書き改めることが出来る。6 H -Ba 3 CuSb 2 O 9 はCuO 6 八面体とSbO 6 八面体が面共有で連結されたCuSbO 9 ユニットと、孤立したSbO 6 八面体が頂点共有でネットワーク構造を形成した六方晶複合ペロブスカイトに分類される。

ヤーン・テラー歪

固体中の陽イオンが電子エネルギーを下げるために、周囲の陰イオンの配置の対称性を自発的に破り低対称化する現象のこと。本研究で扱った銅(II)イオンはヤーン・テラー歪みを引き起こす性質を持つヤーン・テラーイオンの典型例として知られている。

電子スピン共鳴(ESR)

物質を構成する電子が持つ小さな磁石(スピン)は磁場中で独楽の首振り運動のような歳差運動を行う。この歳差運動の周期に当たる電磁波(通常はマイクロ波領域)が入射すると電磁波の吸収が起こる。これは電子スピン共鳴と言い、観測されるシグナルは磁性を持つイオンのまわりの状況(歪んでいるかとか、どちらにスピンを向けやすいか)を反映する。電子スピン共鳴は原子核スピン共鳴(NMR)(世間ではMRIで知られる医療装置で使われている)の兄弟版である。市販の装置で最も用いられている周波数帯はX-バンド (9GHz)で、最高周波数帯はW-バンド(90GHz)である。大阪大学では9GHzから約2000GHzまでの広い周波数帯での測定が可能であり、高い周波数に応じて高い(強い)磁場が必要であるので、パルス磁場を用いて約60テスラまでの測定が可能である。