東部モンゴリアから巨大な古代トルコ文字碑文・遺跡を新発見

東部モンゴリアから巨大な古代トルコ文字碑文・遺跡を新発見

2013年度モンゴル-日本共同調査プロジェクトの一大成果

2013-7-16人文学系

リリース概要

東部モンゴリアで,大型の突厥碑文をはじめて発見!

大阪大学大学院言語文化研究科の大澤孝(おおさわたかし)教授は,モンゴル国科学アカデミー考古学研究所との国際共同調査において,本年5月29日にモンゴル東部のスフバートル県トゥブシンシレー郡のデレゲルハーン山近郊の,現地の遊牧民からはドンゴィン・シレー(現地語で’台形の遺跡’)と呼ばれる丘の草原から,これまで未報告であった巨大な古代トルコ文字碑文をはじめて発見しました。

本碑文の本来の全体像は不明ながら,残片でも全長3~4メートルほどあり,これまで知られる突厥碑文の中でも最大級のものです。2つの碑文からは20行,2832文字,646個の字句が,そして碑文上方には部族の標識とされるタムガが30個ほど彫られています。東部モンゴリアには古代トルコ語碑文は存在しないというこれまでの学界の常識を打ち破るものであり,古代トルコ史や北アジア史観を塗り替えるものです。

碑文の概要

現状では,各碑文は3片ないし,2片に切断されて横倒しにされていて,遺跡の内外には遺跡に付随した石槨(サルコファーグス)断片や遺構の一部が土中に突き刺さったり,散乱した状態です。

現段階で解読された箇所からは「我が家よ,ああ」,「我が部族よ,ああ」,「我が土地よ,ああ」といった死者自身が一族や家来,そして土地などから別れを惜しむ字句が確認されています。現時点では,碑文の文字の形状や彫り具合,碑文正面に複数彫られた部族の標識は,この碑文の被葬者が西暦8世紀中葉の突厥第二帝国(西暦682-744年)のアシナ王家の1員であったことを明言するものであり,古代トルコ帝国の中で右翼(西方),中央翼,左翼(東方)という3軍体制の中で,左翼(東方)陣営のトップにあった人物とその一族に関わる遺跡であることがほぼ明らかになっています。今後,地下に埋もれた箇所からの解読が進めば,事件や人名なども検出できるかもしれません。


図1 今回発見された古代トルコ語文字碑文とその遺跡風景。
手前には2つの碑文が横たわり、その後方には散乱する石柱や遺物断片が見える。

研究の背景

本調査は,1991年のソ連崩壊後におけるモンゴル国での国際学術共同研究として,大澤が1996年以降,継続して行ってきたモンゴル高原における古代トルコ語碑文・遺跡の共同調査研究の一つとして位置づけることができます。これまで,古代トルコ語碑文は主にモンゴル国の首都ウランバートル以西で発見されてきており,東部モンゴリアにはないものと考えられてきました。そうした中で,大澤はこれまでトルコ語資料が少なく,関連研究者が踏み込まなかったモンゴル東方地域にも,わずかながら古代トルコ関連の石人遺跡があることに注目し,その分布の東限を見極める必要があるとの観点から,調査を実施し,今回の大発見に至りました。


図2 モンゴル高原における従来の突厥・ウイグルのトルコ文字碑文・遺跡分布図

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本碑文はこれまでモンゴル国で発見された大規模な碑文の中でも,3番目に位置するほどの巨大なものであり,この碑文の立地点がこれまで漢文資料や西方のトルコ語テキストからはその存在が知られてきた東方の支配者の拠点に他ならないことを明示します。これまでの碑文分布の中では,従来の碑文最東部から450キロメートルも東方に位置し,モンゴル中央部や西部の碑文テキストでは不明であった突厥帝国の東方支配の実態やその後勢力を西方に拡張してくる契丹(きったん),契(けい),タタールなどのモンゴル系諸勢力や南方の唐王朝との具体的な交渉や文化関係についても貴重なデータを提供するものと期待されます。

また本碑文は,こうした様々な学術的意義に加えて,モンゴルにおける文化財の保護という観点からも注目されます。現在モンゴル国では資源開発のため,鉱山会社が所有する土地も多く,その際に,多くの遺跡が壊されつつあります。緊急調査という形で今回,我々が行ったこの遺跡近くから,ウラン鉱が産出されるということもあり,盗掘者たちが跡を絶たず,遺跡の破壊が進んできました。現地の遊牧民はこうした遺跡に対しては,ここを掘るとお化けが出て,不吉なことがおきるというような伝承を作って,外部からの侵入者から遺跡・碑文を保護してきました。しかし地域の開発は,こうした牧民文化を伴う遺跡を破壊することにつながります。それ故,本碑文・遺跡の有り様は,これまでの伝統的牧民文化の保護と近代化による開発との狭間で揺れ動くモンゴル国の地方文化の有り様を映し出しています。本碑文・遺跡に対して,モンゴル行政府や研究機関がどのような対応をするのか,今後のモンゴル国の文化財行政及び遺跡を取り巻く環境政策を占う意味でも,大いに注目されます。

特記事項

本碑文・遺跡の発見とその経緯は,すでに解読作業が終わった6月20日(木)にウランバートル市のモンゴル国の国営テレビ局で,モンゴル-日本共同記者会見で行われ,モンゴル側代表として,考古研所長のツヴェンドルジ,研究室長ツォクトバートル,研究員ボドローバト,研究員ムンフトルガ,そして日本側からは大澤が会見を行いました。当日及び翌日には,モンゴルでの各種テレビや複数の新聞で,全国的に関連報道がなされました。信頼のおける日本との共同調査研究ということもあり,本遺跡や碑文はモンゴル国民からも大いに注目されています。

参考URL

大阪大学 大学院言語文化研究科
http://www1.lang.osaka-u.ac.jp/