2014年5月13日

リリース概要

大阪大学基礎工学研究科システム創成専攻電子光科学領域の北川勝浩教授の研究グループは、試料を室温に保ったままNMR(核磁気共鳴)※1 信号を1万倍以上大きくすることに世界で初めて成功しました。これは、化学分析に用いられるNMR分光や医療に用いられるMRI(核磁気共鳴画像)※2 の飛躍的な高感度化に道を拓くものです。

本研究成果は、レーザー光とマイクロ波を照射することによって温度に関係なく核スピン(原子核の持つ微小な磁石)の向きを揃える「光励起三重項状態の電子スピンを用いた動的核偏極法(略称:トリプレットDNP法)」によるものです。NMR分光やMRIの感度は核スピンの向きが揃った割合を示す偏極率※3 に比例します。偏極率は室温では通常数万分の1以下という非常に低い値ですが、今回この偏極率を室温で34%まで高めることに世界で初めて成功しました。偏極率34%の核スピンは、通常のNMR分光やMRIに比べて1万倍以上強い信号を出します。本方法は、従来の高偏極化法では必要であった極低温に頼らず、室温でNMR分光やMRIの飛躍的な高感度化を可能にすると期待されます(図1)。そのため、これまで不可能であった低温で劣化する材料や生体物質の極微量分析など材料科学や生物化学への貢献が期待されます。また、高偏極化された物質を溶かして体内に注射し、その代謝をMRIでイメージングしてがんなどの腫瘍位置を特定するといった医療への応用の可能性もあります。本研究で得られた室温下で大量の核スピンが高偏極化された物質は、加速された原子核や素粒子を用いた散乱実験の標的物質や磁気相転移の量子シミュレータ※4 として用いることもできます。このように本研究成果は、基礎物理学、化学、材料科学、生命科学、医学などのさまざまな分野への貢献が期待されます。

本成果は、平成26年5月12日(米国時間)に米国科学アカデミー紀要(PNAS: Proceedings of the National Academy of Sciences of U.S.A.)オンライン版で公開される予定です。

研究の背景

核スピン(原子核の持つ微小な磁石)から発せられる電磁波信号を解析することで、試料内部の原子レベルの構造情報を知ることができます。これは、化学分析の分野ではNMR(核磁気共鳴)分光として、医療の分野ではMRI(核磁気共鳴画像)として広く利用されています。核スピンの磁気エネルギーは非常に小さいため室温では熱擾乱に負けて向きがほとんどバラバラになっており、発生する信号はほとんどが打ち消しあって、非常に弱くなっています。スピンの向きが揃った割合は偏極率と呼ばれ、発生する信号の強度はこれに比例し、NMRやMRIの感度もこれに比例します。NMR分光が通常行われる室温下で10テスラの磁場中では、水素核スピンの熱平衡状態の偏極率は約0.0034%、MRIが通常行われる3テスラの磁場中では約0.001%という非常に小さな値です。この偏極率を数十%まで大きくできれば、NMRやMRIの感度は飛躍的に向上します。

マイクロ波を照射することによって、熱平衡状態の偏極率が水素核スピンよりも660倍高い電子スピン(電子のもつ微小な磁石)と同程度に核スピン偏極率を増大できる動的核偏極(DNP: Dynamic Nuclear Polarization)※5 と呼ばれる方法が注目を集めており、世界中で研究が進められています。分析したい有機分子を、不対電子を持つ分子(ラジカル)を少量添加したガラス状物質※6 に溶かしておくと、DNPによってNMR分光信号の強度を増大させることができます。また、高偏極化された物質を溶かして体内に注射し、その物質の代謝をMRIで調べることで、がんを診断するという応用も考えられ臨床研究が進められています。しかし、熱平衡状態の電子スピンを用いる従来のDNP法では核スピン偏極率の増大率は660倍が原理的な限界で、偏極率を10%以上に高めるためには、マイナス270℃以下の極低温下で電子スピンの向きを揃えてからDNPを行う必要があり、低温で劣化する材料や生体物質などには使えませんでした(図1)。また、極低温にする装置やその運転に多額の費用がかかっていました。

本研究の成果

今回、大阪大学基礎工学研究科システム創成専攻電子光科学領域の立石健一郎(当時博士後期課程3回生、現在は理化学研究所研究員)、根来誠助教、香川晃徳助教、北川勝浩教授、同大学理学研究科化学専攻の西田辰介研究員(当時、現在は愛知工業大学工学部研究員)、森田靖准教授(当時、現在は愛知工業大学工学部教授)らの研究グループは、レーザー光とマイクロ波を照射することで温度に関係なく核スピン偏極率を増大できる「光励起三重項(トリプレット)状態の電子スピンを用いたDNP法(略称:トリプレットDNP法)」によって、試料を室温に保ったままNMR信号の強度を飛躍的に増大させることに成功しました。

ペンタセン(図2)などの有機化合物では、光を照射したときに、電子スピンの向きが温度に関係なく非常に偏った励起三重項状態※7 が現れます。このような物質を試料に少量添加してレーザー光照射後にDNPを行えば、温度に関係なく核スピン偏極率を増大させることができます(図1)。今回、ペンタセンを0.05モル%添加したp-ターフェニル(図2)の単結晶において水素核スピンの偏極率を34%に増大させることに成功しました。実験は0.4テスラの磁場中で行われており、その磁場で室温の熱平衡状態に比べて25万倍に水素核スピン偏極率を増大したことになります。これは従来法の理論限界である660倍をはるかに超える値で、本方法によりNMR信号強度が飛躍的に増大することを実証しています。本研究ではDNPへの核スピン格子緩和※8 の影響を理解し、それを抑制するために、全重水素化ペンタセンと新たに有機合成化学者との共同研究で開発した位置選択的同位体置換物質(図2)を用いて、このような高偏極率を達成しました。

今後の展望と本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究で得られた水素核スピン偏極率34%は、室温下で通常のNMR分光で用いられる10テスラの磁場中の熱平衡状態に比べて約1万倍、MRIでよく用いられる3テスラの磁場中での熱平衡状態に比べて約3万倍高い偏極率です。本方法を用いることで通常のNMRに比べて感度が約1万倍向上し、従来の1万分の1の微量な試料の分析が可能になることを意味します。また、本方法は従来法と異なり極低温装置が不要なため、実用化されれば大幅なコストダウンが期待されます。

本研究は単結晶試料で行われましたが、本研究に先駆けて「トリプレットDNP法」がガラス状物質でも可能であることを示しています※9。ガラス状物質にはさまざまな物質が添加可能で、このときに高偏極化された添加物質は2,3,4-トリフルオロ安息香酸と5-フルオロウラシルで(図2)、後者は抗がん剤として用いられています。今後さらにさまざまな物質が高感度化されれば、NMR分光法の応用可能性が拡がります。そこで、ガラスホスト物質や光励起三重項状態を持つ添加物質の改良が必要で、今後は有機化学、材料科学的アプローチの研究が重要となります。

本方法は従来法と異なり、試料を室温に保ったまま高感度化が可能になるので、これまで不可能であった低温で劣化する材料や生体物質の極微量分析への応用などが可能となり、生物化学、材料科学の発展に貢献します。また、がん診断に用いられる代謝物質のMRIへの応用にも適用可能です。このような新しい応用を開拓するために、今後は生命科学者や医学者との共同研究も重要となります。また、本研究で得られた室温下で大量の核スピンが高偏極化された試料は、加速された原子核や素粒子を用いた散乱実験の標的物質や磁気相転移の量子シミュレータとして用いることもできます。このように本研究成果は基礎物理学、化学、材料科学、生命科学、医学などの幅広い分野への貢献が期待されます。

特記事項

本成果は、平成26年5月12日(米国時間)に米国科学アカデミー紀要(PNAS: Proceedings of the National Academy of Sciences of U.S.A.)オンライン版で公開される予定です。なお本研究は、科学研究費新学術領域「量子サイバネティクス」、最先端研究開発支援プログラム「量子情報処理プロジェクト」の支援のもと、行われました。

参考図

図1 従来法と本方法の比較

図2 構造式

用語解説

※1 NMR(核磁気共鳴)
核スピンに静磁場をかけると、その磁場のまわりをコマのように歳差運動(首ふり運動)を行います。その歳差運動の周波数の電磁波(例えば、0.4テスラの磁場中の水素核スピンなら17 MHzの電磁波)を与えると、それに共鳴して首ふり運動の角度が変化し、放出された電磁波からその様子を観察できます。このような現象を核磁気共鳴(NMR)現象と呼びます。原子核の種類や分子構造の違いによって周波数が異なるので、この電磁波を解析することによって分子構造情報を調べることができます。これはNMR分光法と呼ばれ、化学分析に必要不可欠な方法となっています。

※2 MRI(核磁気共鳴画像)
スピンの歳差運動の周波数、共鳴する電磁波の周波数は静磁場の強さに比例します。そのため、試料に勾配のある磁場を与えておくと、同じ分子でも場所によって共鳴する電磁波の周波数が変わることになります。MRIは、勾配磁場を用いて人体内部に含まれる水分子などの量の分布を、共鳴する電磁波を解析することで画像化する方法で、けがや病気の診断や脳機能の研究などに欠かせない分析法となっています。

※3 偏極率
静磁場中の水素核スピンや電子スピンのエネルギー準位は、スピンが磁場に対して平行な状態のエネルギーと反平行な状態のエネルギーに分裂します。それぞれのエネルギーを持つスピンの占有数の差を総スピン数で割ったものが偏極率と定義されています。一般的な環境下での熱平衡状態では、偏極率はスピンの磁気回転比と静磁場強度に比例し、温度に反比例します。電子スピンの磁気回転比は水素核スピンに比べ660倍大きいので、同環境下では電子スピンの方が偏極率は660倍大きくなります。

※4 量子シミュレータ
物質の電気的な性質や磁気的な性質について量子力学的に全容を理解するためには、従来の古典力学の枠組みで考えられたコンピュータを用いる限り、系に含まれる電子数や原子数に対して指数関数的に計算時間が増えてしまい現実的に解くのは難しくなります。そこで、純粋に量子力学的な法則に支配された量子シミュレータを用いてこれらを理解する試みが近年非常に注目されています。光格子中にトラップされた冷却中性原子集団を用いた量子シミュレータが有名ですが、結晶中の核スピン多体系も高偏極化することで磁気相転移の量子シミュレータとして利用できることが知られています。

※5 動的核偏極(DNP: Dynamic Nuclear Polarization)
通常の分子中では、スピンの向きが反対の二つの電子が対になり、電子スピンによる電磁波の吸収、放出は打ち消されます。しかし、ラジカルと呼ばれる分子では不対電子が安定して存在しています。このようなラジカルを少量添加した試料に電子スピンが共鳴するマイクロ波を照射すると、電子スピンの首ふり運動の角度が変化します。この角度の変化する速度に、核スピンが共鳴する周波数が含まれるとき、電子スピンと核スピンの偏極率が交換されます。これによって核スピンの向きを揃えることを動的核偏極と呼びます。熱平衡状態の電子スピンを使ったDNPでは原理的には最大660倍の信号強度増大が可能となります。温度が低いほど熱平衡状態の電子スピンの偏極率は大きくなるので、従来のDNPではより高感度化を求めて極低温下で行われています。

※6 ガラス状物質
ガラス状物質とは、結晶とは異なり、分子が無秩序に散らばったまま固体化された物質です。例えば、水とエタノールの混合溶液もマイナス100℃に急冷するとガラス化します。ガラス状物質は結晶とは異なり隙間の多い状態で、結晶状に固化した場合には析出してしまうような分子も、ガラスには散らばったまま取り込むことが可能です。

※7 励起三重項(トリプレット)状態
ペンタセンなどの分子では、光を照射すると電子の軌道が励起された状態になり、その後一部の電子スピンの状態が三種類ある励起三重項状態に変化します。この三状態の占有数分布は温度に依存せずに非常に偏ったものとなります。励起三重項状態から基底状態へと遷移する前にDNPをすることによって、温度に依存せず核スピンの向きを揃えることができます。

※8 核スピン格子緩和
核スピンの状態を熱平衡状態へと引き戻そうとする緩和現象のことです。例えば、分子内回転によって生じる物質内部磁場の揺動などによって引き起こされます。これによって高偏極化された状態は元の熱平衡状態へと緩和してしまいます。

※9 詳細は平成25年11月20日付プレスリリース
http://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2013/131120)およびAngewandte Chemie International Edition vol.125 (2013) pp.13549-13552に掲載。

参考URL

大阪大学大学院基礎工学研究科 システム創成専攻 電子光科学領域 北川研究室
日本語:http://www.qc.ee.es.osaka-u.ac.jp/~qc/index_j.html
英語: http://www.qc.ee.es.osaka-u.ac.jp/~qc/index_e.html

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